数世代前の人々にとって、現代の暮らしは夢のようなもの。そんなことを感じさせてくれるのが、人類史を簡単にまとめた動画『What Happened Before History?
(Neandertaler wikicommonsより) えっそうなんですか!? ―ネアンデルタール人とデニソワ人との間の混血があったんじゃないかという説も出てきている。 でも、だいたい7万年前くらいになると、ホモ=サピエンスがネアンデルタール人を圧倒し、ネアンデルタール人もデニソワ人も絶滅してしまう。 ホモ=サピエンスとの戦いがあったんじゃないか?とか、 火山が大爆発してネアンデルタール人の食料がなくなったんじゃないか? 人類の進化 年表. とか、さまざまな説があるけれど、ハッキリしていることは、 「最後にわれわれが生き残った」 ということだ。 ホモ=サピエンスはコミュニケーションをとるのが得意で、イヌとともに集団で狩りをして大きなゾウなどを捕まえていたようだ。 寒さ対策 のために服も着ていたし、投げ槍(やり)も発明している。 最後の氷期が地球を襲う中、ホモ=サピエンスは獲物を追ってアフリカから世界各地に進出した。 アフリカから北に向かった人たちはヨーロッパにたどり着いた。 ユーラシア大陸を東に向かった人たちのうち、インドのあたりから海の世界に進出した人たちもいた。 最終的にオーストラリアにまでたどり着くことになる 。 その過程で、同じ種類とはいえ気候によって 肌の色などの特徴が変わり 、黒人や白人といった人種が生まれていった。 黒人と白人、それに日本人は、みな同じ種類なんですね? ―まったく同じ種類だ。身体的な見かけが似通っているだけで、人種の違いによって優劣はないよ。 ―じゃあここからは、エリア別に当時の様子をみていこう。 ◆約700万年前~前12000年のアメリカ アメリカには人間はいますか? ―人間はアフリカで生まれて、そこから全世界に広まっていった。この時期の南北アメリカ大陸にはまだ人はいないよ。 ◆約700万年前~前12000年のオセアニア ―オセアニアの様子をみてみよう。 「オセアニア」ってどこですか? ―ユーラシア大陸と、南北アメリカ大陸に囲まれた海のエリアのことだよ。 人間がこのエリアに足を踏み入れたのはだいたい6万年前のことだといわれている。 船を使ったということですか? ―使った人もいたのではないかと言われている。 火山島が多いから噴煙(ふんえん)を頼りに移動したのではないかな。 でも実はこの時代には、ユーラシア大陸からオーストラリアまで歩いて移動することができたんだ。 つながっていたんですか?
―人類の祖先にあたる類人猿がアフリカに分布していたからだよ。 人類の生まれ故郷ってことはわかりましたが、アフリカって正直遅れているイメージがあります。 ―うーん、「 アフリカが遅れている 」っていうイメージと実態は、ほんの数百年の間につくられていったに過ぎないよ。 でもどうして現在のアフリカって貧しい国が多いんでしょうか? ―それを解く鍵が、世界史の勉強にあるんだよ。 ◆約700万年前~前12000年のヨーロッパ ―アフリカからヨーロッパに移住したホモ=サピエンスは、各地の洞窟の奥に壁画を残している(注:洞窟絵画)。 世界最古の美術の一つだ 。 「狩りが成功しますように」 というお祈りに使われたらしい。 美術を始めたのはヨーロッパ人ってことですね! 歴史的にみて、最近の「人類の進化」がどれだけスゴイのかよくわかる動画 | TABI LABO. ―ううん、他の地域でも同じような絵画は発見されている。 どんな思いでこういう絵を残したんでしょうね? ―人間には、自分の頭の中にあるイメージや心の中の感情を、ほかの人と「 シェアしたい 」という思いがあるんだね。 言葉があるからですね。 ―そう。 言葉があれば、情報を子孫に伝えることができるし、「 ピンクのゾウ 」のようなたとえ想像上のものであってもほかの人と共有することができるよね。 ホモ・サピエンスが寒いヨーロッパを生き抜くことができたのも、こうした絵を囲んでおこなわれた儀式のおかげだったのかもしれないね。 質問があります。ヨーロッパの人たちとアフリカの人たちでは肌の色が違いますよね。両方とも同じホモ・サピエンスなんですか? ―同じホモ・サピエンスという種に違いはないよ。 日射量の少ない高緯度環境に適応して「 薄い色の肌 」となったのがヨーロッパの人間たち、多い低緯度環境に適応して「 濃い色の肌 」になっていったのがアフリカの人間たちだ。 アフリカの人間たちが全員「濃い色の肌」を持っているわけじゃないし、「肌の色」というのはあくまで外見上の特徴にすぎない。外見上のことでこだわるのはあまり意味のないことだけれど、人間は臆病なものでどうしても「味方」同士でまとまりたがる傾向がある。「敵」と判断した相手に対しては、たとえ同じ人間であろうとも容赦なく牙をむく。それが残念ながら人間という動物が歩んできた道のりだ。 その後の長い歴史の中で、さまざまなグループが故郷を出て移動をしていった。その結果が今の世界だ。 世界史の流れに従って、人類の多様性はしだいに高まっているといえそうだね。
私と小鳥と鈴と~みんなちがってみんないい~ - YouTube
金子みすずの有名な詩 「 わたしと小鳥とすずと 」 をご存知ですか?
