更新日:2021-04-30 この記事を読むのに必要な時間は 約 7 分 です。 天気のいい日に干した布団は、ほかほかして気持ち良いものです。ほこりをはたいて、日に当てたことで、とてもきれいになったと思っているかたも少なくありません。 実は、布団の中にはダニは数十万匹いるといわれており、ダニは布団をただ干しているだけでは死なないのです。ダニは、肌荒れやアレルギーなどの健康被害をおこすとてもやっかいな生き物です。 それでは、どうしたらダニは布団の中からいなくなってくれるのでしょうか。今回このコラムでは、布団の中にいるダニを駆除するポイントをご紹介していきます。 「ただ干す」だけではダニは死なない! ダニは布団を干しているだけでは駆除することはできません。布団は干しているとき、表面は熱くなりますが、内側まで温まっていないことが多いです。 そのため、布団の内部にダニが移動していき、布団を取り込んだあと、表面にダニが戻ってきてしまうのです。 よく掃除機でダニ対策をしているかと思います。しかし、ただ掃除機で吸ってもダニは吸い込めないのです。生きているダニは足を繊維に引っ掛けて、掃除機に吸い込まれないように抵抗しようとしています。そのため、しっかりと駆除しないとダニは布団に残ってしまうのです。 ダニの特徴を知って日々の生活での注意点を確認! やっかいなダニが布団からいなくなるためには、ダニの特徴を知ることでダニを防ぐことができます。まずはダニの特徴を確認して、日々の生活の中で注意していきましょう。 ダニは、湿度60%・温度20℃以上の場所を好み、ホコリやハウスダストをエサとして生活しています。繊維などの隙間は、ダニにとってちょうどいいサイズです。 そのため、布団はダニにとっては住みかとして快適な場所なのです。布団だけではなく、じゅうたんやラグ、畳、ぬいぐるみなど、肌がよく触れる場所にダニはいるため、日々の生活でダニに注意していきましょう。 布団のダニを駆除する「正しい」方法とは?
ダニ対策に布団乾燥機を活用している方も多いですよね?一定温度になるとダニは死滅するので、布団乾燥機の温風は非常に効果的なダニ対策になるんですよ。もちろん、マンションなどで布団を天日干し出来ないという場合や就寝前に少し布団を温めたいという場合にも布団乾燥機が便利。 そこで今回はダニ対策におすすめな布団乾燥機を厳選して5商品紹介したいと思います。選び方も解説しているので、ぜひ参考にしてみて下さいね!
0 out of 5 stars コンパクトで簡単操作!打ち直した布団が、「フカフカ」のまま現状維持。 By yamachan58 on December 3, 2018 Reviewed in Japan on February 24, 2018 Pattern Name: 1)布団乾燥機 ホワイト Verified Purchase レビューにあったような中古らしきもの?が届きました…ビニールからぐちゃぐちゃっとなってたので嫌な予感はしましたが、開けると全体がホコリっぽく、所々に黒いゴミとひっかいたキズが…。 他の返品が回ってきたのかな? 残念です。
HIVと診断される前年のフレディ・マーキュリーとブライアン・メイ (写真:Photoshot/アフロ) 1991年に45歳でこの世を去ったクイーンのフロントマン、フレディ・マーキュリー。ギタリストのブライアンが『サンデー・タイムズ』誌のインタビューで、今まで語られてこなかったマーキュリーの闘病の様子を明かした。 1987年にエイズと診断されるも、マーキュリーは公にはそれを否定し続けていた。しかし、バンドメンバーには早くに打ち明けていたという。マーキュリーは、親しい人以外に自分の苦しみを知られることを恐れていたのだ。 闘病期間中のある日の夕食時、マーキュリーはメイに自分の片足を見せた。そこにあったのは、壊疽のためにそのほとんどを失ってしまった、「かつて足だったもの」だった。 「ブライアン、こんなものを見せてしまってすまない。動揺してしまうだろ」とつぶやく盟友に、メイは「そんなことはないよ、フレディ。こんなに激しい痛みを君が我慢してきたということがわかった以外は」と返したという。 今でこそ、薬の進化でHIVは死に直結する病ではなくなったが、当時は治療法のわからない「不治の難病」だった。病気の進行は早く、マーキュリーは発病後、わずか数カ月で片足を失ってしまったという。 「あと少し発病が遅ければ、きっと彼はまだ僕らと一緒にいたはずだ。絶対に」とメイは悔しさを滲ませた。
フレディ?
