身体を覆う面積が少ないからか、 嫌がらずにつけてくれています。 ワンちゃんの激しい動きにはどうしてもずり落ちてしまうかもしれませんが、 寒い冬の少しは足しになるはず。 きっと、何かしら愛情は感じ取ってくれるでしょう笑 時間があるときに、良ろしければ試してみて下さいね。
の声。 で、中に入った私、カリを捕獲するよう院長に言われる。 そう、カリが逃げて隠れたんですわ、レントゲン室内で。(TwTll) 怒鳴られていた看護師男がちゃんと押さえてなくて逃がしたんでしょうね、 どんくさい看護師と院長の怒号のせいで、カリはレントゲン室の隅の棚の奥で 怯えてましたよ。かわいそうなカリ。 私が、隅に隠れている怯えたカリをひっぱり出して、レントゲン台に置くと、 再び院長は、看護師男を激しく怒鳴りつけて・・。あぁうんざり。 レントゲンを撮り終えても、院長はまだ怒りで興奮しているもよう、 腹帯をカリに装着すべく、足を穴に入れ、 仕上げに背中で留めるための包帯を通す穴をハサミでタオルに開けるんだけど、 その一連の作業がめちゃくちゃ荒々しくて、ヒヤヒヤ。 最後背中で、思いっきり締め上げたから、カリさんまともに立てません。 思わず 大丈夫ですか?
ワンコの手術後の腹帯 エリザベスカラーは負担が大きいし、犬も嫌がります。 腹帯は負担も少ないし、舐める心配も無いが、一時的なものだから、簡単に作れるのでオススメ。 私は要らなくなったワンピースでリメイク 袖が多少伸びる事を確認。 大きすぎない事! 胴体の長さにカットし、 袖下の縫い目を上にして お腹に縫い目がこないようにする。 前後の足をくり抜く 完成! 裏返しして縫い目を外側にするのは思いやり 術後4日。少し元気がてきました。
情報交換したいですね。もしブログお持ちならお知らせください。 とりあえず抜糸後の順調な回復を祈ってます。
犬の手作り腹巻きの作り方をご紹介します。 といっても縫い方は、小学生の時に習った簡単な方法なので やる気さえあればどなたにも出来ます! ワンちゃんの中には、洋服が苦手な子、いますよね。 うちのワンコも、洋服を着れば固まり歩かないのですが、 マイナスの極寒の中での散歩は、 元気に走り回っていても動きを止めると震えてしまってました。 そこで、うちのワンコが唯一嫌がらない腹巻きを 古着のリメイクで作ってみました。 着なくなった洋服を用意しよう! 今回用意したのは、私が着なくなったセーター。 この身頃の部分を犬のお腹周りのサイズに合わせ カットしていき、犬の腹巻きにしていきます。 生地をカットしよう!
自分を信じることは充実した人生を送る上で、重要なことです。すぐに取り組める、自分を信じる方法をご紹介します。 【目次】 ・ 自分を信じている人の特徴 ・ 自分を信じられない人の特徴 ・ 自分を信じることができない原因 ・ 自分を信じることで起こる変化 ・ すぐにできる、自分を信じる方法とは?
信じるに限らず、自分が使っている言葉をどのように捉えているか見直していくと行動も変わり、より人生は深まっていく気がしています。
ホーム コーチング 自己基盤 2021. 04. 07 "自分を信じる" "相手を信じる" 「信じる」について思うことを、書いてみました。 「信じる」の反対の言葉は「期待する」だと 恩師が言っていた。 じゃあ「信じる」ってどういうことなの?と尋ねてみた。 「何があっても、どこにいても、その人と生きていくということ」 この言葉すごく好き。 #自分らしさ — 大原亜希✼ストレングスコーチ (@coach_liberte) October 10, 2018 裏と表は解釈なのか? 人を信じるとは. 5年半の海外生活から戻ってすぐ、私を悩ませたのは日本人特有の裏表でした。 職場ではありがちなのかもしれないけれど、「あの人でもけっこう腹黒いですよ」なんて話をよく聞いたりして。 ストレートな物言いをするフランスにすっかり馴染んでいたことも手伝って、帰国してから半年後には、私はすっかり人間不信になっていました。 「人を信じられない」 その時私の脳裏にあったのは、私に見せている姿と、周りから伝え聞く姿と、どれが本当のその人なのだろうか、という疑問。 つまり、どっちが表で、どっちが裏なのだろうか、ということ。 そして「私は本当は騙されているのではないか?」という怖れのようなもの。 そもそも「人を信じる」とはどういうことでしょうか? 私の尊敬する上司はこう言いました。 「信じることの反対は期待することである」 と。 自分が見ている相手の姿、「こういう人だろう」というイメージが真実だと期待すること。 ここにはかなり自分の解釈が入るし、イメージの枠の外にある言動を相手がとると「裏切られた」と、感じることもある。 相手に期待していなければ「そんな一面もあるんだね」で終わるところを、期待しているとそうもいかなくて。 自分が真実だと思っていたものがそうではなかった、ということが、自分の存在も傷つけるのではないか、という怖れに変わるような気がします。 真実は人の数だけ存在する 例えば私はフランス語を話すとき、非常に率直になります。 言葉は文化を継承しているから、自分の考えを伝えることを良し、とするフランス語で話すと、オブラートに包まずに話す自分がいます。 彼らのユーモアに合わせて、少し皮肉っぽい物言いもしている。 では英語で話すときはどうでしょうか。 私が英語を学んだのがオーストラリアだったというのもあって(オーストラリア人は陽気で明るい人が多い)、自然とテンションが上がる自分がいます。 けっこう違う人格に見えると思う。 その二つは「本当の自分」ではないのでしょうか?
