公開日: 2018年09月15日 40年前の殺人事件の犯人 コウ先生が生まれる前のお話。 40年前、料亭の女将が番頭をしていた男に殺害され、店は放火され炎上。無期懲役で服役していたこの男は「 実は自分は犯人じゃない 」と死を悟った時、孫に打ち明けました。 孫は探偵だったので、40年前の殺人事件を捜査してみると真実が明らかに・・・。 料亭の女将の娘は美大生と駆け落ち。逃亡する前に金目の物を持っていこうとした時に母親に見つかり、口論の末にハサミで母親を殺害。現場に居合わせた番頭は娘に逃げるように促し、若い二人は農村の山奥に潜伏しました。 しかし娘は母親を殺害したことで精神的に病んでしまい、男は言い争いの末に娘を殺害。一人東京に戻って骨董屋を営んでいました。 犯人は捕まり、事件の真相が明らかになったわけですが、一つ疑問が残ります。 番頭はなぜ、自分を犠牲にしてまで女将の娘を助けたのか? 実は女将の夫は病気で、彼女を支えていたのが番頭でした。いつしか二人は関係を持ち妊娠。娘の父親は番頭で、娘の罪の身代わりになったということですね。 で、なぜこの話がコウ先生と関係しているかというと、ペット捜査もしている孫の探偵が坂の上動物病院に来て事件の話題になり、コウ先生の母親が当時、芸妓だった頃、料亭に出入りしていたので娘のことを知っていたのです。 この作品にしては珍しいですが最初で最後の重く悲しい恋物語でした。 堀くんの就職先 国家試験も終えて就職先を考えていた堀川くん。当初は最新設備が揃ったナルタウンを希望していましたが、今は坂の上で働きたいという思いが強い。 しかし、コウ先生は堀川に「高度医療の道に進みたいなら僕は引き止めない」と彼を思って言ったのですが、複雑な心境の堀くん。 そこへ大学教授の推薦で大きな病院で働けるチャンスを掴んだわけですが、果たして彼が選択した道は? 次のページでは堀くんのお話と、トキワさんに起きた奇跡のお話です。
地域猫・オギ:ミーちゃん 神楽坂の地域猫。達也の家、『坂の上動物病院』、赤城出世稲荷神社がお気に入りの場所。 高円寺 貴子役: かとうかず子 達也の母親。三味線の師匠で、女手一つで達也を育てた。「いつ結婚するのか」「孫の顔は見られるのか」と、何かと息子の将来を心配しつつ、優しく見守っている。 徳丸 善次郎役:イッセー尾形 神楽坂で動物病院を営んでいたが、突然達也に病院を任せ、姿を消してしまう。神楽坂の人々に慕われる街のお医者さん。 僕とシッポと神楽坂最終回ネタバレ!原作漫画の結末は? それでは気になる最終回ネタバレについて見ていきたいと思います。まずは今作は原作があるということでしたので調べてみたところ原作漫画は1巻~12巻の単行本が発売されているということでした。基本的に1話完結編になりますのでドラマではどこかキリがいいところで最終回を迎えると思います。ドラマ最終回ネタバレにつきましては結末を迎え次第追記させていただきますね! 第一話 勤めていた動物病院を辞め、実家がある神楽坂に戻った獣医師の高円寺達也(相葉雅紀)。尊敬する獣医師・徳丸善次郎(イッセー尾形)の元で働きたいという強い意志を持って病院の扉を叩いた達也だったが、そこに徳丸の姿はなく、一通の置き手紙と預かり犬のダイキチだけが残されていた…。 「看板は下ろした あとはまかせた 徳丸」 達也に病院を任せ、引退するという徳丸に戸惑う達也。ひっきりなしにやってくる患者に対応しながら、達也の新天地一日目はドタバタの中で幕を開けるのだった。 そんなある日、達也は街で車に轢かれたパピヨン犬と、その犬に付き添う少年・大地(矢村央希)と出会う。大地とともに血だらけのパピヨンを動物病院に運んだ達也は、早急に手術の必要があると判断。さっそく準備に取り掛かろうとしたその時、急に連絡が取れなくなった大地を心配して、母親の加瀬トキワ(広末涼子)がやってくる! 古びた病院の設備と人手の足りなさに、「こんなところで手術をするなんてありえない。他の病院に運ぶべき」と主張するトキワに対し、「脾臓破裂の疑いがあるため、運んでいる時間はない」と返す達也。そんなふたりの様子を見て、パピヨンの命の危機を感じて不安になる大地は、今にも泣きそうになりながら「先生、ワンコを助けて…」と懇願する。 「大地くんの気持ちは受け取りました。頑張ります」 大地の手を優しく握り、そっと目を閉じてそう囁いた達也は、トキワの制止を振り切り、手術を開始してしまう!成り行き上、サポートに入ったトキワ。しかしその丁寧で繊細なメスさばきに驚きを見せる。一方の達也も、トキワが動物看護師だと知り、この病院で働いてもらえないかと切り出してみるが…?
