ココがキニナル! 昭和30年ごろ、六角橋にはロバが屋台を引いているパン屋さんがいて子供たちに大人気だったそう。どこからパンを売りにきて、いつごろまできていたの? (ねこぼくさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 【懐かしみ】ロバのパン屋へダッシュで買いに行ったお話【静寂を切り裂く歌】 – 愛媛グルメナビゲータ―. 「ロバのパン屋さん」は山下町の「星野商店」が昭和3年ごろはじめ、昭和30年代後半まで六角橋に来ていた可能性が高い 楽しい移動販売!? "ロバが屋台を引いてやって来る"というパン屋さんは、どのようなものだったのだろうか? どうやらいわゆるパンの移動販売をする店のようだ。現在自動車を中心に行われている移動販売。その普及まで、ロバ・馬・牛などの動物が力仕事の担い手となっていた時代があった。 可愛いロバが美味しいパンを売りに来るのは嬉しいものだ! (フリー画像より) そんな「ロバのパン屋さん」があったとしたら、確かにキニナル。 そこで、まずは六角橋へ行って「ロバのパン屋さん」をご存じか聞いてみることに。 六角橋で覚えている人はいるのだろうか? 現在の六角橋近辺は、車の往来も激しく、「ロバのパン屋さん」が来ていたのどかな様子は想像しにくい。 六角橋近辺の様子 まずは、この地で古くから営業しているお店の方に聞いてみた。 星野陶器店さん 星野陶器店さんは、関東大震災後からこの地で営業。現在のご主人は、1955(昭和30)年ごろ、12~3歳くらいで、「"ロバのパン屋さん"というものがあったという話は聞いたことがあるが、見たことはない」とのことだった。 星野陶器店さんと通りを隔てたところにある、以前「 六角橋に牧場があった ?」に登場した末廣園さんにも聞いてみることに。 六角橋の生き字引、末廣園さん 末廣園のご主人も、1955(昭和30)年ごろは12~3歳くらいだったそうで、「ロバのパン屋さん」を見たことがあるような気がするが、パンを買ったことはない、とのことだった。 その後も、ご近所の商店何軒かで聞いてみたり、道を歩いている地元の年配の方12人にも聞いてみたりしたが、星野陶器店や末廣園の店主同様「聞いたことはあるが、見たことがない」と口をそろえて言っていた。 残念ながら、六角橋では手掛かりが見つからなかったので、次に、インターネットや資料などで調べてみることに。 札幌が「ロバのパン屋さん」の発祥の地だった!? 「ロバのパン物語」という本を参照すると、昭和の初めごろからその後30年ほど、全国的にロバや馬を使ってパンなどの移動販売が行われていたということが発覚。 「ロバのパン物語」の様子 日本初の「ロバのパン屋さん」は、札幌にある石上寿夫(いしがみとしお)さんの店。1931(昭和6)年に「ロバパン石上商店」を創業、偶然譲り受けた一頭のロバを「ウィック」と名づけ、馬車を引かせてパンの移動販売を行っていた。そして、当初パンづくりは全くの素人だった石上さんは「ロバで馬車売りのパン屋をやれば、子どもたちに夢を与えられる」と考えたようだ。 ロバのウィックと石上さん(『ロバのパン物語』より) ウィックは数年で引退、その後は数頭のロバが役目を引き継いだが、終戦後「ロバに重い馬車を引かせてはかわいそう」と行商をやめ、小売店への卸しや学校給食への供給に営業方法を変える。 本には仲の良い様子の石上さんとウィックの写真が載っている(「ロバのパン物語」より) 「ロバのパン屋さん」はフランチャイズチェーンの走りだった!?
おっちゃんの勘により 車を走らせている模様 うちのへんにきたのは初めてだったので また来てとリクエストしておきました(´▽`) 人気ナンバー1商品は? 1位から5位まで紙に貼ってあったのに (移動車の中に) 忘れてしまった… けど、1位は買ったので覚えてる!! これだよ、これ! レーズンカステラ おっちゃんがふわふわやでと トングで生地を押して見せてくれたほど やわらかくふんわりした生地のトッピングに レーズンがちりばめられてます おっちゃん『一番おっきいの選んであげるな~』 といって、選んでもらったのがこれ わかります?
蒸しパンの移動販売車「ロバのパン屋さん」 - YouTube
テレビや雑誌などのメディアで「億万長者の男」「大当たりが連続する福女」など、宝くじを立て続けに当せんさせている人を見たことがある人も多い...
「先見の明」の意味とは?
今度さっそく読んでみようと思います。 お礼日時: 2010/2/15 15:06