釣ったお魚を料理してくれるお店 シラチャー/バンコク シーチャン島の筏釣りや船釣りなど海釣りが気軽に出来るバンコクですが、釣れたお魚を皆さんはどうしているのでしょうか。 私は自分でも捌きますが、一緒に行った皆さんとお話ししながら食べたいですよね。 そういう時、普段食べに行く美味しいお店で釣ったお魚を調理してもらえたら嬉しいな、 ということで、過去にOKが貰えたお店のリストです。 もう持ち込み出来なくなっていたり、料理人さんや時間帯などで受け付けてもらえない可能性もあるので、 持っていく前に電話 確認必須です 。 和食ばっかりです。お刺身食べたい! 最悪、全店ダメなこともあると思いますので、自分で捌けないようなお魚は、生きて返してあげたいですね 随時更新していきます♪ バンコクの釣具屋さんリスト→ 釣具屋さん5店 船釣りしてきました→ バンコクで船釣りしませんか?
お邪魔したのは、京浜東北線で有楽町から30分弱。 鶴見駅から徒歩7分にある釣り船屋「新明丸(しんみょうまる)」さん。 こちらは初心者さんや女性・子供にすごく優しい船なんです。 こんな感じで色々な魚を釣ることができるのですが、なんと女性&中学生以下は、釣り代が「半額」です! しかも竿など、釣りに必要な道具はレンタルOK! 数に限りはありますが、長靴も貸していただけます。 船のスタッフさんが、エサの付け方から竿の使い方まで丁寧に教えてくれるので、初めてでも安心♪ こんな感じで、初心者さんでも大物を釣り上げることができちゃうかも♪ ちなみに今回のターゲットはフグ。 フグは免許を持ったスタッフさんがすぐに処理してくれるので、そのあたりもご安心下さい。 釣りの後は、そのまま自宅や飲食店に向かっても良いのですが、リフレッシュに銭湯に行くのもオススメ。 今回は釣り船から徒歩5分にある「潮田湯」さんへお邪魔しました。 シャンプー・リンスなどは売店で販売しているのですが、タオルのレンタルがないので、そこだけ注意。 受付けでお願いすると、ハンドタオルは無料で貸してくださいました。 さっぱりしたところで、いよいよ銀座へ。 釣った魚は全てお持ち帰りOK! ご自宅で調理するのももちろん楽しいですが、私のオススメは飲食店への持ち込み。 いつもは釣り船の近くで探すのですが、今回は食事から友人やご家族を誘うパターンを考えて、交通の便を重視。 なんと銀座のど真ん中。 プランタン銀座すぐの場所にある、「博多ほたる 銀座店」さんへ持ち込ませていただきました。 ほたるさんでは、1週間ほど前までに電話で相談し、お店側の都合が良ければ「釣った魚の持ち込み」を引き受けてくださいます。 預けた魚はさっそく調理開始。 カウンターキッチンなので、調理してくださっている様子がよく見えます。 こんな美しくて美味しそうなテッサに、 唐揚げ。 他にも煮付けにお鍋に、美味しすぎるコースに仕立ててくださいました♡ 自分で釣った魚がこんなに美味しいお料理に生まれ変わるなんて、本当に感激! 釣魚持込スーパーの魚屋さんでさばいてほしい!衝撃の事実大公開 | さかなのさ 〜魚美味探求. 立地もいいですし、友達や家族など、大切な人を招待したくなります。 いかがでしたか? 今回は「釣り場の近く」でなく、「友達や家族に来てもらいやすい場所」で、釣った魚を料理してもらえる飲食店を探してみました。 釣りはそれ自体を楽しむのはもちろん、「釣りたての美味しさを大切な人と分かち合う」ことが楽しいアクティビティです。 ぜひ立地バツグンの銀座で、大切な人をおもてなししてみてください♪ ちなみに料金の目安は下記になります。 【釣り船:新明丸】 女性:約¥5, 300(税込) 男性:約¥9, 800(税込) 小・中学生:約¥5, 300(税込) ※乗船、竿などレンタル、仕掛け、エサなど含む ※季節やプランによって変更される可能性があるので、詳細は船にご確認下さい。 【銭湯:潮田湯】 中学生以上:¥450(税込) 小学生:¥180(税込) 【飲食店:博多ほたる 銀座店】 持ち込んだ魚の調理代:約¥2, 500(税別) ※魚のサイズや量・魚種で上下する可能性があります。詳細はお店にご確認下さい。 ※釣った魚以外の飲食代は別でかかります。 その他注意事項 ※本プランは必ず魚が釣れることを保証するものではありません。自然が相手であることだけご承知下さい。
