地域 2021年7月29日 木曜 午後6:01 玉野市の高校生とお笑い芸人が協力して地元の水族館を活性化させるための取り組みを行っています。7月29日、水族館で魅力向上のための新しいスポット作りが始まりました。 (生本ひなの記者) 「渋川マリン水族館にあるオットセイのプールのすぐそばに新しいスポットが誕生します。」 29日は、玉野商工高校の生徒7人とお笑い芸人のハロー植田さんと江西あきよしさんが、ハート形の池づくりを始めました。 このプロジェクトは、高校生とお笑い芸人がタッグを組み、玉野市の渋川マリン水族館の魅力を向上させようというもので、ハート形の池はメインの企画です。 生徒らは、池の配置や物資を確認したあとハート形に沿って穴を掘り始めました。 この様子は、別の生徒らが撮影し、SNSにアップします。 (高校生は) 「想像してたより大変な作業。」 「自分たちで企画した池の出来上がりが楽しみ。」 池は、9月末に完成する予定で、その後の活用方法などについては、話し合って決めるということです。
ザ ロイヤルパークホテル 京都梅小路は、明治のロングセラー商品「マーブル」の60周年を記念した「誕生60周年記念 マーブル尽くしのステイプラン」を7月27日から販売中...
トップ 社会 京都の東を火事から守る「東りゅうくん」 消防署マスコット誕生、京女大生がデザイン 東山消防署のキャラクター「東りゅうくん」とデザインした三好さん(京都市東山区・八坂神社) 京都市東山消防署のマスコットキャラクター「東(とう)りゅうくん」がデビューした。京都女子大(京都市東山区)の学生が、京都を守る四神の一つ、「青龍」をモチーフにデザインした。 同署が、同大学生活デザイン研究所に制作を依頼。所属する生活造形学科3年三好詩乃さん(21)が手掛けた。 東りゅうくんは、京都の東を守護するとされる青龍が消防服を着て、まといを持ったデザイン。角は五重の塔の形になっており、京都らしさも取り入れた。三好さんは「消防隊員の勇ましさと、地元の方に愛されるようなかわいさを意識した」と話す。 13日に八坂神社(同区)で開かれたお披露目式には、東りゅうくんの着ぐるみが登場した。署員と一緒にキャラクターが印刷されたメモ帳を配り、防火への意識向上を呼び掛けた。 関連記事 新着記事
4m2) 2名利用1万5600円~、3名利用1万8200円~ 明治= ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ=
2021年7月29日 06:28 デートの最中、あなたも彼もトイレに立つ機会が少なくとも数回以上あるでしょう。ちまたでは「女性はトイレが長い」などと言われたりしますが、デートの最中に「男性も意外とトイレの所要時間がかかるものなんだなぁ」なんて感じたことがある女性も少なからずいるのではないかと思います。 それもそのはず。だって、男性たちも私たち女性と同じように"トイレの中でしかできないこと"をしているのですから……。 デートプランの確認をしている ・「デートのプランを練り直したり、夕飯で行くレストランの予約をしたりします。こういうのは彼女の目の前でやるよりも見えないところで済ませておいたほうがスマートだと思うので」(34歳/営業/男性) ・「もしかしたら彼女が好きそうなショップがあるかもしれないので、あまり馴染みのないエリアでのデートではトイレ中に周辺施設をリサーチすることが多いですね」(28歳/建築/男性) ▽ スマートに彼女をリードできるよう、トイレ中に下準備を済ませておく男性もいるようです。ひとりになったときでも、自分のことだけではなくふたりのことを考えてくれているのはうれしい限りですね。 次回も、デート中トイレに立った男性がしていることについてご紹介していきます。
VICTORY 2017/8/9 7:00 野球 台風で延期された夏の甲子園が8日、いよいよ開幕した。白球を追う球児たちのプレーぶりは多くの人に感動を与える一方で、甲子園、高校野球にはあらためて考えてみると「なぜ?」と首をかしげたくなる不思議がたくさんある。そのうちの一つが、「なぜ高校野球では金属バットを使うのか?」という疑問だ。金属バット第一世代でもある作家・スポーツライターの小林信也氏の実体験に基づく考察と提言とは? 謎に包まれた金属バット導入の経緯 野球部の監督が、1本の奇妙なバットを僕ら部員たちに差し出したのは、1974年(昭和49年)の春、高校3年になって間もないころだった。 「まだ新潟県にはこの1本しかない」 そう言って、まずは監督自ら打撃練習で試した後、チームで最も長打力のある4番打者に「お前が使え」と、EASTONと記された新しいバットを手渡した。力任せの打撃で竹バットでさえ豪快に折ってしまう4番打者に、「これならお前でも折れないだろう」と、笑いながら渡したのだ。 銀色に輝くバット、それが日本の高校球界に突如現れた「金属バット」だった。 (このバットが試合で使えるのか?) まさかと驚いたが、正式に高野連で使用が認められたという。思えば僕らは、金属バットが採用された初年度に高校3年生だった「金属バット第一世代」だ。 わが4番打者は、春季地区大会でその銀色バットで打席に立ち、「新潟県第1号」と、写真入りで地元紙に紹介された。 正直なところ、その4番打者が金属バットで飛距離を伸ばした、という印象は薄い。 ただ、「折れない」のはたしかに事実だった。 チームの5番打者は、後に新潟明訓高の監督として甲子園でも数々の勝利を記録する好打者・佐藤和也だった。他にも、スイング・スピードの速い3番打者がいたけれど、監督は、彼らに1本目の金属バットを持たせようとはしなかった。金属バットは繊細な打撃センスを持つ巧打者が使うものでなく、ちょっと粗っぽいヤツに持たせるには丁度いい、といった感覚だったのだと思う。 僕も手にして振ってみたが、その第1号バットは重すぎて、手に負えなかった。 いま振り返れば、なぜ金属バットがその年から導入されたのか? その理由や背景は案外、謎に包まれている。巷では「バット用の木の不足」「自然環境の保護」「金属バットは折れないから、高校野球の経費負担を軽減できる」といった理由で何となく了解されている。 アオダモなどの不足は確からしいが、当時広く使われていた合竹バットで足りていたのではないか?
オイルショック(1973年秋)の直後だから、物不足に対する飢餓感は強かった。が、オイルショックでトイレットペーパー不足の騒ぎが起きたのと同じかそれ以上に、石油が高騰するから木製でなく金属バットに移行するというのも合理的でない感じがする。まだ環境意識は高くなかった。 そもそも、硬式野球は安い予算でできる競技ではない。試合球は1個1000円以上する。グローブも高級モデルはいま4万円、5万円の価格が当たり前だ。バットだけを予算削減の対象にして、他の道具のコスト・カットに着手しないのはなぜだろう?