「ゲスの極み乙女。」というと、 特に若い世代を中心に人気があるバンド と言えます。 昨今のフェスのシーンでも人気があり盛り上がるバンドではないでしょうか。 また、各メンバーも才能豊かでバンドを掛け持ちして、マルチに活躍するメンバーが多いバンドと言えます。 今回は、ゲスの極み乙女。についてあまり詳しくない人向けにメンバーの紹介をさせていただきます。 ゲスの極み乙女。ってどんなグループ?
哀愁感ゾンビ 06. ドグマン 07. 問いかけはいつもためらうためにある 08. 蜜と遠吠え 09. 透明な嵐 10. フランチャイズおばあちゃん 11. キラーボールをもう一度 12. マルカ ichikoro『A Legend』 発売中 ichikoro『A Legend』 収録曲 01. Enemy 02. Ally
あと、パーマネントではないですがiki orchestraというバンドを、中村達也さん、ひなっち(日向秀和)さん、Reiちゃんとやっています。 ──Crimsonは今どういう状況ですか? ゲスの極み乙女 メンバーの関係. 今は全く動いていないですね。解散ではないですが、音楽以外の仕事に就いているメンバーもいるので、なかなか集まるのが難しい状況なんです。いつかまた、やれる時がきたらやりたいとは思っています。 ──現時点で、ちゃんMARIさんが最も長く活動をしているのはゲスの極み乙女。ですが、2012年の結成からこの8年間で、バンドへの向き合い方などどのように変化してきましたか? 結成当時はそれぞれ他のバンドと掛け持ちしていたり、会社に勤めていたりして、どこか副業的な意識でやっていたんですけど、メジャーデビューをした頃から本業という意識になって。アルバムでいうと2014年にリリースしたファースト・アルバム『魅力がすごいよ』からサード・アルバム『達磨林檎』までの数年間は、四六時中ゲスのメンバーとして、音楽だけに自分の時間を注ぎ込んでいました。その時期を経て、今はちょっと距離を置いてというか、すごくいい意味でバンドと冷静に向き合えるようになっていますね。 ──バンドのターニングポイントというと、いつになりますか? たくさんあるのですが、最初のターニングポイントは、インディーズで最初の音源『ドレスの脱ぎ方』(2013年)をリリースして、下北沢ERAでライブをした時でした。それまでお客さんは30人前後の状況だったのが、フロアの後ろの方まで人が埋まっていて。その光景を初めて見た時の衝撃が今も忘れられないです。その年は、自分の人生の中で「一番長くて短いような感じ」でしたね。そのあと「キラーボール」のPVが爆発的に再生されて、ゲスの極み乙女。という名前を広く知ってもらえることになったこと、メジャーデビューして2枚目のシングル「私以外私じゃないの」をリリースした時は、コカ・コーラのCMに起用されたこともあって、普段バンドに興味がない人にも聴いてもらえるようになったこともターニングポイントだったと思います。 ──音楽性の変化に伴い、ちゃんMARIさんのアプローチの仕方はどのように変化していきましたか? メンバーそれぞれ変化はあると思うのですが、私自身でいうと、ここ2年くらいローファイなピアノの音が好きで。テープが伸びてピッチがズレたような、ちょっとアナログっぽいピアノの音色に寄せていますね。これまでヒップホップに対して苦手意識があったんですけど、例えばノーネームやドレイクのような、ちょっと暗めのヒップホップをかっこいいと思うようになり、その影響もあると思います。ヒップホップのアーティストが、コンピューター上でローファイに処理しているようなことを、逆に生でやってみるとか。そういうことに挑戦している時期です。 ──ichikoroは、ちゃんMARIさん、川谷絵音さん、休日課長とゲスのメンバーが3人在籍していますが、バンドとしてはどのような違いがありますか?
