コロナが猛威を振るっています。
GOTO が槍玉に挙げられていますが、私には違うような気がします。
( 潜伏期間を考えると)
10 月の自殺者は 2000 人を超え、昨年比 39 %増。
コロナで死んだ人より多いのです。
経済が行き詰まると自殺は増えると言われます。
コロナとの因果関係は無いとは言えません。
GOTO を止めた時の経済も心配です。
さて我々写真界には GOTO など、そもそも有りません。
大打撃を受けました。
それが原因としか思えない言動を周りで繰り返し見ました。
正直、それらに心を傷めています。
共に目指すものが有った友人達がまるで壊れて行く様に目に写りました。
人は精神で生きています。
苦痛に耐えられる器の大きさも個性同様に千差万別。
人には分かりません。
精神科医でも無い私にどうにかする事など出来るはずも有りません。
ただただ願わくば、早くコロナが終息する事のみ。
亀裂の入った友たちとの関係を修復するのは時間が解決するでしょう。
私はひたすら今まで同様に生きていくだけです。
「孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。」
仏陀
林の中の象の様に|お知らせ・ブログ
」でしょう。
それにお釈迦様が言ってるのは「 見つからなかった時 」の場合です。
最初から「 友達なんかいらない! 」と開き直れということではありません。
もしも「 孤独に歩め 」の部分だけで受け取ってお釈迦様の本意を誤解している人がいたら、是非とも考え直していただきたいところです。
ま、私は友達すらいませんけども(笑)
スッタニパータ
『 スッタニパータ 』( 巴: Sutta Nipāta )は、セイロン( スリランカ )に伝えられた、いわゆる 南伝仏教 の パーリ語経典 の 小部 に収録された 経典 のこと。
「スッタ」(Sutta)は パーリ語 で「 経 」の意 [1] 、「ニパータ」(Nipāta)は「集まり」の意、あわせて『 経集 』の意となり、『 南伝大蔵経 』のような パーリ語 経典日本語訳の漢訳題名でも、この名が採用されている [2] 。
文字通り古い経を集めたものであり、その一部に対応する漢訳経典としては『 義足経 』( 大正蔵 198)がある [3] 。第4章と第5章に対する註釈として、 サーリプッタ ( 舎利弗 )の作と伝承される同じく小部に収録されている『 義釈 』がある [4] 。
スッタニパータ - Wikipedia より
ネットを「 孤独に歩め 」で検索していると、チラホラ「 『犀の角』と取り違えて『象』になってるんじゃない? 」的なものを見かけますが、これ違います。
『 ダンマパダ 』は初学者が学ぶ入門用テキストであるのに対し、『スッタニパータ』はかなり高度な内容を含んでいるため、必ずしも一般向けではない。
有名な「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズは、 ニーチェ にも影響を与えた [5] 。
南方の 上座部仏教 圏では、この経典のなかに含まれる「慈経」、「宝経」、「勝利の経」などが、日常的に読誦されるお経として、一般にも親しまれている。
「 ダンマパダ 」と「 スッタパニータ 」
「 初心者向け 」と「 高段者向け 」
同じような「 孤独に歩むこと 」について語られたものでも、微妙に内容が違いがあるです。
こちらについては一気に書くととても長くなるので、またそのうち。
なんせ、 ニーチェ に影響与えたぐらいなもんですしね。
こちらのお話でも書きましたが、お釈迦さまは「 相手に合わせて 」語られる内容やレベルを変えられていましたしね。
「 スッタパニータ 」などに残されているものが、お釈迦さまの「 俗世を超越されている 」イメージを固定させたのだと思います。
一般人にゃ、まず真似するの無理。
そうそう、像と言えば。
私は グレゴリー・コルベール ( Gregory Colbert) と言う写真家が好きです。
まただパオォ〜ン。
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映画「イノセンス」の中で時折登場する、仏陀の言葉。出典はサイト上追うと複数出てくるので割愛するが・・。
この部分のみだと非常に格好が良い、孤高を行く聡明な賢者が目に浮かぶ。大好きな好きな言葉なのだが、実のところ重いと言うか。身につまされると言うか。と、言うのはこの言葉には前述があり、
「もしも、思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、ともに歩め」
「それができないならば、愚かな者を道伴れとはするな。国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め」
平たく言えば、 「つまらん女(男)に引っかかって所帯持つぐらいなら、独身通せ!」 、と。
婚姻訓である、つまりは。(笑)
真理ではあるが、これは少し難しい。、いや相当に難しい。 多くの場合 「それは誤解と勢いで行われ、多くの場合諦めをもってこれに耐える」 のだから。(笑)
やはり、この言葉はタイトルの部分のみで使われる方がイイ・・。