確かにたくさん釣れれば嬉しいですし、見せびらかしたくなる気持ちもわかります。 しかし、それはあくまで自分の趣味レジャーでしかないわけです。 そんな遊びのために時間的制約の大変な魚屋さんへ持っていってさばかせるというのは誰も得しないですよね。 自分でできないようであれば相手状況も考えないといけないと思います。 特にひどいのが自分で船を持っている人です 。 船を所有しているということはおそらく経済的にも恵まれているんでしょう。 社会的立場も高い人なのかもしれません。 調理依頼されるときでも自分の部下に言うようにやって当然の言い方をします。 または、お金を払うんだからやるんだろう的な高圧的な方もいます。 自分は魚さばくような汚い作業はしたくないとばかりに大量の釣れた魚を持ってきます。 そしてそういう人に限って自分はそのお店の本部の偉い人を知っているとか吹聴します。 ロータリーですかライオンズですか? まっ、いずれにせよ、こういうときは必ず丁重にお断りさせていただくことにしています。(笑) まとめ どうしても魚をおろしてほしいときはやはりお願いしましょうね。 お金を払うからやって当然だと思っているようならすみませんが調理は一切お断りさせていただきたいと思います。 ただ、今回は持ってこられて切なそうにしている奥様に免じて調理させていただきます。次からどうぞ他をあたってください。 これがおそらく全国の魚屋、スーパーの水産担当が心の底から叫びたい本当の気持ちだと思います。 おそらく絶対言わないと思いますけど。 ここで釣りをされるみなさんにお願いしたいのは、 釣りをするなら基本自分で捌いてください。 捌いてもらうなら相手の都合を考えてあげてください。 本当に困っている人は遠慮なくお持ちください。 ということです。 ここを押さえて調理依頼すればスーパーの魚屋さんもスムーズに受けてくれてお客さんもイヤな思いせずに済むと思います。 今回は釣り魚の持ち込みについて受ける側の本音を衝撃公開させていただきました。 少しお読みいただきにくい点あったことをお詫びします。 長文ご精読ありがとうございました。 <終わり> トップページへ
話が違うだろ!」みたいに怒ってくるんだけど。 ──同じ芸能取材とはいえ、活字と映像の違いで戸惑ったことはありますか? 前田 テレビの世界というのは常に横でカメラが監視しているわけだから、やっぱりその部分が最大の違いだと思うんです。相手の困惑している表情も入る。息継ぎしている音も入る。言い逃れがきかないというか、すべてが収録されてしまうんです。たとえば突撃取材に対して相手が無言で逃げる場合、その走っていく様子も放送される。もちろんこちらが追いかける様子も映される。その逃げ惑う様子が面白いということで、ワイドショーが人気になっていったわけです。 ──活字では伝えきれないリアルさが映された。 前田 ところがその一方で「あいつら、あそこまでやっちゃっていいのかよ?」という批判の声も出てきた。だけど、そのへんの問題というのは非常に曖昧だったんですよね。ちゃんとした法律がなかったから。いや、正確に言うなら「名誉毀損」という犯罪はあったんです。だけど、どこまでが名誉毀損なのか定義できていなかったわけ。芸能人に毀損される名誉はあるのか? 音事協とは 裏. それまでまったく議論されていなかった領域だったので。 ──「そもそも公人にプライバシーは存在するのか?」という話にも繋がります。 前田 ズバリ言って、そこの問題ですね。だけど結論から言うと、芸能人にもプライバシーは存在する。裁判で「公人でもプライバシーはある」という判決が出ましたから。一度前例が作られると、もう覆らないですよ。それが90年代に入るちょっと前の時期だったと思う。逆に言うと、その前の時代はやり放題だったんだけど。もう本当に野放しだった。まず芸能人というのは政治家や官僚と同じく公人の扱いですよね。そして悪いことをしたら、法の裁きを受けて報じられるのは一般人と同じ。では、不倫はどうなるのか? 道徳的には悪かもしれないけど、法に抵触する問題ではない。今、『文春』が躍起になって不倫を扱っているのは、結局、法に引っかからないからですよ。不倫報道に関しては、昔から今に至るまでずっとグレーゾーンのまま進んでいるんです。 肉は斬るけど骨は断たない。「前忠的」芸能取材の極意 ──芸能スキャンダルに関しては、世論がどう反応するかということも大きいのではないですか。「さすがにマスコミもやりすぎだろ」という声が大きくなれば、そこに大義はなくなるわけですし。 前田 「歌は世につれ、世は歌につれ」じゃないけど、世の中の声というのは時代によって変化していくものなんです。結局、国民に共感されたらOKということなんでしょうね。政治だってそうじゃないですか。今だったら大問題になるような発言を、昔の政治家は平気でしていましたから。世間もそれを見過ごしていましたしね。僕自身、「どうしてもそれは許せない!」と詰め寄られて、坊主になったことが2度あります。 ──自分がミスを犯して、視聴者や局側に反省の意を示した?