私はこう思います。 ナミちゃん 信じたことがいけなかったんじゃなくて、信じる相手を間違えてしまっただけなのではないでしょうか?
信じるとは、無理に行うことではなく自然に湧き上がるものではないでしょうか? 前回の記事を踏まえても信じられない場合、相手が不誠実な場合も多く存在します。 相手の定義について考えてみました。 信じるに値しない人とは この世界には、信じても自分が傷ついて終わるだけの人達がいます。 いつも嘘をついている人。(確信はないが片鱗がある) 関係が不誠実である。(不倫関係、浮気相手、セフレ) いつも楽観的で、言うことに一貫性がなく人と向き合うことが出来ない人。(逃げ癖がある) 保身しか考えない人(思いやりがない) 上記が、信じるに値しない人だと思います。 どれにも共通することは、人(自分)を欺いているということ。 「でも、許して信じないといけない」 そう思っているとしたら、そうでしょうか? 不誠実な行いをしているのは相手なのだから、その償いは、誠実になって相手に働きかけることしかできません。 それは不誠実なことをした本人がすることであって、不誠実なことをされた側が努力をする必要があるのでしょうか? もしも漠然とそうしなくてはならないと思っているのだとしたら、それは執着になっている可能性があります。 執着になると、愛情を失ってしまいます。 不誠実な相手を信じるということは、自分自身を大切に出来ていないということにもなるのです。 無理にどうにかして信じようとしている時点で、自分の気持ちに嘘をついている可能性が高くなります。 「人を信じられない・・」と心を病む前に「この人は信じるに値する人なのかな?」と問いかけてみてほしいのです。 人を信じるために必要なこと。の記事を読んでいる時点でとても心のきれいな人なのだと思います。 そんな人に傷ついてほしくありません。 【特殊なケースとして、過去に不誠実なことをされたけど、相手は更生したにも関わらず長期間、信じることが出来ない場合】 それは、信じられないあなたが悪いのではありません。 まだ心の傷が完治していないのです。 完治していない傷を無理に剥がそうとすると、また血が出てきて更に時間がかかりますよね? 心のかさぶたも、そっとしておくのが一番なのです。 もしくは、その間に相手を失うのが怖いのなら、本人に 「誠実になってくれたことは、すごく嬉しいんだけど、あの時の思いが壁になっている。それが辛いの。どうしたら信じられるか一緒に考えてくれたら嬉しい」 と伝えることで マンボウくん 「俺(私)はいつ信じてもらえるんだ・・・」 から 「信じたくても信じることが出来なくて辛いんだな。一緒に乗り越えよう」 マンボウくん と、誠実な人なら変化すると思います。 【自分の家族や子ども、友人の場合】 これも同様に 「また何か不誠実なことをするのではないか・・・」 その不安からきていることが、多く存在します。 その場合も、家族でも子ども、友人でも素直に 「あの時、こういうことをされて信じていたから辛かった。今も実は辛い。でも信じたいんだ。一緒に考えて欲しい」 って伝えるは、悪いことではなく、相手も本心が聞けるのでよくなるケースも多くあります。 口に出せないのなら、文章でも構いません。 相手がどんな関係であれ、内容は同じだと思います。 傷の修復には、時間と相手の努力と、自分自身の心の整理が必要なのです。 【過去に違う人に裏切られて人を信じられなくなった場合】 あなたは 「人を信じたことがいけなかった」 って思っていませんか?