階段はあじさい坂には余りないのですが、途中現れる、車道から山門をくぐると一挙に険しい階段となるので、覚悟していきましょう・・・・ 途中に現れる道路と山門・・・・・ここは、アジサイ坂のほぼ終わる場所にあって、うえを見ると道路の反対側に建立されています。 うまくいくと、この山門の左脇に乗用車ならば2台程度置けるようになっているのでここが確保できると神社へのお参りには、楽ができるのです・・・これを上って7分程度で「大平神社」へ到着です・・・・(そして、アジサイ坂を上り終わる頃、山の中腹にこの建立物があります。ここから、また階段があってこれが結構きついのです。 もし登るのがいやならば、この道を左(南)に言って茶屋の裏から登れば楽に大平山に到着することが出来ます。) 右の写真のように、立派な鈴が奉納されています。 実は、ハイカー達は、この神社でお詣りをして、ここの右側の直ぐ裏手から山頂を目指す入り口ルートなのです。 ここの神社は、沢山の小さな神で祀られています。 それらをお詣りしながら、ゆっくりと過ご素事が出来ます! 階段を息を切らせて登った人岳に与えられるチャンスです・・・・ここからの帰りがけには、階段を使用せず、別ルートの神社裏側を通過して、謙信平の方向へ歩き小さな店先等を見ながら周辺探索をして、また、あじさい坂へと降りるコースを頼れば、この大平山の全貌を見ることが出来るのです。 この時は、 七夕祈願でしょうか、皆が短冊を書いて奉納していました!
0227 関東平野を見下ろす太平 山。頂上にある太平山神社は、 古くから多くの人々の心の支 えとなってきた。 人々が風沓や疫病で苦し んでいた827(天長4)年、 淳和天皇から詔を賜った慈覚大師円仁が、霊山として信 仰されていた箕輪山 (現太平 山)に建立したとされる。 直後に世が治まったことから 「天下泰平を祈る社」として 「太平山神社s」の社号を賜ったという・・・ 本殿の主祭神天照皇太御神、豊受姫大神、その他を始め60あまりの神々を祀る。年4回の例大祭など行事 も多く、一年を通じ大勢の参拝客が訪れる。 御朱印は、 江戸時代から残 る印を使っている。 種類は例 大祭や季節の行事によってさ まざまだ。 現在は「大平山桜まっり」(7日まで、日南だ期間限定の御朱印(1千円、おみ くじ付き。 通常は300円と 1千円の2種類)がある 桜 色の手すきの和紙に銀色で一 筆。 「大平山大権現守護之印」 と神社の出版物を示すという ひょろたんの朱印が押してあ る。 宮司は「神 社へのお参りは、日頃の 感謝を神様に伝えるものるもの。 参りのしるしに御朱印も頂い てください」ととのことです・・・ 例年、恒例の紫陽花祭りが6月中旬に行われます。 以前、2013年頃の、大平山の紫陽花の満開時期は、「6月20日前後と予想」されています! しかしこれは、ほとんど同じ時期に咲くようです。 大平山というと、それ自体で、大平山神社を指しているのですが、大平山(地元ではおおひらさん)と、呼ぶとその山全体を総称している感があります。 2015年紫陽花は見ごろで、 下野新聞SOON によると・・「栃木市平井町の太平山県立自然公園あじさい坂でアジサイが見ごろを迎え、石段の両側に咲く色とりどりの花々が訪れた人たちを出迎えている。 あじさい坂は太平山神社の参道。約1千段の石段があり、アジサイの名所として知られている。 同市商工観光課によると、ことしは例年よりも10日から2週間ほど開花が早い。 そこで今日は大平山の神社とあじさいを紹介しましょう。 先日訪問したときに聞こえてきましたが、大方のバスは、このあじさい坂の上か、下の駐車場に留まり、そこから歩きながら、あじさいを鑑賞するようになっていますが、上をみて、あれ!上に神社があるね・・・だけどだいぶ階段があって大変だね、いいや、下に行こう等と言って返ってしまう人たちが、多いのです。 大平神社の一番上の山門・・・歴史的な荘厳な作りです・・・ 3)大平神社 この時期の大平山は、あじさいに囲まれて素晴らしい時期なのです!
山鹿・平山の温泉 2017. 11.