前田 もともと僕は演劇をやっていたんですよ。学生時代から劇団に入っていて、卒業してからは自分の劇団を作ったりもしましたし。唐十郎が僕の先輩にあたるんですけどね。唐十郎、蜷川幸雄……そのへんの連中とは、よく演劇論を戦わせながら遅くまで呑んでいました。天井桟敷の彼だけは、なかなか顔を出さなかったけど。 ──寺山修司さんですか。すごいメンツですね。 前田 でも新劇っていうのは、とにかく食えなかった! 寺山のところだけは人気があったけど、それ以外は全然ダメでね。そもそもアングラ劇団なんて、劇場も借りられないんだから。これじゃしょうがないだろうってことで、僕はロンドンに留学したんです。本場でシェイクスピアを学びたかったから。でも向こうでも本当に貧乏で、バイトをしていても生活は本当に苦しかった。結局、2年間の予定が挫折して1年半で帰ってきましたね。それが1969年くらいの話だったと思う。もうこのころは完全に演劇から足を洗うつもりでした。 ──『女性自身』には、どういうきっかけで? 前田 そのロンドン時代、光文社の社員と知り合いになったんです。その人に紹介してもらったんですけどね。ちょうどそのころ、光文社の社内は労働組合が反旗を翻してグッチャグッチャの状態になっていたの。社員が何十人も辞めていたしね。そのドサクサに乗じて僕は入った感じです(笑)。最初は社員という話だったけど、結果的には契約社員みたいな扱いだった。要はフリーランスだったんですよね。 ──話を伺っていると、前田さん自身は硬派な演劇青年だったわけですよね。まったく違うジャンルに進むことに抵抗はなかったのですか? 前田 いや、あっという間に軟派な芸能記者になりました(笑)。というのも毎日が刺激的で面白かったからね。編集部に入ると、見たこともないような猛者がたくさんいました。また日本の芸能界というのも、当時は半分以上がコレ(※頬を人差し指でなでるジェスチャー)でしたから。荒々しい世界だったんです。たとえば地方のキャバレーとかで興行があるでしょう。でも、チケットなんか存在しないわけよ。客からその場でカネをもらってバケツに突っ込むと、溢れないように足で踏み潰しているわけ。ちなみにそのバケツ係の若手スタッフは、今、某大手プロダクションを率いている超重鎮ですけどね。 ──かつては神戸芸能社(※暴力団・山口組が3代目・田岡一雄体制のときに作った興行会社)などが芸能界のど真ん中にいましたし。 前田 そうなんです。僕が編集部に入ったのはそういう時代の終盤くらいだったから、まだヤクザとの付き合いは当然のようにあった。たとえば僕たちがタレントから直接話を聞こうとすると、事務所は嫌がるわけですよ。「話をするなら、事務所を通せ」って。まぁそれは今でも変わらないですけどね。ただ当時は言い方が下品で、「この野郎!
