いつもすぐ忘れるので保存させていただきます。 BA様の極めて個人的な感傷にも心ほっこりしました♪ 他の回答者様も、お手数おかけしました>< 本当にすっきり! !です。 お礼日時: 2010/6/1 3:49 その他の回答(2件) 確か…続きは♪~どうしたのかな? (どこだか忘れたケド広場かどっか? )遊ぼっていっても~(絵本か何か遊び)いっても~いつも答えは同じあ~と~で つまんないな~ って感じじゃなかったですか? みんなのうた名曲選 150万枚売れた『山口さんちのツトム君』 - ライブドアニュース. 何で様子が変なんでしょうか?2番の歌詞は? ?です。忘ればっかりなので答えになってませんよね…回答してゴメンナサイ☆ 1976年に『みんなのうた』で放送されたのがきっかけとなり、各社競作で発売されたシングルの売り上げが累計150万枚以上[1]の大ヒットを記録した。 歌の内容は、幼馴染みの山口ツトム君に元気がないと感じた女の子「ユミちゃん」が、ツトム君を励まそうとして声をかけても返事がなく心配していたが、田舎へ帰省していたツトム君のママがお土産のイチゴを持って帰ってくると元気を取り戻し、二人で仲良くイチゴを頬張るというもの。 作者のみなみらんぼうは後年、この曲を作ってかなり経ってから、ふとこの曲の内容が少年時代に母を亡くして意気消沈していた自分自身そのものであることに気がつき、その瞬間に涙が止まらなくなったという経験を語っている。 体と脳の力を抜いて、ゆっくりとお休みください・・・・・ 歌詞追記: どうしたのかナ つまんないナ チョッピリ すっぱいね 1人 がナイス!しています
概要 NHK の歌番組「 みんなのうた 」で放送された歌で、初放送は1976年4月から5月。 作詞・作曲は みなみらんぼう 。歌はNHK東京児童合唱団の川橋啓史。 歌は山口さんちのツトム君の幼馴染の女の子の視点で語られ、元気のないツトム君に声をかけても返事がなく、大事にしていた三輪車が雨の中放置されているのを見て心配するものの、田舎に帰省していた母親が帰宅するとツトム君はたちまち元気になり、一緒に田舎のお土産であるイチゴを食べるというもの。 同年には同名の短編映画が製作され、7月18日封切りの 東映まんがまつり の一つとして上映された。さらに同年9月1日に TBS 系列局(ただし 信越放送 、 北陸放送 、 熊本放送 除く)ほかで放送された「 夜明けの刑事 」でも『山口さんちのツトム君誘拐事件』としてネタにされた。 そのうえこの曲の初放送から約半年後の同年10月から11月にかけて、アンサーソングである「 ユミちゃんの引越し〜さよならツトム君〜 」が放送された。 矢沢あい の「 ご近所物語 」ではメインキャラの名前として使用されており作中でも触れられている。 関連記事 親記事 兄弟記事 もっと見る pixivに投稿された作品 pixivで「山口さんちのツトム君」のイラストを見る このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 435 コメント
NHKの「みんなのうた」が60周年ということで、5/8の夜にみんなのうたの名曲をライブで歌う特番がやっていた。 最初の30分を見たところで長男が寝たいと言い出したので、少ししか見れなかったが…。 僕の通っていた小学校では給食の時間にみんなのうたの曲がかかっていたので、ちょっと聴くだけでも歌詞と給食の風景が頭に浮かんだ。 山口さんちのツトム君 特番の一曲目は「山口さんちのツトム君」。 よく「山口さん」と「ツトム君」のところに友達の名前をいれて替え歌にしたものだ。 小林さんちの太郎くん、この頃少し変よー、どうしたのかなー? みんなのうた”トラウマ曲の代表”『メトロポリタン美術館』が復活! | Curassy. みたいに。 なかなかの煽り文句だな。 (今なら、どこかの政治家の名前を入れるのが適当なのかも) 歌っていたのはFoorin。 この子らも大きくなったなー、と親戚のおじさんみたいに感心した。彼らはオリンピックが開催されていれば去年で活動停止の予定だったんだろうか?? ちいさい秋みつけた 2曲目は「ちいさい秋みつけた」だった。 歌詞が悲しい感じのする懐かしい曲。 外で遊んでいて落ち葉とかドングリ拾って秋を見つけた!いも食べて秋を見つけた! !という子供らしさは全くない。 家の中から外を窺っていて秋を見つけたという感じ。 作詞者は健康に問題があったのかも知れない。 タイトルにも書いた2番の歌詞がこちら↓。 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク わずかなすきから 秋の風 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた 特に うつろな目の色 とかしたミルク ってなんだよ、怖いよ。良からぬイメージが湧くよ。 どういう意味なんだろう。
山口さんちのツトムくん このごろすこしへんよ どうしたのかナ ひろばであそぼうっていっても えほんを見せるっていっても いつもこたえはおなじ "あとで" つまんないナ 山口さんちのツトムくん このごろすこしへんよ どうしたのかナ だいじにしていたさんりんしゃ おにわであめにぬれていた けさはげんきになったかナ "おはよう" へんじがない 山口さんちのツトムくん いなかへいってたママが かえってきたら たちまちげんきになっちゃって いなかのおみやげもってきた つんだばかりのイチゴ チョッピリ すっぱいね
うちの子が生まれてから、子ども向けの歌を耳にする機会が増えてきました。 私自身が小さい頃に聞いた歌を、大人になったいま改めて聞いてみると、「あれ、こんな歌詞だったんだ」とハッとさせられることもあります。 その中でも最近気になる歌があります。 『山口さんちのツトムくん』 です。 みなみらんぼう作詞・作曲のこの曲は、たぶん聞いたことがない人はいないというほどメジャーな曲ですよね。ちなみに、歌詞は こちら で見られます。 この頃少し元気がない山口さんちのツトムくんのことを、近所に住んでいるお友達の女の子の視点から歌ったうたです。 1番と2番では、遊びに誘っても、おはようのあいさつをしても、さえない反応のツトムくんの様子がうたわれています。 いままで一緒に楽しく遊んでくれていたのに、最近なぜ元気がないんだろう?