年老いた方々には、この階段は多分にきついのかも知れませんが、その時には、車で上方の駐車場まで行ってから、ここに裏から訪れればすんなりとお詣りをすることが出来るようになっているのです・・・その駐車場周辺には、団子屋、おでん屋、など昔からの商店が建ち並んでおり、昔の情緒が残っています・・・・最もここ栃木では、市内もこのような昔からの商店街があって、町並み保存状態は素晴らしいところなのです。 参考上方: 蔵を訪れる | 栃木町並みを歩く | 栃木秋祭り 大平さんと呼ばれる神社は、梅雨に入ると紫陽花の時期になります。 下の地図で見どころを紹介してみましょう! 1)紫陽花坂には、駐車場がある。 ただしここは有料である。 山の上の方の駐車場ならば無料で止められる・・・あじさい坂をさかのぼりその両脇のワジ祭を楽しむのが一般的・・・しかしその他の道を脇に入っても紫陽花は沢山あるので色々見て歩くことをお薦めする! 2)紫陽花坂のはじめに、蓮祥院の六角堂が大きく見えてくる・・・・ここでお参りするが、この小さな場所に変わった紫陽花の花などが多いのでよく見学、鑑賞すると良い・・・・本当に変わった紫陽花とか、草花が植えられて大事に管理されているのである! 家族温泉 湯の川 - 山鹿 (熊本)|ニフティ温泉. 3)この時期には、花は紫陽花だけとなる・・・その他の有名な紫陽花の場所は、 大中寺 (七不思議の寺であり怨念が周囲に漂う名寺である! 4) 清水寺 もぶどう団地の奥にあり見晴らしが良いが、ここも歴史的な寺であり車でいずれも辿ることも、ハイクで辿ることも出来る・・・・ 5)紫陽花を見ながら上の随時神門に至る・・・・ここは車で山を巡る道の中腹・・・・その赤いもんをくぐり太平山神社までが最後の急な階段が待っている! ここを登れば後は降りるだけであり楽に旅を楽しむことが出来る・・・・ 2)あじさい坂 2-1)大平山あじさい坂周辺の案内地図 下は紫陽花坂の到達場所・・・バスなどが止まりここから紫陽花の花を楽しむわけである・・・・連祥院六角堂が右下の写真であり、ここをよく見学、お参りすると良いだろう・・・・意外な発見が待っているはずである・・・・ あじさいの紹介と同じ場所からの写真ですが、ここが、あじさい坂の上り口で、バスなどの駐車待機場所です! 右側の写真は、六角堂の寺 「天長2年(825)、比叡山延暦寺の天台座主慈覚大師の開創といわれており、嘗ては、太平山の別当寺、現在の太平山神社境内にあった物がここに移築された建物」 と言われているのです。 ここに変わった珍しいあじさいが沢山あるのでよく観察してみると良いでしょう・・・・この左側には一般の乗用車の駐車場が、あじさい祭りの時期だけ有料となって用意されています。 どのバスも時間的には、それ程長くかからないので、あじさいを見てそこからまた何処かに行くのでしょう・・・・結構忙しい旅をしているようです・・・・ このあじさい坂を登って一番上にある大平神社まで、約20分程度と見ればよいのでしょう・・・・結構、この時期は暑いので、汗が出てきます!
純和風の柔らかい造りで、雑木林に囲まれた、自然のどかな場所に「湯の川」はあります。 湯の川は、貸切湯専門の温泉施設で、檜風呂や 岩風呂、切石風呂など趣向をこらした 浴室が全10室あります。 熊本県平山特有の、肌にまとわりつくようなお湯 とろ~りとした美肌湯 が大人気! ぜひほっとやすらぐひとときを「湯の川」でご堪能下さいませ。 この度、令和2年1月31日(日)をもちまして、当店は閉店する事となりました。 長い間、御利用頂きまして誠にありがとうございました。 心より感謝、御礼申し上げます。 家族温泉 湯の川 店主より 平山温泉の歴史は古く、伝説では約1200年前、この地に悪性の皮膚病が大流行し、大変苦しんでいた村人達は、遠く阿蘇大明神にお祈りを捧げました。すると大明神は、一夜のうちに山を開き、谷を埋めて平坦な地を造られたそうです。 それからこの地方を「平山」と呼ぶようになりました。そして、豊かな温泉が湧き、浴すると悪性の皮膚病はたちどころに良くなったそうです。加藤清正公が汗疹(あせも)を癒したという話も残っています。そんな平山温泉郷のなかで東に位置する湯の川は、木の香り豊かな内風呂と個性的な露天湯10室を有する家族温泉です。 緑に囲まれた静かなただずまいの中で浴する 平山温泉特有の肌にまとわりつくような心地よいやわらかなお湯 。 どのお風呂もゆったりとしたくつろぎをお約束します。
(冬が来たなら、春はまだ遠いということがあり得るだろうか?) 『Ode to the West Wind』 「冬来りなば春遠からじ」の定着 アルヴィ宮本なほ子編『対訳シェリー詩集』によると、上記の一節からタイトルをとった、ハッチンソンの『If Winter comes』が映画化され、1925年に『冬来たりなば』というタイトルで上映されて以来、日本において「 冬来りなば春遠からじ 」が知られるようになったとのことです。 ちなみに、シェリーの妻メアリは、『フランケンシュタイン』で知られるイギリスの小説家です。メアリはシェリーの死後、遺稿の整理編集・出版に尽力しました。それにより、シェリーが評価が高まったと言われています。
日々、何となく思ったことや呟きを綴っていこうと思います。 辛いことの後には、良いことがある… 「冬来たりなば春遠からじ」 新たな気持ちで生きていきたいです。
」 「冬来りなば春遠からじ」にあたる一節「If Winter comes, can Spring be far behind? 」において、「Winter」「Spring」は、文中にあるにもかかわらず大文字で始まっている名詞なので、冬も春も擬人化されていることがわかります。 砕けた訳をするならば、「(あなたもご存じの通り、あの「春」氏は、あの「冬」氏のすぐ後ろにいるのですから)、冬氏が来るならば、春氏がその遥か後方にいるなんてことはあり得ないでしょう?」となります。 シェリーの原詩には、「つらい冬を耐えれば、やがて暖かな春が来るのだから頑張ろう」というニュアンスはありません。部分的にピックアップした、「冬来りなば春遠からじ」という日本語のフレーズに与えられた意味だと言えるでしょう。 「冬来りなば春遠からじ」の文法 「冬来りなば春遠からじ」を現代調に訳すと、「冬が来たなら春は遠くない」。より正確には、「冬が来るなら、春がはるかに遠いことがありえようか? (いや、春は近いぞ)」となります。「来(きた)り」はもともと、「来」+「到る」の複合動詞ですから、現在形の「来るなら」となるのです。 ですから、木村毅が訳した「来(き)なば」と、変更された「来(きた)りなば」に、文法上の違いはなく、表現上の違いと言えるでしょう。和文脈では「来(き)なば」、漢文脈では「来(きた)りなば」となります。 また、「遠からじ」の「じ」は打消推量の助動詞なので、もとの英詩の通りの疑問形で訳すなら、「遠いことがありえようか?」、反語的に訳すならば「いや、春は近いぞ」となります。