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Mon, 26 Aug 2024 21:25:03 +0000

若者の投票率に関しての記事でした。 今回この記事を書こうと思ったのは若者の投票率を上げることでしか日本の負のスパイラルを改善出来ないのではと思ったからです。 負のスパイラルとはこれですね! このスパイラルがこうなることを祈っています! 若者の投票率が高い 政治家が自分が当選するために若者向けの政策を取り入れる 将来を担う子どもへの教育投資などが活発になる 若者が潤い、消費が上がる、子ども育てる余裕が出来て、子どもを積極的に産む、少子化止まる 子供への投資で世界との競争力が上がる、日本復活! それでは!

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  4. サイン蒐集家ゴベの『サイン入りレコード A to Z』第20回 – 中古レコード専門 ドーナツマガジン by リバイナル

暮らしの救急箱 House Labo | 選挙に行かないとどうなるか解説!メリットとデメリットは?

選挙の投票率の低さについて友人が投稿していたのを見て、ふと、投票率が低いとどうなるのかを考えてみた。 ①現在の状況。投票した人たちをA層、それによる結果をA'とする。(投票率約50%) ②今投票してない人たちが、やはりA層と同じ投票をする人たちだった場合、候補者の相対的得票率は変わらないので、結果は変わらずA'になる。(投票率100%) ③投票してない人たちが、A層と異なる投票行動をするB層だった場合、A層B層の投票結果はA'B'になる。(投票率100%) このとき、仮説の②を見てまず思うのが、「投票率増えても減っても結果ってほぼ同じなんじゃ…?」ということです。 だけど、実際には大体いつも投票するA層は、しない人たちに比べて政治に関心があり、候補者について調べる人たちであるはず。 つまり、投票しない人たちはおそらくA層とは違う選択をするB層であり、現実的に投票率があがれば②ではなく③になりそう。 しかし。 ③の場合、B層はA層と比較して政治などへの関心が低いとすれば、その投票行動は相対的にA層よりも安易なものになる可能性がある。(最悪、知名度の高さなどで擁立された候補者らばかりが当選するような…) と、考えていくと、投票率の低い①のA層による投票の結果であるA'は、投票率100%の③のA層B層の投票結果であるA'B'よりも良いのでは! ?…という結論が導き出されてしまう。 さて、ここからがみなさんと一緒に考えたいところです。 ここで投票率の問題が出て来るのです。 一回の良い結果を求めるなら相対的にしっかり考えている人が多いA層による①でもよいのかもしれない。しかし、投票率が下がり続けると、被候補者の質も同時に下がってしまう。それでは未来がき損されてしまう。 目的は、「良い未来」。投票はその手段。 先々の「良い未来」を考えると、B層に無理やり投票させせるのでなく、長い目で見て、B層がしっかりとA層として定着していくような仕組みが必要そう。※「投票しないと罰金」とかで無理やり投票率を上げると「より悪い③」になるのでよくない。 目指すのは50%のA層による①でもなく、B層に無理やり投票させて100%を目指すのでもなく、しっかりしたA層の割合を少しずつでも増やしていくことなのかな、と思った。(まじめか) ■発起人として、がんばってます。中学生高校生と取り組む、「問い」を起点に地域を発信するプロジェクト『 房総すごい人図鑑 』

選挙に行かないとどうなるか解説!メリットとデメリットは? | マジか速報

4 132 韓国 58. 3 135 アメリカ 56. 84 146 日本 53. 68 165 ロシア 47. 88 178 フランス 42. 64 182 チュニジア 41. 7 参考記事: 世界の議会選挙投票率 国別ランキング・推移 日本146位とか雑魚すぎるだろ。。。 しかも先進国の中だとドベ間際。。。 残念過ぎる。 次に思ったのは「 ベトナムすごいな! 」 調べてみると地域の選挙委員会なるものが成果を問われるらしい。 だから選挙に来ていない人の家にわざわざ行ってドアをガンガンノックするとのこと。 単純に委員会が気合入っているとのことだからなおすごい。 ただ代理投票もOKらしい 会社、学校、マンションのロビーなど手軽に投票できるという工夫もされている。 上位のナウル、シンガポール、オーストラリアは投票しないと罰金があるから脅威の投票率。 よく投票率の高さで例に取り上げられる スウェーデン と デンマーク が 87% 、 84% とやはり高い。 再現性と内容をみると日本が参考にするべきなのはこの2国だと思う。 後でそれについては取り上げていきます。 その後に大体の先進国が名を連ねていきます。 フィリピンの投票率が以外にも高いのがすこし驚きでした。 調べてみるとフィリピンでは2回連続で投票に行かないと選挙権がはく奪されるそう。 しかも投票日は祝日となり職場が休みになるのでこの投票率の高さらしい。 選挙に対する姿勢が強いことがわかりました。 そしてアメリカ56%、日本53%と 世界の中でも投票率が低い国 ということなります。 世界の若者の投票率 気になる国ごとに若者投票率を見ていきましょう! 参考記事 スウェーデンの若者の投票率は85%で全世代とほぼ差がない 上の表からわかるようにスウェーデンでは 若い世代でも投票率が85% と非常に高く他の世代と変わりませんねー。 なんでこんなにもスウェーデンでは投票率が全体、若者でもこんなに高いのでしょうか? 1. 選挙に行かないとどうなるか解説!メリットとデメリットは? | マジか速報. 普段から政治の話を家庭でしている 2. 起きたことを多角的に見ることが出来るようにする教育がある 3. 学校づくりに子どもたちが参加できる 4. 模擬投票がリアル 5.