ホーム > 電子書籍 > 教養文庫・新書・選書 内容説明 「人間は生きものであり,自然の中にある」.大震災以後の社会は,この「当たり前」の原点からしか再生できない.まず誰よりも,科学者が一個の人間であることによって,出来ることがあるのではないか.人間も含んだ生きもの全体の歴史として「生命誌」を提示し続けてきた著者が,私たちの未来への熱い思いをこめて語る. 目次 目 次 はじめに――科学者が人間であること Ⅰ 「生きものである」ことを忘れた人間 1 「生きものである」とはどういうことか 2 「ヒト」の特徴を考える 3 近代文明とは何だったか――「生命」の視点から Ⅱ 「専門家」を問う――社会とどう関わるか 1 大森荘蔵が描く「近代」 2 専門家のありようを見直す 3 社会に対する「表現」 4 生活者として、思想家としての科学者 Ⅲ 「機械論」から「生命論」へ――「重ね描き」の提案 1 近代科学がはらむ問題 2 「密画化」による「死物化」 3 「重ね描き」という方法 4 自然は生きている 5 「知る」ことと「わかる」こと Ⅳ 「重ね描き」の実践にむけて――日本人の自然観から 1 日本人の自然観 2 「重ね描き」の先達、宮沢賢治 3 「南方曼陀羅」と複雑系の科学 4 重ね描きの普遍性 Ⅴ 新しい知への道――人間である科学者がつくる 1 生命科学の誕生 2 アメリカ型ライフサイエンスの問題点 3 何を変えていくか 4 生命誌研究館の二〇年とこれから おわりに
それよりも、マスコミや評論家を主とした世間に向かって強硬に主張すべき事があったのではないのか? 「安全神話」という言葉を編み出したのは多分マスコミか評論家であろうし、科学者が現在の様な研究環境下に置かれているのは経済的要請に依るものだろう。科学者だけが考え方を変えても現在の社会システムがそれを許すまい。そうした主張も行間からは汲み取れるのだが如何せん弱過ぎる。本書中で南方熊楠が著者の考え方の模範例として引用されるが、残念ながら現代社会において南方の流儀が通用するとは思えない(生前の南方は学界はおろか故郷でさえも冷遇された)。 著者の慎み深い性格のためか、自省的な記述になっているが、もっと声高に社会に暮らす人々全員に対して訴える体裁にした方が著者の意図が鮮明に打ち出せたと思う。著者の言葉を借りれば、もっと「社会にコミットメント」すべきだったのではないか。「人間であること」は科学者に限らないのだから。 Reviewed in Japan on December 19, 2020 尊敬すべき著名な研究者のエッセイであるが、実に面白くない。なぜなのか? 全体の流れは哲学者の大森荘蔵『知の構築と呪縛』の"世界観"である"略画的と密画的"による"重ね描き"を科学の見方として伝えたいようだ。そのために、いろいろな書物を引用して説明しているが、どうも退屈である。もっと簡単に言ってしまえば、微視的な物の見方をすると同時に巨視的な見方もすべきが、というだけのことではないか。誰のために書かれたエッセイなのか、一般市民向けなのか科学者の卵向けなのか?
