京都共栄学園高校 京都府 京都共栄学園高校 野球部【京都府】の試合結果、過去の大会結果などの情報サイトです。 このチームの情報を投稿 過去の試合結果や練習場所などの情報を投稿して下さい。
■ 続・夏休み合宿 合宿4日目、朝礼の一幕です。 朝から前向きに!
平成27年度もよろしくお願いいたします。 2015年5月13日 5:27 PM ┃ ■ 甲子園見学 2014年12月26日(金)、高校野球の聖地"阪神甲子園球場"へ行きました。 目的は、甲子園の具体的なイメージを膨らませるため。 甲子園歴史館の展示を見学した後、誰もいないスタンドでお弁当を頂きました。 甲子園球場を、京都共栄学園高校硬式野球部で"独占"しました。 バックスクリーンから眺める甲子園も最高! 甲子園歴史館のスタッフの方に講演をしていただき、 高校野球の歴史、甲子園の歴史などを学びました。 短い時間ではありましたが、有意義な甲子園見学となりました。 今度来るときは、代表校としてグラウンドに立っているぞ! 2014年12月27日 11:44 AM ┃ « 前のページ » 次のページ
2020年11月8日 9:38 AM ┃ ■ 近況報告 最近の野球部の活動についてご報告!
【テレビ】京都大会 準決勝と決勝をオンエア ■準決勝 7月26日(月) 午前9:30~ ■決 勝 7月28日(水) 午後12:30~ 【ラジオ】京都大会と滋賀大会決勝をオンエア ■京都決勝 7月28日(水) 午後12:50~ ■滋賀決勝 7月29日(木) 午前9:50~ (JOBWのみ) ※天候により放送日が変わる場合があります。 スマートフォンでも本コンテンツをご覧いただけます。下記アドレスを入力するか、QRコードをご利用ください。(一部、ご覧いただけない内容があります。)
奥さんとお嬢さんは一緒に暮らしていますが、長男の澪央斗(れおと)君は平塚学園の野球部員なので、もしかすると寮暮らしをしている可能性があります。 都筑区から平塚までは電車を使うと1時間から1時間半ほどかかります。 朝練のことを考えると寮生の可能性は高いかも知れません。 終わりに いかがでしたでしょうか。 三浦大輔さんの奥さんは同じ高校の先輩だったんですね。 そして息子さんは中学・高校と野球を続けていたとは驚きです。 父である三浦大輔さんと同じ道を歩かれるんでしょうか。 ベイスターズファンならぜひ入団してほしいところでしょう。 それから三浦大輔さんに会いたければ、関西風お好み焼き「好鐡(コウテツ)」に行くと会えるかも知れません。 この店には他のベイスターズの選手も来るそうですよ。 スポンサーリンク - スポーツ, 男性アスリート
現職に就くまでには、野球によって紡がれたつながりが、次の進めべき道を示してくれたのだと、三浦氏は話す。 インタビュー後編となる今回は、そんな"野球のつながり"によって形づくられた彼の人生に迫った。 山本昌にあって、自分になかった「プロの自覚」。今だから分かる選手寿命が短命だった理由 ー三浦さんは高校卒業後に中日に入団されますが、もともと中日側から熱心に声をかけられていたのですか? 三浦:一番熱心だったのは、地元の大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)ですね。 そこのスカウトの方は毎日来てくれていました。それに、僕のことを2位までに指名すると言ってくださっていたんです。 実際、僕は1位では呼ばれないなって思っていたんですよ。 他にもいい選手はたくさんいましたから。でも、2位までには指名されるなっていうのは、僕の中で確信していたんです。 ただ、もしドラフトにかからなかった場合は、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)か日本石油(現・新日本石油)に入社しようと思っていました。 日本石油には横浜商業時代の先輩である荒井幸雄(元巨人打撃コーチ)さんがいましたし、日本鋼管には同校のOBがたくさんいたので。 ーなるほど。実際、大洋からは指名されたのですか? 三浦:はい。3位でしたけどね(笑)。 だから2位までに大洋ばかりか、どこからも指名されなかったので、もうドラフトをボイコットしようとして記者会見場から逃げ出したんです。 それで近所の喫茶店で、やけ酒ならぬ"やけアイスコーヒー"してましたから(笑)。 ー"やけアイスコーヒー"…それは面白すぎます(笑)。 三浦:ですよね(笑)。ただ、しばらくすると野球部のマネジャーが飛んできて、「3位で指名されましたよ!」って報告しにきたんです。 でもふてくされていた僕は「そんなん知るか!」って(笑)。 まぁ監督が早く来いって言ってたらしいので、渋々行ったんですけどね。現状を聞いたら3位で大洋と中日と広島が競合していたらしく、それで交渉権を引き当てたのが中日だった、というわけです。 その後は中日側がすごい誠意を見せてくれたので、チームに入団することを決めましたね。 ちなみに同期には山本昌(野球解説者)もいます。 ーそうなんですね!実際にプロのマウンドに立ってみていかがでしたか?
三浦:バットは球団支給のものを使っていましたし、スパイクもアシックス支給のものを履いていたので、正直こだわりも何もなかったですね。 スパイクに関しては、革底か金具取替式にするか、ぐらいは選べましたが。 でも、こだわりというか、道具を大切にするっていうことに関しては、落合博満さん(野球解説者)が中日に来てから選手たちの考え方が一気に変わりましたよ。 落合さんは野球用のジュラルミンケースにバットを入れていましたし、湿気を通さないように鹿革をバットに被せてましたから。 それで僕、「何でそこまでするんですか?」って聞いたんです。 そうしたら「だってバットでホームラン打ったらお金もらえるんだぞ」って。 「そういう選手になるためにこの世界入ってきたんだろ」って答えたんです。 実際に落合さんは日本人で初めて1億円プレーヤーになりましたから、「本当に道具は大切にしなきゃ」ってみんな思うわけですよ。 ー確かにそうですよね。それは、野球アドバイザーとしても子供たちに伝えている部分はあるのではないですか?