~禍福は糾える縄の如し~ 読みは、「カフクはアザナえるナワのゴトし」 昔の中国、 前漢 の 司馬遷 がまとめた歴 史書 『 史記 』の一節、「因禍爲福。成敗之轉、譬若糾墨」からきている言葉だそうです 意味は「災禍と幸福はより合わせた縄のように表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がない」ことです 同じような意味でよく使うのが「 人間万事塞翁が馬 」ですかね コロナと言う災いも、早く転じて福が来て欲しいものです まあそれは置いといて・・ 今回、私が気になったのが「糾える」という言葉 アザナえる・・アザナう? 何それ? 普段、単品ではあまり使いませんよね・・たぶん(^^; 藁(わら)などを縒り(より)合わせた縄のような状態を表しているんだそうですが、普段は「紛糾(ふんきゅう)」という言葉で使うぐらいですかね 【紛糾】とは「意見や主張などが対立してもつれること。ごたごた」 【紛】は「フン、まぎれる、まぎらす、まぎらせる、まぎらわしい」と読み、入り乱れる、もつれること 【糾】は「キュウ、キョウ、あざなう、ただす」と読み、「あざなう、より合わせる、寄せ集める」と「絡み合う、乱れる、捻じれる、縺(もつ)れる」こと、そして「ただす、取り調べる、問いただす」という意味もあります 従って【紛糾】とは、意見や主張が入り乱れ、縺(もつ)れ、絡まり合い、捻じれた状態ってことですな(凄そう・・) 【糾】の字には【糺】という 異体字 があります 意味や使い方は同じです ちなみに、糸をより合わせるの「よる」は【縒る】や【撚る】と書きます 【縒る】あるいは【撚る】は「(糸・ひもなどを)ねじって互いに巻きつくようにする。また、細長いものをねじる」という意味です 「よりを戻す」とか「腕によりをかける」などもこの言葉になりますね じゃあなぜ糸は【縒る・撚る】のでしょうか? ■ - txzw2259のブログ. 日本撚糸工業組合のHPを見てみると・・ 撚糸とは|日本撚糸工業組合連合会 () 例えば、繭からほぐし出した生糸はとても細く、そのままでは糸として使えないから何本かを束にする しかし束にするだけではバラバラになってしまうので、この束に軽く撚りをかけると丈夫な一本の糸として使えるようになるんだとか もともとは扱いやすく強い糸を作るために撚っていたのが、撚りをかける回数を変えたり、太さの異なる糸を撚りあわせたりと、いろいろな工夫をしているうちに、生地の風あいや肌ざわり、丈夫さなどがまったく違ってくるという効果がでてきたんだそうです 撚り方にも、片撚糸、諸撚糸、駒撚糸、壁撚糸、飾撚糸ってのがあるんですね 糸なんてしっかり見たことなかっただけに驚きました!
(悲しみと喜びは交互にやってくる) 「人生において禍福は糾える縄の如しで、予想もしなかったハプニングのせいで絶体絶命の危機に陥ったと思ったが、これがきっかけとなり以前より事態が好転したのだから、驚くばかりだ」 人生は 良いことと悪いことは より 合わせ た縄のように 表裏一体 であり、一時の幸・不幸に 深く 一喜一憂しても 仕方 がないと
禍福は糾える縄の如し。 あまり一般的では無い言葉かなと思います。 禍福の禍はコロナ禍の禍、つまり「悪いこと、災いや不幸」という意味です。 福は言うまでもなく、福。「良いこと、幸福」という意味。 糾える、は「あざなえる」と読み、糸や縄をより合わせることを意味します。 なので、禍福は糾える縄の如しという言葉は、 災いや福は、より合わせた縄のように代わり番こにやってくるものだ 、なんて意味を持ちます。 今は苦しくとも、必ずまたいつか福はやってくるものです。 ネガティブになると何もかもが悪いものに見えてしまいうのですが、しかし。 そこかしこに実は、まずまず良いものもあったりします。 努力しなければ切り開くことの出来ない道はあるものですが。 それをしないからと言って人間死ぬまでずっと不幸なんてことはきっと、ない。 だから。 つらくて身動きができないときは、ちょっとぐらい休んで。 次の番の福を待つ、ということもいいんじゃないかなと思います。 焦らず急げ。 そんな言葉も聞いたことがあります。 私は一分一秒も惜しいと思いたいタイプなので、甘いことは言いません。 休むことももちろん大切なのは言うまでもありませんが、回復したら次の福を力ずくで手繰り寄せるように。 できることをやりましょう。 そんな風に思った、今日でした。 なにがし。
禍福は糾える縄の如し 幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえ。災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということのたとえ。 『 史記 ・南越列伝』には「禍に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾える縄の如し」とあり、『 漢書 』には「それ禍と福とは、何ぞ糾える縄に異ならん」とある。「糾(あざな)える」は文語動詞「あざなふ」の命令形+完了を表す、文語助動詞「り」の連体形からで、「糾(あざな)う)」は「糸をより合わせる」「縄をなう」を意味する。
名前:ねいろ速報【ウマ娘 シンデレラグレイ】 漫画久住太陽 ストーリー 杉浦理史名前:ねいろ速報1出ないよ名前:ねいろ速報2そんなのサクラチヨノオーちゃんが可哀想だよねえ 続きを読む Source: ねいろ速報さん ニート「漫画で人生一発逆転狙いまーすw」ワイ「画力」ニート「え?」 1: 風吹けば名無し 2021/04/14(水) 00:55:57. 00 ▼レス返信 ワイ「漫画は画力無いと売れないよ」 ニート「そんなの原作やれば…」 ワイ「演出も画力だし、原作も画力無...
「上」から読んでね! 「敢然として決断をなさい」 決断すること。 何にも動じずに欲することを為そうとする「 力への意志 」になること。 「残酷な世界」に、 ニヒリズム に対抗するには、そのような鋼の意志へと自己を化すしかない。 この力強い 反ニヒリスト的信念 は、世界が不条理であればあるほど、無力な人間たちをもてあそぶ 運命の力 が強ければ強いほど、説得力をもつでしょう。 だからこそ、かつての仲間をみなごろしにしようと決めたベルトルトや(78話)、壁外人類をみなごろしにしようと決めたエレンは(139話)、すべてが仕方なかった、そうする以外になかったと言いながらも、同時にそれは自分の意志で決めたことだと宣言したのです。 そのようなエレンやベルトルトの「決断」と、いま考察しているリヴァイの「決断」との本質的な違いとは何でしょうか?