4%)」。次いで「選挙にあまり関心がなかったから」「政党の政策や候補者の人物像など、違いがよくわからなかったから」が19. 0%で同率2位。「仕事があったから(27.

この日のオープニングを務めたのは3ピース・ガールズ・バンド=BO-PEEP。鋼鉄ディスコ・パンクというかグランジと4つ打ちのデッドヒートというか、度重なる海外ツアーで鍛え上がった驚異の音圧とビート、そして同郷のMO'SOME TONEBENDERにも通じるハイパーなサウンド・デザインでもって、たった20分・5曲のアクトながら、がっつりその存在感を示していった。 で、この日のもう1組のメイン・アクト=Buffalo Daughter! お馴染みサポート・ドラム=松下敦とともに、ノイズ・テクノからデスなハードコア、アシッドなミニマル・ディスコまで次々に繰り出していくムーグ/大野/シュガー。ポップ感とかコードの響きとかメロディアスとかいう言葉を銀河の彼方に置き去りにするように、ひたすら鋭利でかっとんだ音を鳴らすことだけに集中し、それが最高の悦楽を伴った音楽とショウになっていくーーという奇跡の共同体たるBuffalo Daughterの本領発揮のステージ。途中までアンドロイドのように完全ノーMCだったが、「こんばんはー!」とオーディエンスから話しかけられたムーグ山本、「は、はい? Buffalo Daughterです。で、何?」とどぎまぎしながら応えて笑いを誘う。そこで大野、「昔から知ってたんですけど、一緒にやったことがなかったSUPER JUNKY MONKEYと一緒にやることができて、とても嬉しいです」。大歓声! サイン蒐集家ゴベの『サイン入りレコード A to Z』第20回 – 中古レコード専門 ドーナツマガジン by リバイナル. 1時間弱の音の宇宙遊泳。至福。 そして20:51、いよいよSUPER JUNKY MONKEY登場! MUTSUMI亡き後のリード・ボーカルを引き受けつつ、複雑怪奇で奇天烈なリフから暗黒重低音までぶっ放すギタリスト=Keiko。鋼鉄スラップ奏法で、パンキッシュでプログレチックなSJMサウンドを自在にうねらせつつも、「今日はホットパンツはいてみました! 熟女のホットパンツ!」とファニーな朗らかさを放射するベーシスト=かわいしのぶ。そして、「いいなあ、みんなお酒飲めて! 私は後で浴びるんで!」とフロアをからっと笑いで包み、何度もスティックをぶん投げながら、豪快さと乙女心が入り交じったパワフルなプレイを見せつけていたドラマー=まつだっっっ!!! 。時にクラウドサーファーが踊り回るステージで、3人が弾きまくり、絶唱し(まつだっっっ!!! が歌うのは"SUPER JUNKY MONKEYのテーマ"など短い曲だけだが)、笑い合う……そこにあったのは、ノスタルジーでも哀しみでもない。不幸を乗り越えて「その先」に向かう3人の、強固な、それでいてSJMならではのあっけらかんとした決意だった。Keiko「すっごい楽しい!」 かわい「今日さ、3人でやった中でいちばんうまく演奏できてるね!」という熱気混じりのMCにも、沸き上がる感激を抑えきれなかった。 アンコールでは必殺曲"あいえとう"炸裂!