前田 いや、違う。プロダクションが怒っていたから、そうするしかなかったんです。事務所側の言い分としては「なんで俺が言った通りに報じないんだ!? 話が違うじゃないか!」ということだったんです。ただ取材を進めていく中で、その事務所関係者のコメントとは違った事実が明らかになってきた。だから番組としては、そちらの取材内容を放送したんです。「あれだけ俺がこうやって放送しろと言ったじゃないか!」「でも、取材したら事実は聞いた話と違っていましたから」「いや、絶対に許さない」……そんな応酬がずっと続きましてね。訴えるという話も出たんだけど、それはそれで時間がかかるし、本音はお互い裁判沙汰は避けたいわけですよ。それで僕が丸坊主になるということで手打ちになった。向こうとしてはメンツの問題なんでしょう。「忠明を坊主にしてやったぞ」ということで留飲を下げたというか。 ──タレントや事務所と100%対立したら、先方も態度を硬化させて取材ができなくなるはずです。かといって向こうの意のままに報じていたら、単なる提灯になってしまう。そのへんのバランスは、どのように取っているんですか? 前田 そこは、すごく重要なポイント。どんなに誰かを糾弾することがあっても、100%で叩くのはダメなんです。85%にとどめておいて、最後15%の猶予を残しておく必要がある。誰かタレントが覚せい剤で捕まったとします。もちろん社会的には許されないことかもしれない。しかし放送するときは「でも、本当はこういういい部分もある。あの人は絶対に立ち直るでしょう」という一言を挟んでおく。そうすると、だいぶ印象が変わるんです。事務所も「忠明の奴、最後にいいことを言ってくれたな」と捉えてくれますし。 ──絶妙なバランス感覚です。 前田 僕は何かを扱うとき、「徹底的に打ちのめす」ということはしないんです。肉は切るけど、骨までは切らない。今のネット社会というのは、対象をズタズタに容赦なく切るでしょ? それどころか、相手が死んでいるのにまだマシンガンを撃ち続けるような冷酷さがある。これは経済が停滞しているから、日本人の心が荒んでいるというのも理由だと思うんですけどね。特に若者はそういう傾向が強いんだろうな。救いがないよ。 芸能ニュースの分岐点・「アンナ・羽賀騒動」 ──芸能畑を歩み続ける中、ターニングポイントになったと感じる事件はありましたか?
芸能記者&リポーター歴49年、いまだ現役の前田忠明氏。芸能界の隅々までを知り尽くしたレジェンド「前忠」に、ワイドショー全盛期のウラ話、梨本 勝との関係、そして現代の芸能界のコンプライアンス問題まで縦横無尽に語ってもらった――。 (企画・撮影:丸山剛史、執筆:小野田衛) フジテレビの芸能顧問は結構ハード ──最近は『とくダネ!』で前田さんを見かける機会も減ってしまいましたが、どういった活動を?
指を詰めるぞ!」みたいな恫喝もされた(苦笑)。そんなことが続くとさすがにうんざりしてくるから、だんだん芸能プロダクションの人たちとも昵懇の間柄になっていくわけです。今、大手の事務所で幹部をやっているような偉い人たちは、あの記者時代に知り合ったというケースが多いんですよね。もちろん亡くなった方も多いんですけど。 原稿の基本は「セクハラ」? ──記者だと原稿を書く技術も必要になりますよね。 前田 でも、最初は記事なんて書かせてもらえなかったですね。書くのはアンカーの人に任せて、自分はひたすら足を使ってネタを集めるだけ。当時、僕の師匠は(のちに田中角栄と佐藤昭の関係性をスクープした)児玉隆也さんでした。その関係で鎌倉まで川端康成の原稿を取りに行ったりもしましたよ。それから張り込みもしたし、タレントの家に行って近所のゴミ箱を漁ったりもしたし……。 ──ゴミ箱を漁る? それって立派な犯罪じゃないですか(驚)。 前田 今なら一発でアウトだよね(笑)。だけど当時は先輩から「何やっているんだ! こうやって漁るんだよ!」って教えられましたから。あとは業界内のリークというのも多かった。たとえばAという事務所とBという事務所が敵対していた場合、Aを面白くないと考えているB側からタレコミがあるわけです。内容はAに所属するタレントの悪口や醜聞ですよね。取材方法としてはダーティどころか真っ黒だったけど、そういう時代だったんです。