旧暦のお正月もほとんど祝わない、年日や生まり年も良く知らない。 しかしながら、バレンタインデーやクリスマス、ハロウィンは知っているどころか毎年欠かさない、という外国の、西洋の行事や習慣は積極的に行うが、琉球の本来の慣習には見向きもしない我々琉球人。 こう書くと琉球の年日や生まり年も、もとは中国文化からの影響でオリジナルではないのではとの反論もあるでしょう。 確かにそうです。 だからこそ私が言いたいのは、せっかく琉球はチャンプルー文化なのだから、西洋式の誕生日も行い、年日や生まり年も同様に祝う。 旧暦の1月2日から13日までの12日間、毎日誰かの年日が行われる! ステキです。 これを大きな行事にし、西洋人に琉球式の誕生日も試してみてはと積極的にこちらの文化も伝えましょう。 そうすることが真のお互い対等の文化交流だと言えるのではないでしょうか。 西洋人に年日・生まり年を教える前に我々琉球人がまずは復活させないとですけど。 最後にコロナ後の提案。 近年、73歳の生まり年はあまり祝いませんが、かろうじて85歳と97歳は祝います。 けれども13、25、37、49、61歳も現代式のアレンジでパーティーをホテルやレストランなどで盛大に行いましょう! しかしながら問題は「年日」です。 この旧暦1月2日から13日まで毎日連続して行うという小さなお祝いは現在まったくといって良いほど行っていません。 これを大きく宣伝し、「年日自宅パーティー」とか、「第二の誕生日」など、皆が喜びそうな名前を付けて行うことを私は強くおすすめしたいです。 そしてお祝いの呼称ですが 年日のお祝いは 年日祝(とぅしびーゆーをぇー) と言い、 生まり年のお祝いは 生年祝(そーにんゆーをぇー) ともいうことを記しておきます。 ところでトップの写真ですが、戦前の琉球美人女性のスナップです。年日や生まり年とは特に関係ありませんが、こういう着物を着て12年に一度の生まり年のお祝いに写真を撮るのも素敵ですね。
!」と今度はしっかり確実にHGとして答えました。 酒が入っていたとはいえ、かなり恥ずかしかったです。 最後に一等賞を取ることができましたが、 あんな思いをするくらいだったら、一等賞いらなかったです。 それからしばらくは「あとぅまさい かふ」嫌いでした。 あれから月日は流れ、時間が過去の傷を癒してくれたので、今ではお気に入りの昔言葉です(笑) 「男女にまつわる昔言葉」へ続きます→ 1 2 3 4 5 次のページへ ≫
「全然、まだそんな話は」 ─信頼するスタッフを誘っている? 「(さんまのマネで)"めっかっちゃった! "って言いたいところですけど、してないですよ(笑)。誘ってるのは、うちの嫁ちゃんぐらいですね」 具体的な話は否定しつつも、新しい挑戦について続けた。 「(芸歴は)もう20何年ですからね。コロナ禍で"副業したほうがいいのかな"とかそういうことをいろいろ考えて、"独立もアリなのかな"ぐらいの感じです。あくまで選択肢の1つとして」 副業についてはこう語る。 「"若手ものまね芸人育成"とか。芸人としての仕事に加えて、別のかたちでも、ものまね界に貢献できればなと」 ギャラの取り分への不満については、キッパリと否定。 「子どもが4人もいますから、もちろん(お金も)大事だとは思いますけど、僕1回も文句言ったことないですよ。もう45歳なんで"そろそろ新しいことしてもいいかな"なんてぼんやり考えてる状態です。事務所とケンカする気はいっさいないんで、頼みますよ! 石橋貴明と鈴木保奈美が離婚?卒婚報道の真相は?娘が関係してる? | 気になるマガジンDOGYEAR. (笑)」 "ほな、また! "とさんまのマネで直撃取材を締めくくった原口。家族思いの"ものまね怪獣"が、さらなる進撃を果たす日も近い! ?