歌詞を書いた時に、いろんな世代の女性が主人公の物語っぽいなと思ったんです。なので、日本のどこかにいる女の人のお話を7編入れた、という意味でアルバムタイトルもつけました。今聴き返してみると、自分としては色々思うところはありますね(笑)。それを克服するには出し続けるしかないのかなと思っています。逆に「これ以上のものはできない」と思ってしまったら、やめるかもしれないですよね。 ──曲は常に書いているそうですね。 大学も作曲専攻だったし、それ以前に小学生の頃から曲はずっと書いていました。Crimsonでは作曲担当だったのですが、ゲスを始めてからは発表する場がずっとないまま溜まっていく一方だったんですよ。めちゃくちゃ溜まったし、「この辺でちゃんと出しておこうかな」と思って『JAPANESE ONNA』をリリースしました。でも今年は本当に家にいる機会が多くて、その間もずっと作っていたのでまた溜まってきています(笑)。 ──発表する場がない時でも、常に曲を作り続けているモチベーションはどこから来るものなのでしょうか。 「作ろう」という意識もあまりないんです。ピアノを弾いているうちにいいフレーズが出来たから「覚えておこう」みたいな感じ。ワンコーラスくらいのデッサンの状態がいくつもある状態ですね。 ──ソロアルバムを作ってみて気づいたことはありますか? 作ること自体が、自分にとっては「癒し」だと思ったのと、それを聴いて「いいね」と言ってもらえることは、さらに嬉しいことだなと思いました。その感覚は、ピアノを弾いている時とは違って。自分でアイデアを発案し、それを形にすることを共有できる喜びというか。きっと、本を書いたり、絵を書いたりする人の感覚に近いのかもしれない。今までに感じたことのない喜びでしたね。ゲスやichikoroはいろんな人が関わっていて、みんなのアイデアを結集している感じですけど、それとは違う。「もっと早く出せばよかったな」って思います(笑)。 ■川谷くんに触発されて、臆せず何でも試してみるようになった ──ご自身の「強み」は何だと思いますか? 「柔軟性」と「スピード」ですかね。相手からのオーダーには可能な限り添うし、逆に「こういうのはどう?」とアイデアをすぐに出せるところは強みなのかなと思います。人とやる時に自分はそんなに「こだわり」がないというか。「いい」と思っているものや、「これは絶対にやらない」と決めていることはあるんですけど、それ以外のことだったらやるし、もっといい組み合わせがあればそれを提案できるようにしていきたいんですよね。 ──選択肢をなるべくたくさん持つ、ということなのかもしれないですね。 そう思います。臆せず何でも試してみること。それは川谷くんに触発されているところもありますね。昔の自分はもっとこだわりが強かったんですけど、選択肢があるのに試さないのはもったいないなと。とりあえず何でも試してみて、良かったらそれでいいし、ダメだったら「それでも無駄じゃなかったよね」みたいな考えに、最近はなりました。逆に、一人だと色々なことを決めるのが遅かったり、あれこれ考え込んでしまったりするところは課題なのかなと思っていますね。 ──側から見ていると、とても順調にキャリアを重ねている印象ですが、大変だったり辛かったりする時期もありましたか?
05 岡田将生×ゲスの極み乙女。 5人で取材した! CUT 編集部日記 2015. 10 ゲスの極み乙女。 の写真を もっと見る アーティスト一覧
普段は全くやらないような音楽だから、「これでいいのかな?」と思いながらやっているところは正直あるんですけど(笑)、とても刺激的です。頭がフル回転する感じがありますね。Reiちゃんの楽曲も、ブルースが下敷きになってはいるけどすごく難しいんですよ。どんどん転調したりするし。Reiさんのファースト・アルバム『REI』に参加したのも、iki orchestraでご一緒したのがきっかけでした。 ──アーティストとしてのReiさんをどのように見ていますか? やっぱりReiちゃんのギターは、他の人と全然違いますね。昔のブルースの感じももちろんあるけど、完全に「クラシック」ではないというか。UKインディ、USオルタナなど様々な要素を吸収しつつ、ルーツミュージックを自分なりに「派生」させようとしている意志を感じます。トレンドにあまり左右されていないところもかっこいいし。 ──共感する部分もあります?