<1990年6月> 68年、25歳の時にイタリア出身の歌手、ロザンナ・ザンボンとデュオ「ヒデとロザンナ」を結成し、「愛の奇跡」などヒット曲を連発した出門英。ロザンナとは75年に結婚し、その後も夫婦デュオとして活躍を続けていた。 89年7月、2人はNHKの「思い出のメロディー」でデビュー曲「愛の奇跡」を歌うことになった。この曲はしばらくテレビで歌っていなかったが、同年4月に作曲者の田辺信一さんが亡くなったこともあり、追悼の意味も込めて久々の出演を決めた。 しかし、まさにそのリハーサルの日、出門の体を異変が襲った。2日続けて激しい下痢に見舞われ、なかなかトイレから出られないほど。本番中もヒヤヒヤするような状況だったという。 体調はその後、いったん戻ったが、10月になって再び激しい下痢に襲われる。真っ青な顔でトイレに駆け込み、出てきたときは脂汗という異様な状況だった。ロザンナは「病院で診てもらいなさい」と勧めたが、年末に向けて仕事のスケジュールはビッシリ。病院に行ったのは暮れも押し詰まった12月26日だった。3日後にもう一度診断を受けて、結果は年明けの4日に出ることになった。
"って言うようになって、ある時"僕の私生活が変わったのに気付いたよね"って言ったこともあった」 また、フレディが名付けたクイーンというバンド名も、彼のセクシャリティを謎に包む要因となり、ロジャー・テイラーによると、テイラーもメイも最初からこのバンド名は気に入っていなかったとのことですが、そのうちに慣れたそうです。 80年代初期にエイズがゲイ・コミュニティに蔓延し、マーキュリーは1987年に受けた2度目のエイズテストで陽性反応が出たものの、バンド仲間に相談することはありませんでした。 「何かあるとは思っていたけど、話し合うことはなかった」と、メイは語っています。 「フレディが、"僕が病気なのは知っているよね? "って言ったんだ。もちろん、全員が気付いていたけど、知りたくはなかった。そしたらフレディが、"僕がこういう状態で、それについて何も語らず、何も変えたくないってことに眉をひそめるだろうけど"って、言ったのさ」 1989年5月にアルバム『The Miracle』を発表する頃、フレディの余命が短くなっていることは明らかでしたが、彼は出来るだけ多くのアルバムを残そうとレコーディングに励み、両親にさえ、自分がゲイでエイズに罹っていることを話していませんでした。 2014年にロジャー・テイラーは次のように語っています。 「フレディの自宅でミーティングがあるからと、全員が呼ばれてね。そしたら、フレディがこういったんだ。"僕の問題について知っているだろうけど、僕は何も変えたくないし、知られたくもない。それについて話したくもない。僕はただ倒れるまで仕事を続けたいんだ。だから僕をサポートしてほしい"ってね」
きっかけは愛する夫の死⁉ 公私ともに35年以上もパートナーとして連れ添ったセリーヌと亡夫のレネ。二人の間には3人の息子がいる。Photo: WireImage/Getty Images 以前はあまりパーティーなどに出席せず、家族と静かな時間を過ごしていた セリーヌ・ディオン 。2012年に歌手として尊敬をしていたホイットニー・ヒューストンがコカイン摂取によってもたらされた心疾患でこの世を去ったとき、彼女のドラッグ摂取を悲しみ、「自分には理解できないなにかがショウビジネスに潜んでいる。私はショウビジネスもドラッグも、パーティーも怖いの。だから私はショウビジネスに深入りしない」と発言をしていた。 しかし、2016年に元マネージャーだった26歳年上の夫レネ・アンジェリルがこの世を去ってから、セリーヌの露出は増えるばかりだ。距離を置いていたパーティーやイベントにも頻繁に顔を出し、自らの発信が止まらなくなっている。愛する夫を失った寂しさを紛らわすためなのか、あるいは夫の死によって一つの愛に区切りがついたのか? その心やいかに?