TOP > 検索 科学者が人間であること (岩波新書) 買取商品が表示されない方へ 発売直後の商品や、コミックセット、CD、DVD、ゲームなどは、実際は買い取れるものであっても、表示されないことがあります。 とくに発売直後の商品は、検索結果に表示されなくても買い取れる可能性が高いです。 今後も改善を続けていきますので、ご参考までに活用いただければ幸いです。 お使いのブラウザでは内容が正しく表示されない場合があります。 推奨のブラウザは こちら をご確認ください。 中村桂子(生命誌) 著、出版日:2013/08、出版社:岩波書店、ISBN:9784004314400 本の状態や時期によって価格は変動いたします。 査定金額は、実際の買取金額に近づくように「 キズや使用感はあるが概ね良好 」な状態を想定しています。 ※実際の買取価格は、本の状態や時期によって変動いたします。 ※おためし査定で結果がでた場合も、下記に該当するものは買い取ることができません。 ご不便をおかけしますが、事前にご確認ください。 【ISBN表記(バーコード等)のない本、週刊誌、百科事典、辞書、コミック雑誌、コンビニコミック、小・中学校・高等学校等の教科書、シングルCD】 その他、ご不明な点は「よくある質問」をご覧下さい。 追加するフォルダを選択してください 追加
カテゴリ:一般 販売開始日:2013/10/17 出版社: 岩波書店 レーベル: 岩波新書 ISBN:978-4-00-431440-0 一般書 電子書籍 著者 中村桂子 (著) 「人間は生きものであり,自然の中にある」.大震災以後の社会は,この「当たり前」の原点からしか再生できない.まず誰よりも,科学者が一個の人間であることによって,出来ることが... もっと見る 科学者が人間であること 税込 880 円 8 pt 紙の本 科学者が人間であること (岩波新書 新赤版) 924 あわせて読みたい本 この商品に興味のある人は、こんな商品にも興味があります。 前へ戻る 対象はありません 次に進む この商品の他ラインナップ 商品説明 「人間は生きものであり,自然の中にある」.大震災以後の社会は,この「当たり前」の原点からしか再生できない.まず誰よりも,科学者が一個の人間であることによって,出来ることがあるのではないか.人間も含んだ生きもの全体の歴史として「生命誌」を提示し続けてきた著者が,私たちの未来への熱い思いをこめて語る. 目次 目 次 はじめに――科学者が人間であること I 「生きものである」ことを忘れた人間 1 「生きものである」とはどういうことか 2 「ヒト」の特徴を考える 3 近代文明とは何だったか――「生命」の視点から II 「専門家」を問う――社会とどう関わるか 1 大森荘蔵が描く「近代」 目次をすべて見る 著者紹介 略歴 1936年東京都生まれ。東京大学大学院生物化学修了。理学博士。JT生命誌研究館館長。専攻は生命誌。著書に「生命科学者ノート」「生命科学と人間」「「生きている」を考える」など。 この著者・アーティストの他の商品 みんなのレビュー ( 14件 ) みんなの評価 3. 『科学者が人間であること』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター. 9 評価内訳 星 5 ( 1件) 星 4 ( 4件) 星 3 星 2 (0件) 星 1 (0件)
Reviews with images Top reviews from Japan There was a problem filtering reviews right now. Please try again later. Reviewed in Japan on July 26, 2018 Verified Purchase 儲け主義に走る科学、科学者、それを礼賛する経済主導の社会に、それで人は幸せになれるのかと問いかける。科学が細分化されればされるほど、何のためにそれを追求しているのか見えなくなっている科学者が増えている。今一度、リベラルアーツの大切さを見直して、人に優しい科学を立て直すべきではないだろうか。 Reviewed in Japan on May 12, 2020 Verified Purchase 遊びの部分、いい加減さを大切に生活者の感覚を大切に、そんな事をできる日本の風土の豊さを改めて感じました。 他、気になったこと ・農業の大切さ ・心と物が交わるって生ずる ・人間とは? ・生きるとは? Reviewed in Japan on July 8, 2021 Verified Purchase とてもきれいな状態でした。ありがとうございます。 5. 科学者が人間であること 入試問題. 0 out of 5 stars 期待以上にきれいな状態でした By 秋山小枝里 on July 8, 2021 Images in this review Reviewed in Japan on August 31, 2013 Verified Purchase 東日本大震災の際に著者が覚えた無力感を受け、生命誌、生命科学という著者自身の仕事を通して考えた事を纏め、改めて今必要な新しい知のあり方を求めてみたいとの意図で書かれた書。この時、基本となるのは「人間は生きものであり、自然の中にある」という"当り前"の事、との著者自身の断り書きがある。真摯な書であり、著者の心情も良く伝わって来るのだが、著者の著作の中でこれ程のガッカリ感を覚えたのは初めてである。 本書の論旨を纏めると(纏めるまでもないのだが)、科学者は科学による密画描写と自然の略画描写を共に生かす(「重ね描き」をする)事が必要であるという事であり、これが約240頁に渡って繰り返されるだけ。しかも、結論が生命誌(研究館)はこれを既に体現していると説くのだから唖然とさせられる。この我田引水の極みの様な展開は著者らしさから乖離しており、著者の本意ではあるまい。元々、本書の内容は科学者の仲間内だけで議論すべきものではないのか?
Posted by ブクログ 2020年04月03日 上品で淡々とした筆致だが、考え抜かれた言葉と表現。そして、根底にある信念。見事な本であった。個人的には、宮沢賢治についての、本当の幸せ、本当の賢さ論が発見であった。 このレビューは参考になりましたか?