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Wed, 26 Jun 2024 08:14:48 +0000

3月11日を、すべての人が 「大切な人を想う日」に。 2021年2月17日、 皆さんの署名が「東日本大震災津波を語り継ぐ日」 条例成立のきっかけとなりました。 たくさんの賛同を、ありがとうございました。 3月11日。それはすべての人が 明日が来ることは当たり前ではない、と知った日。 すべての人に関係する日にすることで風化をふせぎたい。 岩手日報は、3月11日を「大切な人を想う日」にできないか、と考えました。 あの日の悲しみと教訓を永遠に語り継ぎたい、と 2018年3月11日に始めたこの運動には、 2万3千人を超える皆さんからの署名が集まりました。 2020年10月9日には、岩手県内の各種団体有志により、 「3月11日を岩手県民の日『大切な人を想う日』にすることについての請願」が 岩手県議会へと提出されました。 この請願は10月27日に採択されました。 そして、震災10年となる3月11日を前に、 岩手県条例「東日本大震災津波を語り継ぐ日」 が県議会の全会一致で可決されました。 署名と声をお寄せくださった皆さん、 本当にありがとうございました。 岩手日報

東日本大震災から10年~被災地・楢葉町のいま 【#あれから私は】 – ニッポン放送 News Online

祥子さん 日本を美しくする会・掃除に学ぶ会の活動を20年来お手伝いしていました。全国に仲間のネットワークがあり、最初に手をあげてくださった方も、掃除に学ぶ会の方でした。震災前の社会活動、市民活動でのつながりが、とても大きかったと思います。 そして、全国を回ってみたら、苦しんでいる人がいっぱいいたことを知ったんです。ある講演で、車いすのおばあさんが募金を持ってきて「私はこんな体だから、何もできないの。」といって泣かれたんです。障がいを持ったお子さんをお持ちのお母さんたちはフリーマーケットで集めたお金を募金してくれているのに、「どうしても子どもがいるので、被災地には行けない。」ということを負い目に感じている人も少なくなかったんです。被災地に思いを寄せて届けてくれることがどんなに力になっているか、私はやっぱり伝えなくちゃいけないと思ったんです。 "それでも生きていく人たち"に、私が言葉を通して伝えることの意味は、そこにあると思っています。 南米ボリビアのサンフアン日本人移住地にて。 高齢者施設と小学校で朗読と共に被災地の様子を語る(2016年5月13日) 編集長 その想いが、私が毎年伺わせていただいている、「3. 11メモリアル企画展」の開催につながっているんですね。 祥子さん そうなんです。震災後3年間書き溜めたエッセイをまとめた『ことづて』という本を自費出版で作ったのですが、それが出版社の方に伝わり、その出版社から『3. 11からのことづて 災後を生きる人たちの言葉』というタイトルで出版していただくことができました。その出版記念に長町のびすた~り(現在は移転)で言葉展を行った2014年8月に、「3. 11を語りつぐ会」を立ち上げました。つながりとは面白いもので、そこに見に来てくれていた友人からの紹介で、藤崎百貨店にて「3. 11メモリアル企画展」を開催することになったんです。最初に開催したのは、2015年3月でした。 自分でもこんな流れで開催することになろうとは思ってもいなかったので驚きました。 展示とメッセージコンサートで綴る 3. 11メモリアル企画 『10年後のことづて』展 藤崎百貨店にて(2021年3月) 編集長 そしてまた、私もそこで祥子さんに再会することになったわけですね。 ◆2018年メモリアル企画展『出発の声 「花 海 空 光」』の様子 今年もその会場で、新しい祥子さんの本をお披露目されたと伺いました。どのような想いで書かれた本なのですか?

菊池政治 今回の災害にて被害にあわれた方にお悔やみ申し上げます。 また、被害地域の一日も早い復興をお祈りします。 岸杯也 医者でもエンジニアでもない僕に今すぐできる事は限られています。だから『少し落ち着いた後』に皆さんがちょっとでも笑顔になれるよう、明るく楽しい物語を精いっぱい書くだけです。 災厄が産み落とすしぶとい強敵である絶望・あきらめ・ストレス。そんな奴らとの長期戦ならラノベの得意分野のはずですから!