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Mon, 15 Jul 2024 22:09:16 +0000

期待が高まるのにはやっぱり理由があるんです。 1つは、現代の日本人作家の中では、飛び抜けて世界中で読まれている作家だということです。村上さんの作品は実に50以上もの言語に翻訳されていて、世界各地で新作が待ち望まれている作家なんです。 小説の中に、ジャズやロック、ポップスなどの音楽をはじめ世界共通で親しまれている文化がたびたび登場するのも、海外の読者が違和感なく読める理由の1つかもしれません。 そしてもう1つの重要な要素が、国際的な文学賞を数多く受賞していることです。 2006年にアイルランドの「フランク・オコナー国際短編賞」とチェコの「フランツ・カフカ賞」を立て続けに受賞しています。 カフカ賞は、この前年と前々年の受賞者がいずれもその年のノーベル文学賞も受賞していたので、「村上さんもノーベル賞か?」と注目が集まるようになったんです。 その後も、イスラエルの「エルサレム賞」やデンマークの「アンデルセン文学賞」など、海外の賞を複数受賞しているんです。 こうして世界的な評価が高まる中、イギリス政府公認の「ブックメーカー」が毎年行っているノーベル文学賞の受賞者を予想する賭けでは、今や村上春樹さんは"最有力候補"の1人となっていて、上位へのランクインが続いている状況です。

Category:ノーベル文学賞受賞者 - Wikipedia

英米で出たハルキ本の書評を読んでいると、翻訳者の仕事ぶりに言及し褒めているものを非常によく見かける。 見よ、この気合の入った アメリカ版『1Q84』のトレーラー。 ヨーロッパとアメリカの微妙な関係 なら、村上春樹がノーベル文学賞を受賞できないのはなぜか? この問題は、じつに多くの評論家が論じているが、ひとつには、彼の 「アメリカ気質」 がいささか関係ある気がする。 村上春樹は若いころから、米国のフィッツジェラルド、サリンジャー、ヴォネガットなどの小説家に心酔し、ジャズやロック、映画、ファッションまで、アメリカン・ポップカルチャーの大きな影響を受けている。一時はアメリカに生活の大きな比重を置いていた。 率直にいって、ノーベル文学賞はヨーロッパの文学を称揚するために始まったものだし、審査するスウェーデンアカデミーはアメリカのことがあまり好きではないように見受けられる。ひとつには米国が強大な英語帝国で、他国語の文学をぜんぜん翻訳しないし、読まないから、という言い分がある。伝統あるヨーロッパ諸国の文学界から見れば、アメリカ英語帝国め、大きな顔して……という気持ちがないではないだろう。 (しかし公平を期して大きな声でいうと、ゼロ年代ぐらいから、ニューヨークあたりを中心に 米国でも翻訳出版が盛ん になっています!) ノーベル賞が始まった二十世紀初頭には、米国はヨーロッパから見たら文化後進国で、当時は米国にもぽんぽんと気前よくノーベル文学賞を授与していた。ところが、第二次大戦が終わり、アメリカが経済的にも政治的にも巨大化してくると、だんだん態度が変わってきたのだ。戦後75年でアメリカから5人受賞者が出ているけれど、移民系作家が3人、黒人の女性作家が1人、直近は白人男性だけれどミュージシャンだ(ボブ・ディラン)。 とくに、アメリカの、白人で、男性の、移民系でない作家詩人、つまり世界のなかで非常に強いマジョリティの立場にある書き手たちは、ヘミングウェイを最後に、もう66年ほど授賞されていない。 村上春樹が"手本"としてきたのは、そうした米国の白人の男性作家たちだ。最新長編の『騎士団長殺し』も読む人が読めば、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を下敷きにしていることは、一発でわかる。ブラックカルチャーや、人種、ジェンダーのマイノリティ視点に欠ける点もやや気になるところ。 もちろん、これはあくまで推測にすぎないし、スウェーデンアカデミーというのは、狙いすましたように「人がいないところにボールを投げこむ」のが得意なので、「村上春樹受賞!」という朗報もいつ入るかわからない。ゆったりした気持ちで待ちたいものだ。 海外メディアでの写真は日本とは違うテイスト。 ポスト村上春樹はいるか?

ノーベル文学賞は「世界翻訳文学大賞」? 今夜発表の受賞者を予想してみた ノーベル賞の栄えあるメダル。 世界最大の翻訳祭り いよいよ10月8日(木)の今夜、日本時間の午後8時に、ノーベル文学賞の発表がある。毎年毎年、村上春樹が獲る獲るとあおられて、みなさんいい加減、うんざりしているのではないか。 わたしは1990年代からもう25年ぐらい、ノーベル文学賞の「受賞者解説待機要員」としてウォッチャーをしているが、獲る獲ると言われながら何十年も受賞にいたらず亡くなった作家たちを何人も見ている。ウンベルト・エーコしかり、フィリップ・ロスしかり。世界にはそれぐらいたくさん同賞の「有力候補」がいるということなのだ。 だから、もう最初に言ってしまうと、今年というか当面、村上春樹が受賞する確率は高くないと思う。 「どうして? 今年は新しい短編集 『一人称単数』 も刊行されて好評なのに!」 と思われるかもしれない。とはいえ、この本は今年、審査の対象になっていないはずだ。なぜかといえば、ノーベル文学賞という世界最大規模の文学賞は、事実上、 「世界翻訳文学大賞」 だから。「なに、それ?」と、また思われるかもしれない。 ノーベル文学賞の「受賞資格」をご存じだろうか。たとえば、日本でもっとも有名な文学賞「芥川賞」は、作家の国籍は問わないが、作品の出版国は日本、使用言語は日本語と(暗黙の了解で)決まっている。ノーベル文学賞にはそういう縛りがいっさいない。どこの国の作家が、何語で書いて、どこの国で出版していても理論的にはOK。 とはいえ、スウェーデンアカデミーの審査員十八人全員が、何百、何千もの言語に通じているわけがない。どうやって読むかといえば、翻訳したものを読むのだ。スウェーデン語、フランス語、ドイツ語、英語が多い。そう、審査員さんたちのほとんどは、1968年に受賞した川端康成の日本語も、1994年に受賞した大江健三郎の日本語も、じかには読んではいないのだ。 村上春樹の『一人称単数』はまだこれらの言語に翻訳されていない。だから、審査の対象になりようがないというわけだ。 村上春樹の最新短編集『一人称単数』(文藝春秋)架空の仕掛けを駆使し新境地を切り開いている。 翻訳のちからが半分? そう考えると、ノーベル文学賞の栄冠を勝ちとるには、その作家本人が良い仕事をしているだけでは充分とは言えないだろう。翻訳者の技量や力量が占めるウエイトは大きい。だから、川端康成は授賞式で、 「わたしの小説の翻訳者サイデンステッカー氏にも半分の名誉を」 と言ったのだ。 翻訳者の「ちから」というのは、訳文の巧拙だけではないかもしれない。その作品を世にアピールする影響力や発言力が大きければ、プラスにこそなれマイナスにはならない。 むかし、政治色の強いパブロ・ネルーダというチリの詩人が1971年に受賞したのだけれど、それは選考委員のなかに彼の作品の翻訳・研究者がいて、ぐいぐい推したからだ。というのは、わりと知られた話。 だからといって、村上春樹の英訳者たちに問題があるという話ではぜんぜんないので注意してください!

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