世界的によく知られる「日本庭園」。その起源は古代にさかのぼります。平城宮や平城京の跡からは、自然風の形をした池をもつ奈良時代の庭園の跡が数多く発掘されています。庭園の中心となる池は、大海に見立てられ、岬や入り江が連なり、石組みや島をもつものもありました。小石が敷き詰められた緩やかな斜面の池辺が造られるようになったことも特徴です。庭園の景色を観賞するための建物も建設されました。発掘された後、当時の姿に復元された平城宮の東院庭園と平城京左京三条二坊の宮跡庭園(奈良市)はよく知られています。 古代の庭園造りは唐からもたらされました。中国では、紀元前の漢の時代には、不老不死の仙人が住むという理想郷を表現した皇帝の庭園が造られていました。やがて庭園造りは、新羅や百済、そして日本へと伝わり、7世紀の飛鳥時代には庭園が造られるようになります。近年発掘が進められている飛鳥京跡苑池(えんち)(明日香村)が代表例です。 奈良時代になると、宮殿や貴族の邸宅に庭園が造られ、池や花などの美しい景色を愛(め)でながら、和歌や漢詩を詠む文化が発達しました。日本文化を代表する「日本庭園」の礎は奈良時代に形作られたのです。 特別名勝の平城宮東院庭園(奈良市で) (奈良文化財研究所主任研究員 中島義晴) (読売新聞2014年5月25日掲載)
朱雀大路の北にあり、平城宮の正門として、外国の使節の出迎えなどに使われたのが朱雀門です。国を代表する建物として、豪華さ、壮大さを誇っていたと思われます。いまある朱雀門は、平成10年(1998年)に完成しました。東西約25メートル、南北約10メートル、高さ約20メートル、18本の直径70センチメートルの柱、朱色に塗られた入母屋二層構造で、どっしりとした姿は長年の調査と研究により、復元されたものです。※観光バス専用無料駐車場あり。 平城宮の東側に張り出した東院跡にある東院庭園は、平成10年(1998年)に復元されました。広い庭園の中央にはS字形の池があり、築山や中島など和風の特徴をもち、日本庭園の原点といわれています。池の西側の開放的な正殿は、天皇や貴族が宴会や儀式を行ったところ。奈良時代の華やかで優雅な宮廷の人々と同じ風景を体験できます。 平城宮跡資料館では、奈良文化財研究所の長年の発掘調査で出土した多数の木簡、貨幣、瓦、土器など貴重な出土品や平城宮の建物の模型、発掘の歴史などをわかりやすく展示しています。遺構展示館では、柱穴や溝などが発掘されたままの状態で保存・公開しています。
第二次大極殿 天平17年(745)から約40年間使われた大極殿跡。基壇や柱跡などが復原されています。ここから若草山や春日山などが見渡せ、平城宮跡の広大なスペースが一望できます。 所在地案内 所在地 奈良市佐紀町 駐車場 なし アクセス 近鉄大和西大寺駅より徒歩30分 東院庭園 平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。 この南半は「東宮」あるいは「東院」と呼ばれていました。ここで宴会や儀式を催し、現在の迎賓館のような役割を果たしたようです。 ご利用案内 公開時間 9:00~16:30(入場は16:00まで) 休館日 月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日~1月3日) 入場料 無料 あり 連絡先 文化庁平城宮跡管理事務所 0742-32-5106 推定宮内省 内裏東側の一画で見つかった建物群は、天皇家のために仕事する宮内省関係の役所と見られています。 門、築地塀、建物を復原しています。 開館時間 文化庁平城宮跡管理事務所 0742-32-5106
歴史勉強と運動が出来る公園です 2021年2月 平城京の宮殿跡にある公園です。そのため第一次大極殿など数々の復元された建物や資料館などがあります。また広大な敷地のためジョキング、犬を連れて散策などをしている方もいます。 投稿日:2021年2月24日 この口コミはトリップアドバイザーのメンバーの主観的な意見です。TripAdvisor LLCのものではありません。 第1次大極殿復原工事見学 2020年11月 • ファミリー 平城宮跡のホームページより、 第一次大極殿復原工事見学会に申し込んだら、 当たって見学してきました。 1月くらいまであるので、是非、お申し込みを^_^ 投稿日:2020年11月21日 この口コミはトリップアドバイザーのメンバーの主観的な意見です。TripAdvisor LLCのものではありません。 この広い敷地が残っているのに驚き 2020年10月 • カップル・夫婦 約1キロ四方の平原に第一次大極殿や朱雀門などが復原されています。 1300年前の都の跡が平原として残っている事に驚きです。 敷地内ではジョギングしている人やスポーツをしている人もいっぱいいます。 近くには無料の平城京跡資料館もあるので是非寄ってみてください。 10年後にはもっと見応えのある歴史公園に変わっているでしょう! 投稿日:2020年10月5日 この口コミはトリップアドバイザーのメンバーの主観的な意見です。TripAdvisor LLCのものではありません。 今まで無かったのが不思議 2020年4月 平城京跡はかつてはただのだだっ広い空地でした。 もちろん、興味ある人には資料館も有りましたが、専門的ではあるがとっつきにくかったのは事実です。また広い宮跡は散策しながらも食事やトイレにも困っていたぐらいです。 朱雀門や第一次大極殿も復元され、さらに歴史公園として整備が進み、気軽に訪れることが可能になり、また、そこを入り口として自然と興味を持つようになると思います。 大仏殿や奈近鉄良駅方面から「ぐるっとバス」というシャトルバスが¥100で利用できます。 投稿日:2020年4月29日 この口コミはトリップアドバイザーのメンバーの主観的な意見です。TripAdvisor LLCのものではありません。 復元された建物や船は中々見ごたえがありました。数年後は奈良を代表する観光スポットになるかもしれませんね!!