超極早生タマネギ<サクラエクスプレス>約300本の追肥しました。 いつものように穴肥えで雑草抜いて追肥して籾殻被せました。 追肥 次は2月にやり様子見ながらですがそれで終わろうと思っています。 前のシーズンの< サクラエクスプレス >の記事です。 楽しみです。 キャベツ・カブラ・ダイコン畑のお隣に頂きました。 ダイコンは右から4本は激辛ダイコンです。 昨日畑から帰って家に着くと妹から電話があり 一人住まいの弟が朝 家で倒れたまま半日起き上がれないとの連絡があり 急遽 救急車を呼んだつもりが110番にかけてしまい ここと違いますと言われてしまいました。 今病院から帰ってきましたが大事には至らないような感じでホッとしています。 最新の画像 [ もっと見る ] 「 タマネギ 」カテゴリの最新記事
今年は早かったな〜 まだ7月なのにもうスイカが枯れちゃいました ↑こちらは各子蔓から一番果がぶら下がるところ。 今年は3株で10個の一番果がなりました。 10個中8個は既に収穫済み。 収穫タイミングバッチリで美味しく頂きました そしてこちら↓は天井部。 子蔓・孫蔓の二番果・三番果がぶら下がって賑わうところ。 今年はその光景が見れませんでした 終わりが早かったね〜 原因を考えると、、、 1. 初期の段階でアブラムシが大量発生 2. 梅雨の長雨 3. 玉ねぎの追肥の時期です | 種・苗と農業の専門店”農業屋” 三重,愛知,岐阜,静岡,滋賀,奈良,和歌山に展開. 梅雨明け後の猛暑続き … いろいろ思い浮かびます。 で、ぶら下がっててる残りの2個。 もう水は吸い上げてないので放っておくと腐り出しますからね。 熟してるかな この2つを持ち帰って今年は終了です。 今年のスイカはやばいな〜と早くから予知していたので スイカの畝肩にササゲの種を蒔いておきました。(7月11日) 空中栽培のネットをそのまま使えるしね そのササゲ、、、 そろそろネットに絡みそうですよ ということで、スイカ栽培地からササゲ栽培地に変わっていきます ↓野菜作りをしている方々のブログ一覧です。 いつも参考にさせていただいてます。ポチッとね(^^) にほんブログ村 作ってるササゲはコレ↓ 莢の長さが50cmだって〜 初栽培なので楽しみです
ケーブルカーから遠く、北の京都方面を見ます。 やはり遠いです。 着きました。 山頂のケーブルカー駅から、さらに歩いて10分ほど。 ようやく見えた、石清水八幡宮。 ここは、パワースポットと呼ばれるくらいの場所ですが、私でも澄んだ空気感が分かります。 平安時代には、かつて源氏の棟梁、源義家が元服したところです。 ここから八幡太郎義家と名乗っています。 室町時代には、第6代足利将軍を誰にするか、ここでくじ引きが行われています。 おみくじの結果、足利義教が征夷大将軍になりました。 その間の鎌倉時代に、仁和寺の法師が見ずに帰りました。 でもやはり法師のことを笑えませんね。 誰でも徒歩で来たら、ふもとでお腹いっぱいでしょうね。
中学校の定期テストで『仁和寺にある法師』はどんな問題が出題されているのか気になる方へ。 実際に中学校の定期テストで出題された過去問題を例に、解答と共にポイント解説をしています。 『仁和寺にある法師』はとても分かりやすく、覚えてしまいさえすれば確実に得点できる単元なので、取りこぼしのないように頑張ってくださいね♪ ※教科書が改訂により、現代語の説明部分などが若干変わったり、もちろん教科書会社によって違っていたりしますので、あくまで勉強する上での参考として活用してください。 古文の定期テスト勉強法は基本的に、 教科書の本文と現代語訳、作者、授業ノートを丸暗記するだけ です!
徒然草の「これも仁和寺の法師」の教訓を教えて下さい。 お願いします。 1人 が共感しています ベストアンサー このベストアンサーは投票で選ばれました 楽しげなことでも、度が過ぎると、とんでもない結末を招くということです。 さらに、一度そんな結末を招いてしまえば、元に戻すのには、かなりの犠牲を覚悟しなければならないということまで含まれます。 ところで、 度が過ぎているかどうかは、その場で推し量れるものではありません。 軽い気持ちでやったことが、結果として「度が過ぎる」ことになる場合もあるのです。 この物語の場合がそれで、皆が笑い転げている間は、度が過ぎているなど、誰も気が付かないことなのです。 それなら、「羽目を外すのも、ほどほどにしよう」などは、思うほどには有効ではないアドバイスなのかもしれないのです。 人は、日常生活において、「何が自分に対して致命的なものになるのか、わからないような状態の中で生きている」ということにもなるのでしょう。 それが嫌なら、何もしないで生きていくしかありません。 しかしそんな生き方はできないでしょう。 いつでも、復旧のために多大な犠牲を強いるリスクと背中合わせに、我々の日常生活はあると言えるのかもしれません。
今回も、石清水八幡宮に行ってみて、なるほどこの立地なら仁和寺にある法師がなぜたどり着けなかったのか、よくわかりました。長年の疑問が氷解でした。 うっそうと木々が繁る山道を抜けると、突如現れる深紅の神殿。 偶然にも、神社は七夕祭りの最中。 たくさんの親子連れの方たちでにぎわっておりました。 皆さまの夢や願いも叶いますように。 帰りはふもとの日本料理屋で季節の料理を頂いて帰りました。満足の休日でした。 そのまま京阪に乗って帰りましたが、あとでふと思ったことが。 はてさて、仁和寺にある法師が石清水八幡宮と勘違いした、極楽寺・高良神社などはどこにあったのでしょうか? …少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
古(いにしえ)に果たせぬ法師の想いを今 これは吉田兼好の随筆『徒然草』に、文中最後でも述べられている通り、「些細なことでも、そのことについて導いてくれる人が必要である」という教訓を説く例として登場する場面です。そもそも、この、ある法師の勘違いは石清水八幡宮の御本殿が男山山上にあり、さらには山麓にも別のお社があることにより起こりますが、文中の極楽寺は元慶7(883)年に建立され立派な伽藍でしたが、慶応4(1868)年1月に「鳥羽伏見の戦い」の兵火で焼失し現存していません。また高良神社は当宮の摂社ですが、八幡の氏神でもあり、毎年7月17・18日には「太鼓まつり」が八幡の夏の風物詩として賑やかに行われています。 『徒然草第52段』の通り今も高良神社の脇から表参道あるいは裏参道にて山上の石清水八幡宮御本殿まで約20分程度で上がれますので、念願果たせなかった仁和寺のある法師の分までご登拝いただけますよう心よりお待ちいたしております。 → 境内のご案内 → 高良神社 太鼓祭り