狂言師として活躍する野村万蔵さん。 狂言師としてだけでなく、舞台演出やプロデュースなど幅広い芸能に関わるクリエイターです。 先日初めて野村万蔵さんの狂言を観て、堂々とした演技とオーラに圧倒されました。 ふとした表情が野村萬斎さんに似ています。 この記事では野村万蔵さんと野村萬斎さんとの関係、長男の万之丞さんについてお伝えします。 野村万蔵と野村萬斎との関係は? 野村万蔵さんと野村萬斎さんは、いとこの関係です。 父親同士が兄弟です。 野村万蔵さんの父親は、能楽師の野村萬さんで人間国宝です。 野村萬斎さんの父親は、野村万蔵さんの父・萬さんの弟の万作さん。狂言師で人間国宝です。 つまり、野村万蔵さんと野村萬斎さんはいとこです。 野村万蔵さんの本名や学歴は? 狂言や歌舞伎の世界では、同じ名前を受け継いで名乗る「襲名(しゅうめい)」のならわしがあります。 「野村万蔵」という名前も、 狂言の家を表す名前 です。 野村万蔵さんは、九世野村万蔵さん。 つまり 野村万蔵を受け継ぐ九代目 になります。 野村万蔵さんの本名や学歴についてお知らせします。 4月18日(日)午後2時30分開演『萬狂言 春公演』〈国立能楽堂〉 「二人袴」野村萬(人間国宝) 野村拳之介/「水汲」能村晶人 野村万之丞 /「髭櫓」野村万蔵 野村万禄ほか。チケット受付中 イープラス、ぴあ(3/17~)、 — 萬狂言 (@yorozukyogen) March 16, 2021 本名:野村良介(のむらりょうすけ) 出身地:東京都豊島区 生年月日:1965年12月23日 学歴:幼稚園〜大学に学ぶ 学習院大学卒業 活動履歴:野村万蔵家の事務所、萬狂言を主宰 狂言と現代劇とのコラボ 舞台演出 大河ドラマの芸能指導 イベントの演出 など 野村万蔵さんの芸風は、品がある! 新春狂言『万作・萬斎の世界』. 芸風は おおらかで、堂々とした風格 があります。 幼少の頃から学習院でお育ちになった影響もあるのでしょうか、 品の良さも感じさせてくれます 。 わたしは先日、予備知識なしで初めて見た野村万蔵さんの舞台でしたが、全身からビンビンとオーラを感じました。 この人違う! !と思わせるだけの技量と品がありました。 足の運び、発声、所作の一つひとつに無駄がなく、いさぎよく、上品で、うっとりと舞台に引き込まれました。 一気にファンになりました。 野村万蔵さんの長男、万之丞さんも狂言師の道へ 野村万蔵さんには男の子が3人います。 長男の万之丞さんは、父親の万蔵さんと同じく学習院大学を卒業され、能楽師として活動されています。 本名は野村 虎之介(のむら とらのすけ)さん。 【狂言、習えます‼️】 この度「狂言を習ってみたい!」という方への稽古を始めます!
人間国宝・野村万作と現代劇や映画など多彩に活躍する野村萬斎が率いる 『万作の会』による狂言公演 同時開催の「狂言講座」とあわせてお楽しみください!
姿勢が良くなり、自信もつくかも。何より大きい声を出して狂言をするのは楽しいですよ😊 質問・要望等あれば相談出来ます。私へのメッセージでも可。気軽にご連絡ください。まずは体験も◎ 詳しくこちら⤵︎ ⤵︎ — 野村万之丞 (@man_jyooo) March 28, 2021 男前ですね! 【萬狂言チャンネル】 狂言見どころ解説動画、最後の『茸』アップしました! 山伏が祈ると茸が動き出して…!? 大勢が登場して賑やかな、狂言の豊かな発想力による変わった演目をお楽しみください😌 【5分でわかる!】狂言『茸』見どころ徹底解説‼️(映像配信中) — 野村万之丞 (@man_jyooo) March 8, 2021 Twitterでは若い世代にも狂言を楽しんでもらおうと、わかりやすい情報発信をされています。 装束(しょうぞく)の着付け方などもあまり目にすることのない裏方も公開されていたりします。 伝統芸能を開かれたものとして発信する姿勢がすばらしいですね! 野村万蔵さんの次男は野村拳之介さん、三男は野村眞之介さんです。 すでに狂言師として活躍中です。 野村万蔵家の今後がますます、楽しみですね! 