とか 笑顔がない人って私は苦手だな。 笑顔って大切なものなのに・・笑顔がないなんて 私はこの人とは違う! とか思っていました。 しかし、ある時 この人は、なんでこんなにいつも怒っているのだろう?と 疑問が湧きました。 そして、気づいたんです。 そっか、会社の会計処理に問題が起きないように、 会社が円滑に事業を進められるように、 会社の事業目標が達成できるように、 この人は「あえて」厳しい対応をしているのだ、と。 会社の事業目標が達成できるように、 私も担当していた仕事に取り組んでいました。 だから、共通のゴールがあったんです。 それに気づいてからは、 怒ってばかりのその方に対して、 恐る恐る書類は提出していましたが(笑) ありがたやーと思いながら 怒りの言葉を受け取れるようになりました。 みな同じになる必要はありません。 みんな違ってみんないい んです。 ポイントは 「ゴール」 だということを 知っていてくださいね。
Everyone is different. We are all born to be special. 【音楽】Creepy Nuts『みんなちがって、みんないい。』が心地よく面白い | おりあに劇場. 「みんな違う。みんな特別に生まれてきたんだ」 みんなが違うということは、それぞれに個性があって、一人一人が特別な人として存在しているということだという解釈で、このような英語にしてみました。 We are all different. That's what makes each of us wonderful. 「私たちはみんな違う。それが私たち一人一人を素敵にさせてくれるんだ」 こちらの文では「みんないい」の「いい」を「素敵・素晴らしい」と解釈して、これを表すためにwonderfulを使ってみました。 That's what~は「それが~すること(もの)だ」を表します。 makes each of us wonderfulは「私たち一人一人を素敵にさせる」という意味です。 どちらの文もかなり意訳していますが、私なりに感じたままに表現させていただきました。 詩には作者の思いが込められていることはもちろん、読み手がどのように解釈するかということも想像してみると、様々な表現方法があり得ることに改めて気づかされます。 詩に限らず、英作文というのは必ずしも直訳ではなく「内容訳」とか「気持ち訳」を大切にしなければならないことを感じさせられます。 ご参考になれば幸いです。
落合氏:ダイバーシティでいうと、コロナ禍で逆に、いろんなハードルが下がったと思います。コンピューターを介してのコミュニケーションが当たり前になって、コンピューターへの話し方が上手くなった。音声文字認識の精度は明らかに上がったし、僕自身、聴覚障がいのある学生としゃべるスピードが早くなった。視覚障がい者も以前ほどはハンデを感じていないかもしれない。全員の耳や目が一度コンピューターを介するという同じ条件に揃ったことで、認識するテクノロジーを入れやすくなった。身体の障がいがある人や高齢者も、移動が少なくなればハンデは少なくなりますし、キャッシュレス、通販デリバリー、デジタルトランスフォーメーション、大切なことです。 例えば、フィジカルな会議をやるにしても、ひとりリモートの人がいたら、ビデオ会議も一緒にやるという選択ができるようになった。これは重要な一歩だと思います。条件が異なる人がいたら、デバイドがある側、マイノリティー側へ揃えた方がいいということが、少なくてもデジタルではみんなそれがわかってきたと思う。言い換えれば、ダイバーシティって何かっていうことが、本質的にわかるようになってきたということです。これは大きいと思います。 ──コンピューターを介した認知の進化にはAIの貢献がありますが、今後私たちがAIと向き合っていく上での課題は何だと思いますか?
楽曲に関するメモ 2019. 08. 16 2016. 02. 05 「 みんなちがって、みんないい 」といえば、谷川俊太郎先生と並び、小学生の国語の教科書ではたいてい載っている金子みすゞ先生の詩『 私と小鳥と鈴と 』の締めのヴァースです。 なつ「ヴァースとか言うな」 (いまの教科書事情はわからないので、もう載っていないのかも……) 若い子は見る機会がなかったかもしれないので、全文を引用しよう。 わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが 飛べる小鳥はわたしのように 地べたを早くは走れない わたしが体をゆすっても きれいな音は出ないけれど あの鳴る鈴はわたしのように たくさんな歌は知らないよ 鈴と小鳥と それからわたし みんな違って みんないい 「私と小鳥と鈴と」より 個性だ優劣だと嫌な時代に鋭いメスをつきつけるような素晴らしい詩ですね。はっきりとした発表年が調べられなかったんですが、亡くなったのが1930年のことなのでそれ以前、少なくとも85年前の作品ということにはなるかと。これが普遍性というものです。 ナンバーワンよりオンリーワン? はっはっは。軽い軽い。 まあその哲学というか概念自体はずっと前から存在していたのでどこが出典 〈ルーツ〉 とかわからないんだけど。 とにかくそういう詩がある。これを念頭に置いて話を進めていきましょう。 Creepy Nuts『たりないふたり』発表 先日アルバムを出しました。ランキングも上位のまま。まだまだ売れてます。 Trigger Records ¥346 (2021/07/14 16:44時点) 1/20が発売日、予約したのは1/10くらい。なのに手元に届いたのが2/2というさっぱりな状況。タワレコyahoo店しっかり! みんなちがって、みんないい発表 金子みすゞ先生の詩が前向き・ポジティブなメッセージを持っていたのに対し、アルバム2曲目『 みんなちがって、みんないい。 』では様々な "MC" に向けてdisを飛ばしているんです。 "みんなちがってみんないい" とか言いながら、蓋を開けてみると, ──完全な dis曲 だった── というところに私ぐっと来まして。この人全然 「いい」 と思ってないよって。 (※その後、ラジオなどの情報でR本人が 「別に嫌っているとかではなく、こういう人聴いたことあるでしょ?