原稿の書き方や編集テクニックに関しても、編集部でイチから教わりました。最初はアンカーマンのために鉛筆を10本削って、机の上に揃えるところから始めるんですよ。それからしばらくすると、ペラ(原稿用紙)を前にして「いいか? こうやって書き始めると読みやすいんだ」みたいに先輩から細かく指導されて。 ──キャリアを積むうえでは、恵まれた環境だったのかもしれません。 前田 そうだね。あのころ、よく言われたのは「セクハラ」という言葉。といっても、セクシュアルハラスメントのことじゃないですよ。「セ」は正確性。「ク」は詳しさ。「ハ」は速さ。「ラ」は楽勝……小難しいことをこねくり回すのではなく、容易に読ませようということだよね。正確に、詳しく、速く、楽に読める文章を書く。これが基本なんだと叩き込まれました。 ──なるほど。時代を超えて通用する話です。 前田 そのころは『週刊文春』や『週刊新潮』が芸能人の不倫ネタを追いかけるなんて考えられなかったですよ。『週刊ポスト』や『週刊現代』にしたってそう。つまり『女性自身』の競合は女性週刊誌だけだったんですよね。当時、小学館『女性セブン』にいたのが亡くなった福岡翼。講談社『ヤングレディ』にいたのが、これまた亡くなった梨本勝。祥伝社『微笑』にいたのが須藤甚一郎。のちにテレビで芸能リポーターをやる連中は、みんな女性誌出身で同じような経験をしているんです。鬼沢慶一さんだけは『スポーツニッポン』『報知新聞』と渡り歩いたから、取材のアプローチも新聞流でしたけど。 ──『セブン』『週女(週刊女性)』『微笑』とは横の連帯感もあった?
前田 パッと思いつくのは、梅宮アンナと羽賀研二かな。あの一連の騒動は、かれこれ5年くらい続いたんですよ。われわれにとって芸能ニュースとは、長引けば長引くほどビジネスとしてはオイしいんです。あれは梅宮辰夫の反対から始まって、くっつく・離れるの騒ぎを何回も起こして、そのうちカネが絡んだ話になってきて、最後は黒社会の問題で終わるという大河ドラマ。あるとき、梅宮アンナから言われたんですよ。「前田さん、私は最後のスクープを持っている。これを話せる人は、あなたしかいません」って。それまで散々と切れる・切れないを繰り返していたけど、その時点で彼女は完全に別れることを決意していたんですよね。それでインタビューをオンエアしたのが、あの騒動の締めくくりになったんです。 ──それは取材相手に信用されていたからこそ取れたスクープですね。 前田 ところが参ったのは、オンエア翌日の新幹線の席がたまたま梅宮辰夫の隣になっちゃって……。もう気まずいったらなかったよ(笑)。たっつぁんは「娘のためにありがとうな」とか言ってくれましたけどね。それより僕が驚いたのは「だけど羽賀の野郎というのは本当に希代のワルだけど、どこかいいところもあるんだと思うよ」ってそれでも言っていたこと。 ──え~!? お人よしすぎませんか!? 前田 根本的に性格が優しかったんだろうね。そして、このアンナ・羽賀騒動くらいのタイミングから、少しずつ芸能ニュースというものが変わり始めるんです。「コンプライアンス」という言葉こそなかったかもだけど、そういう概念が会社の中でも出るようになりましたし。さらに音事協(日本音楽事業者協会)という団体が大きな存在になってきたんです。 ──それまでは音事協はどんな存在だったのでしょう? 前田 もちろん音事協という組織は昔からありましたよ。ただ、「過去の映像は使うな」とか「タレントにとってマイナスになる報道はするな」とか細かく口を挟むようになったのは梅宮騒動の前後から。梅宮辰夫というのは天下の東映の大スターだから、さすがに看過できないということだったのかもしれないですけどね。 それから音事協の他に、大衆のワイドショーに対する見方も変化しました。リポーターが楽しそうに芸能人を追いかけている。それも別れるだ、切れるだといったどうでもいい話についてです。楽しいは楽しいんだけど、「ちょっとしつこいんじゃない?」という声がそろそろ大きくなり始めたんですよ。要するに時代の空気が変わったんでしょうね。ましてやテレビ局というのは国から電波を借りたうえで、全国放送しているわけですよ。「それなのに、そんなくだらなくて汚いものを流してどうする?」という意見です。 ──下世話なものに対する抵抗感が生じた?