「私、バラエティー番組でNGナシだったんですよ。トークが苦手なんで、体張って全力でがんばるしかないと思って。でも最近は大股開きで転ぶのとかもちょっと違うかなって思って『チクビ長いんですよ』って言ってたら、その番組をたまたま加藤茶さんが見ていて、『奈々ちゃん、女の子なんだからチクビの話はしちゃダメだよ。自分を大切にしな』って。だから今はチクビの話だけはNGです(笑)」 そう語るのは、おバカキャラでブレイクし、2010年代後半の「隠れ視聴率女王」と呼ばれた鈴木奈々(32)。出身は茨城だが、高校3年生の時に渋谷でスカウトされ、ギャル系ファッション誌「Popteen」で読者モデルとしてデビュー。(全2回の2回め/ 前編 を読む) 鈴木奈々 ©️文藝春秋 テストは0点ばっかりでした 2011年に23歳で「踊る! さんま御殿!! 事業所詳細情報 就労継続支援A型事業所 ここら. 」(日本テレビ系)に初出演すると、「新おバカタレント」として底抜けの明るさで一躍人気に。しかし現在も茨城で暮らし、都内へは往復生活を続けている。知られざる私生活と「おバカ」の行方について話を聞いた。 ©️文藝春秋 ——鈴木さんは高校生の時にスカウトされて芸能界入りしていますが、当時はどんな高校生だったんですか? 鈴木 本当にバカで勉強できなくて、テストは0点ばっかりでした。高校には毎日行ってたんですけど、私の教科書はギャル雑誌で、1時間目が「Ranzuki」、2時間目が「egg」、3時間目が「Popteen」みたいな感じでした。みんなが英語や数学の勉強をしてるときに、私はファッションやメイクの勉強をしてました。それで9科目でオール1を取って退学になりました。でも退学になる前に、夢が叶ってギャル誌のモデルになれたんですよ。 中学生の頃の鈴木奈々 本人提供 握手会で益若つばさからスカウト ——デビューのきっかけは渋谷でのスカウトということですが、109とかそういう場所ですか? ギャル時代の鈴木奈々 本人提供 鈴木 大好きだった益若つばさちゃんの握手会に行って、本人にスカウトしてもらって「Popteen」の読者モデルになったんです。でも18歳から23歳まではずっとフリーで読者モデルをやってました。当時は事務所に入るのがちょっと嫌だったんですよね。なんか「彼氏は作っちゃダメ」「これやっちゃダメ」とか色々細かく禁止される先入観があって、縛られると思っていたんです。今の事務所に入ったのは、先輩モデルだった小森純ちゃんに誘ってもらったから。自由にできなさそうだったら辞めればいいや、と思って入りました。でも今の事務所はマジ自由で最高です。禁止されることも全然なくて、だから自分らしくやってこられたんだと思います。
まとめ 石橋貴明さんと鈴木保奈美さんはたびたび報道されていました。しかし、今回は、鈴木保奈美さんが自身の事務所を設立したり、娘の芸能界デビューについて準備したりと噂されたりとかなり動きがありました。 これで、実際に娘さんがデビューすると、石橋貴明さんとの離婚も現実味が出てきそうな感じがしますね。まだまだ週刊誌のネタっぽい所が多いですが、目が離せない状況であることは間違いなさそうですね。
tpd4d548y49w ドクター・中松氏、五輪期間中に大会盛り上げ新発明発表示唆…無観客対策? 発明家のドクター・中松氏(本名・中松義郎=93)が、東京オリンピック(五輪)開幕を1週間後に控えた16日、コロナ禍に対抗する新マスク「ドクター・中まつく(Dr.NakaMatsk)」を発表した。 同日、都内で会見を開いた中松氏は日刊スポーツの単独取材に応じ、東京五輪開催期間中に、大会にちなんだ新発明を発表する考えを明らかにした。 中松氏は「08年の北京五輪の閉会式で、私の発明したフライングシューズが使われたもんね」と懐かしそうに振り返った。その上で「盛り上がった時に新発明を発表しますから。やりますよ! !」と声を大にした。 目下、コロナ禍が最大の問題だが、感染拡大を受けて8日に首都圏が決まったのを皮切りに札幌、福島と開催地で次々と無観客開催が決定している。無観客開催に難色を示し、不参加を表明する選手も出てきている。 無観客のスタジアムを、観客を入れたように盛り上げることが出来る発明は可能かと聞かれると、中松氏は「観客がいないと、やる選手は張り合いがない。(技術的には)出来る。それを、いろいろ考えていますから!