画像数:114枚中 ⁄ 1ページ目 2017. 10. 23更新 プリ画像には、大倉忠義 蜘蛛女のキスの画像が114枚 あります。 一緒に KinKi 、 関ジャニ∞ も検索され人気の画像やニュース記事、小説がたくさんあります。
と思いました。実に素晴らしい戯曲ですが、演じるのはかなり難しい。当然、尻込みしました。でも暫くして思い当たります「大倉君もきっと同じ気持ちなのでは…?」と。そしたら、自然とやる気が出てきました。演出の鈴木裕美ちゃんと芝居を創るのは久し振りです。彼女は掛け値なく信頼できる演出家です。大変心強いです。大倉君とは初共演になります。非常に楽しみです。きっと稽古が始まれば、越えなければならない幾つもの山が待ち受けている事でしょう。でも一つ一つ、お互いを確認し合い、登って行ければと思います。何卒、宜しくお願い致します。 鈴木裕美コメント 「蜘蛛女のキス」は今まで私が演出させて頂いた戯曲の中で、その素晴らしさに於いても、難易度に於いても、指折りだと思います。ストレートプレイ初舞台の大倉さんにとって大変高いハードルであるのは間違いありませんが、 先日お目にかかった時「嘘をつきたくない」と仰っていたので、大変頼もしく感じました。いっけいさんと3人で、持てる想像力を最大限に駆使した稽古をするのが待ち遠しいです。 「蜘蛛女のキス」 全文を表示
式子内親王 しょくしないしんのう 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする たまのおよ たえなばたえね ながらえば しのぶることの よわりもぞする 意訳 わたしの命など、絶えてしまうなら、もう絶えてしまえばいい。生きながらえると、この恋を耐え忍ぶ力がなくなってゆくの。 歌の種類 恋 『新古今和歌集 恋歌一1034』 決まり字 たま のおよ たえなばたえね ながらえば しの ぶることの よわりもぞする 語呂合わせ 玉忍ぶ(たま しのぶ) 人物 式子内親王(1153年?
朝日日本歴史人物事典 「式子内親王」の解説 式子内親王 没年:建仁1. 1. 25(1201. 3.
新古今和歌集の 玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば忍ぶることのよわりもぞする という歌の 修辞技巧、解釈、鑑賞 を教えてください!
式子内親王 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞす この詩歌の ①状況は、 ②誰に対する ③どんな思い を、教えてください。 中学校 ・ 423 閲覧 ・ xmlns="> 100 ①、歌にもあるように「忍ぶること」なのでつまり公にできない恋の状況 ②、相手は歌の師である藤原俊成の息子である、藤原定家(新古今集選者)と言われています。 ③、上の二つから、相手は10歳以上年下の、しかも師の息子、そのうえ自分から見れば臣下にあたります。とても許される恋ではありません。「忍ぶること」ではありますが、内親王の恋心はとても熱いわけです。その思いを歌にしたのがこれです。
しかし、式子内親王の場合は「もしかするとガチなんじゃ?」ともいわれています。 百人一首の選者・藤原定家とのそれっぽいエピソードがあるのです。 彼の名前については一般的に「ていか」でも「さだいえ」でも通じるようですので、お好きなほうでお読みください。誰が言い出したのかよくわかりませんが、このあたりの時代の歌人ではよくあることです。 まあそれはともかく、式子内親王と定家は当時からウワサを立てられるほど親密な関係だったとされています。 皇女のたしなみとして、式子内親王は定家の父・俊成から和歌の教えを受けており、その繋がりで定家ともいつしか親しく話すようになった……と考えてられていることが多いようです。 なぜはっきりしないか? というと、上記の通り内親王であるからには自由な交際することは本来できないはずですから、異性と親しくなること自体がマズイということになりますよね。そのためはっきりした記録はなく、この話は推測に留まっています。 定家自身の日記である『明月記』が唯一といってもいい記録で、ここから二人の関係をアレコレ想像する人が増えました。 能の「定家」などもこれを元ネタにしています。 この演目は15世紀= 室町時代 にできたものですので、それ以前から二人のことをそういう関係だったと思っている人が多かったということになります。 内親王から定家に歌を送ったことがあるとか、風邪をひいたと聞いて何回もお見舞いに行ったとか、そんな感じのことが多く書かれているので確かにそう取れなくもないですけども、そもそも男女の関係なんて他人が入るものじゃないですから、下世話極まりないですよね。 式子内親王のほうが一回りほど年上なので、個人的には生々しい関係というよりも定家にとって「初恋の人」だったんじゃないかなあと思います。 「史実と物語を両方知り、同一視しない」姿勢でいたい そんなわけで、数多いる皇女の中でも式子内親王は比較的知られた存在になったのでした。 能や小説はお話として楽しむに留め、「アレで表現されていたのが実際の本人だ! !」と思い込まないようにしたいものですね。 高橋お伝や江島など、お芝居やお話の中で不当に貶められた女性はとても多いですが、21世紀にもなって同じことをし続けるのもどうかと思いますし。 とはいっても、多分その手の創作はなくならないんでしょうけどねえ。 クズ男に翻弄され斬首刑に処された「高橋お伝」の不憫すぎる一生 続きを見る 「史実と物語を両方知り、同一視しない」 そんな考え方が当たり前になると良いのですが……。 式子内親王のお墓/Wikipediaより引用 長月 七紀 ・記 みんなが読んでる関連記事 大天狗と称された後白河天皇(後白河法皇)若かりし頃を振り返ってみる 続きを見る クズ男に翻弄され斬首刑に処された「高橋お伝」の不憫すぎる一生 続きを見る 【参考】 国史大辞典 「式子内親王」 式子内親王 /Wikipedia TOPページへ - 飛鳥・奈良・平安 - その日、歴史が動いた, 女性, 藤原家
73-83 1995年 岩波書店 今村みゑ子 「『明月記』(治承四五年)を読む(解説「定家と式子内親王の恋」)」 『明月記研究』 5号 pp.