人間国宝・野村萬に聞く、伝統芸能とエンターテイメントの違い - インタビュー : CINRA.NET. 野村万蔵さんの父、萬さんは人間国宝! 野村万蔵さんの父親は、野村萬さん。2021年現在91歳です。 1997年、人間国宝に認定され、現在も舞台で活躍中です。 能楽師が所属する能楽協会の理事長や、日本芸能実演家団体協議会の会長も務めておられる能楽師の大御所です。 野村万蔵さんの主宰する萬狂言ってどんなの? 狂言はお家ごとに事務所を持ち、家単位で活動しています。 九世野村万蔵さんが率いるのが、萬狂言です。 いわば、芸能事務所にあたります。 能楽師も狂言師もマネージャーはおらず、自分たちで企画を立てて公演を計画します。 衣装の管理や持ち運びもすべて自分たちでするんですよ! 【萬狂言新春公演】2021年1月10日(日)14:30開演 国立能楽堂 チケット発売中です。新春に相応しい「末広かり」に始まり、上演頻度の少ない珍しい「孫聟」、そして大曲「木六駄」と、見どころの多い内容です。ご予約はこちらから⇒ — 萬狂言 (@yorozukyogen) December 8, 2020 家族総出の新春公演もあれば、他の事務所からお呼びがかかりコラボすることもあります。 萬狂言は20数名が在籍する狂言事務所です。 東京だけでなく、地方でも公演を行っていますよ〜 能楽師の人間国宝では、野村萬斎さんの父・野村万作さんが有名です。観世流の大槻文蔵さん、大阪を拠点に活躍中です。人間国宝の制度についてお伝えします。 合わせて読みたい 俺の家の話でにわかに「人間関係」が注目されています。 人間国宝とはどんな制度で、能楽師の人間国宝はどんな人がいるのでしょうか。 この記事では、能楽師の人間国宝についてお知らせします。 人間国宝とはどんな制度?
野村 :たとえるならば、檻に入れられているのと同じですね。子どもというのは自分の内側で何かを作りだし、自主的に考えて動くものではない。外からの刺激なり何なりを与えられることで動くわけです。「学ぶ」は「まねぶ」、つまり「真似る」こと。父は声と身体を使って、ひたすら私に真似をさせました。「芸」は頭や言葉で理解できるものじゃないんです。身体で得たものが創造性の源になる。まさに「体得」という世界です。 ―日常生活なども厳しく指導されたのですか?
狂言「栗燒」太郎冠者・野村万作(撮影・政川慎治) vol. 121特集1 MNEWS vol. 121では、人間国宝の狂言師 野村万作さんにインタビューさせていただきました。WEB版では、紙面に掲載しきれなかった質問も含めて全文を掲載します。 「狂言」とはどんな芸能ですか? 野村 萬斎|公益財団法人 日本文化藝術財団. 日本の伝統的な演劇、室町時代の普通の劇と考えたらいいですね。内容は喜劇的なものが中心です。次の日の生活の糧になるような「笑い」が多いです。ただ、能と一緒に育ったから、様式とか型とか約束事があり、敷居が高いと思われることがよくあります。しかし、狂言は現実的な生活感のある芝居です。台詞と仕草で、日常生活の人間の色んな感情を描く普通の劇。分かりやすいはずです。 狂言師になる覚悟を決められたのは、いつ頃ですか? 狂言の家に生まれましたから、子どもの時は無理矢理やらされますよね。でもご褒美がもらえるので、一生懸命まずおじいさんに習いました。父に習うようになって稽古が厳しくなりますと、「あんまりやりたくないな」という時期もありました。旧制の中学校、終戦後すぐの頃です。友達の影響もあって、父が見せてくれなかった歌舞伎や芝居、映画を見て歩きました。軽演劇という、浅草辺りでやっていた芝居もね。今(その当時)の人が見て分かる、楽しく見られる芝居に初めは魅力を感じましたが、段々と古典の方に興味が戻っていきました。 狂言は話が単純で、役者の演技力で表現していく面が非常に強い。自分の演技力ですべてのことを表すのは、厳しさでもあり魅力でもある。「狂言はやり甲斐があるものなんだ」と思うようになりました。父に「やっぱり狂言をやっていきたい」と言ってからは、一生懸命に習いました。 それで、大学1年生の時にご自身で狂言の研究会をつくられたのですか?