さーてさてさて、さてのさて。 それではお待たせいたしました!! 『食戟のソーマ』三周年記念考察の第三部。 その後編をいざ述べさせて頂きましょう!!
最後に。 ヒロイン達との恋愛、仲間やライバル達との友情、そして親子の愛情といった、多くの"絆"。 そのほとんどが料理を通して描かれているわけですが――― その料理を作るのは、料理人の「手」。 だからこそ それら"絆"の最たる象徴が えりなが心の奥底で惹かれている 恵の心を常に支えてくれている "繋がる手"と"重なる手" これら二つの「手」であるに違いありません。 ストーリーのあらゆる部分に、大切な"鍵"がちりばめられているこの作品。 その " 鍵 " を拾い集めていけば、キャラクターそれぞれの、そしてこの作品の、「これから先」が見えてくるような気がします。 そして、いつか。 料理においても。 恋愛においても。 最後には 「ごちそうさま」 と笑顔で見納められるような。 そんな終着を心から願っています。(^^)
幼少時代の環境の過酷さから、「大人」にならざるを得なかった葉山。 汐見の傍にいることにあれほど固執するのも、汐見の傍にしか自分の居場所を見いだせずにいるからなのでは。 それは言うなれば、親元を離れるのを怖がる子供の気持ち。 要するに。 葉山は物凄い「親思い」な子なんですよね。 身体だけでなく、心も酷く"飢えていた"葉山。 だからこそ、そんな自身の"飢え"を満たしてくれた汐見への想いは、本当に一途で強いものとなったわけです。 読者が「恋愛感情」と見紛うくらいに。 ですが、果たして当の汐見は葉山が自分に尽くしてくれることを望んでいるでしょうか? 答えは否。 自分のせいで葉山を追い詰め、縛り付けているのではないかと負い目に感じています。 汐見としてはやはり「親」として、葉山自身が「己の幸せ」を見つけ出すことを望んでいるんですよね。 メタ的に見ても、ただでさえ二人は強大な「恩義」による主従関係で繋がっているというのに、更にそこに「恋愛」という関係性まで繋がってしまったら・・・ 葉山の"世界"は非常に狭いままで終わってしまうことに。 汐見と同様に、私も葉山にはもっと"己の世界"を広げてもらいたいと願っています。もっと自由になってもらいたいと。 だからこそ、葉山と汐見は結ばれるべきではない。 これが私が葉山と汐見のカップリングに異を唱えている理由です。 では、そんな葉山は誰と結ばれるであろうかというと・・・ それは 新戸。 (あ、今「え~~~! ?」っていう声が聞こえたような/苦笑) 互いに「主」に対して強い忠義心を持っているという共通点があるこの二人。 そして料理の得意ジャンルもまた、葉山は「スパイス」という香辛料、新戸は「薬膳」という生薬の使い手という、結構似た分野だったりします。 そしてこの二人もまた、秋の選抜本戦でぶつかったという縁があるんですよね。 勿論私がこのカップリングを推す理由はこれだけではありません。 "世界"が狭いというのは葉山も新戸もお互い様でしたが、葉山は「ある人物」のファクターも大きく持っている子です。 その人物とは、えりな。 えりなのファクターを持つキャラは数多くいますが、中でも葉山は えりなの「危うさ」を最も色濃く持つキャラ だと思っています。 そして新戸はそんなえりなをずっと支えてきた人物だという。 加えて、作者から「菜切り包丁⇒薙切」という姓をつけられたであろうえりなと同様に、新戸は砥石の「荒砥」が語源と推測。 このことからも、えりなにとって新戸は必須の存在といえるのですが・・・。 ひょっとしたら葉山の姓も、「スパイス⇒葉」ではなく、 「刃⇒葉」 を語源としているのではないでしょうか?