Super Junky Monkey×Buffalo Daughter @ 渋谷クラブクアトロ 2010.08.03 邦楽ライブレポート|音楽情報サイトRockinon.Com(ロッキング・オン ドットコム)

1994年4月4日 @新宿ロフト 1994年4月20日 ロフト以降、2回ライブを観に行き、睦ちゃんといろいろ話すようになった。 すっかり仲良くなった睦ちゃんとライブを観に行くことになった。WRENCH、GMF、BLIND JUSTICE(後のenvy)が出演していた。 平日だったが、睦ちゃんにせがまれ打ち上げに参加することになった。 大勢で店に向かっていた時、少し前を歩いていた睦ちゃんと友達の会話が聞こえた。「SUPER JUNKY MONKEYっていつぐらいからお客がつくようになったの?」という問いに「12月のシェルターから」と答えていたのが聞こえ、嬉しくなった。 その日出演していたバンドマンとも仲良くなった。それまで観に行っていたのは歳上のバンドばかりだった。同世代のバンドマンと繋がりができた忘れられない日となった。 1994年某日 10月にリリースされるアルバムの収録曲、"記憶の捏造"のコーラス入れに参加。レコーディングというものを体験した。 SUPER JUNKY MONKEYのライブには、余程のことがない限り必ず行っていた。地方に行ったりもした。 テレビ番組の収録を手伝ったこともあるし、U.

サイン蒐集家ゴベの『サイン入りレコード A To Z』第20回 – 中古レコード専門 ドーナツマガジン By リバイナル

松田: 高円寺レイジーウェイズか池袋Admだったと思うけど。 SHIGE : ああ、レイジーウェイズは憶えてる。92年か93年。 ──お互いの印象はどうでした? SHIGE : なんでこんなに上手いんだろうって思った。 しのぶ: SHIGE がなかなか私の名前を覚えてくれなかったな…(笑) ──それがこんなに長い付き合いになるとは。 しのぶ: 初めの頃はシーンもまだ定まってなくて、特に私達の場合、女性バンドという括りで固められたり、アイドルと一緒に椅子に座ってるお客さんの前でやったり(笑)、やる所がないからノルマ払っていろいろな所に出てました。そんな時期に出会ったWRENCHは「あ、かっこいい。仲良くなれるかも」と思ったバンドでした。 SHIGE : 最初から意気投合したよね。 しのぶ: WRENCH は交友関係が広かったから、私達もWRENCHを通じて一気に友達が増えたと思う。 左から、SHIGE、松田知大、南部裕一(SMASH WEST )、 まつだっっ!! 、かわいしのぶ 何にもなかった所から徐々にできあがった ──そうしたバンドの交流が90年代以降のオルタナ/ミクスチャーシーンを作っていくことになりますよね。 SHIGE : とにかくおもしろいバンドがたくさんいたね。 松田: 何にもなかった所から徐々にできていく感じがあった。 しのぶ: 土台がなかったというか、荒れ地? ──ちょうどバンドブームが去った後で、バブル崩壊後みたいな感じでしたね。 松田: 荒れ地になってたライブハウスに種を蒔いて(笑) しのぶ: バラバラの方角からいろんな人達が集まってきた。 ──バンド同士がシーンを一緒に作ってる感じがありましたよね。 SHIGE : 作ろうとしてたわけではないけど、いろんなバンドと対バンとかやってるうちに自然とそうなったんじゃないかな。 しのぶ: 特に睦は対バンを探したりする事にすごく熱心だった。私はのんびりしてたけど。 ──アルバム『SCREW UP』はシーンをある意味象徴する作品だったと思いますが、当時聴いてみてどうでした? SHIGE : うーん、オリジナリティが……確立してました。 しのぶ: 無理して褒めなくていいよ(笑) SHIGE : いや、取って付けたような感じがなかったね。ミクスチャーって紙一重なんですよ。取って付けたのか、本当にやりたい音楽を自分の中で昇華しているのか。 しのぶ: 音楽雑誌でも当時はミクスチャーウェルカムなメディアがそれほどなくて、「何がやりたいの?」ってよく言われた。 SHIGE : ヘビーメタルって言われたりね。 しのぶ: その人の得意なジャンルに分類されちゃうから、CDが置いてある棚もバラバラで。 ──あちこちでDIYなシーンが勃興してたと思うんです。女性バンドだけのレーベルBENTENのコンピレーションCDにSJMも入っていたりとか。 つつ: その頃は呼ばれたらどこにでも出てたんです。今振り返るとそういったシーンにいたように見えるけど、やってた時はあまり意識してなかったですね。 ──シーン自体も目まぐるしく変化していたと思いますが、SJMもすごい勢いで成長してましたね。1stアルバム『SCREW UP』と2nd『地球寄生人/ PARASITIC PEOPLE 』だけ見ても、その間の変化はすごく大きい。 松田: その頃の2年間って今の2年とは全然違う。 しのぶ: そうだよねー。今では2年前も3年前もわかんない。うちら老人の会話だね(笑)

1997年12月30日 @渋谷サイクロン *睦ちゃん以外のメンバーが各々のユニットで出演。私はDJとして参加させていただいた。 MUTSUMI623 1998年8月27日 @新宿リキッドルーム 1999年2月 真夜中に電話が鳴った。 「ゴベちゃん・・・」 ベースのしのぶちゃんの声を聞いた瞬間に睦ちゃんが死んだと思った。 『PERFECT MAG. 』VOL.