ただ、もう一つ言いたいことがありまして、どっちかというとこれが今日の本題なんですが、こういうことをする人達って、何となく自分は許されるっていう、根拠のない自信みたいなものがあるような気がします。自信っていうのがそぐわないのなら、予測みたいなものでもいいのかもしれません。 この傾向は年々強くなるような気がします。 先日、北海道の新聞社の記者が、大学での非公開の会議を盗聴するために、無許可で忍び込んで逮捕されたでしょ。その行為自体は若い記者の勇み足だったのか、上司からの支持で行ったのか知りませんが、明らかに犯罪行為です。でも、この行為について、同業の記者の何人かは正当化するようなことを平気で言ってましたよね。頭がどうかしちゃったんじゃないかと思うんですが、こうした人々の存在が問題です。 別に個別の些細な案件まで、誰かが擁護してくれるわけではありません。 地方の中小企業で起きてる悪事について、わざわざ足を運んで、それを庇ってくれるわけがありません。ただ、こうした動きを見ていると、自分のしてることを「別にそんなに悪いことじゃないんじゃないの? !」って脳内変換しちゃう人が出てきます。 さらに言えば、バレなきゃいいんだけど、バレたところで自分は大丈夫!なんていう、妙な安心感を持っちゃう人も出てくるかもしれませんね。こうなっちゃうと最強です。だって、バレませんように!なんていう臆病な感情から、まぁ、バレたらバレた時だよ!なんていうワンランク上の居直り状態になってますからね。 まぁ、最強って言っても、悪いことをしたら警察につかまったり、会社をクビになっちゃいますけどね。だから余計に無様なんですよね。 これは無理やりのこじ付けなのかもしれませんが、多様性なんていう言葉は、本来の目的なんかほったらかしになっていて、善悪そのものを曖昧にするための言葉に成り下がってしまってるような気がするんですよね。 一家総出で後押ししていた 太陽光発電 の会社が摘発されても、平気のヘッチャラでよくわからない話をし続けているどっかのプラ大臣を見てるとそう思っちゃいます。 ・・・、なんか思いっきり話が逸れちゃいましたね。 やはり身の丈に合わない話をするものではなかったようです。 次回は「何もしない人」のお話でもすることにします。 ・・・、失礼しました。
レビューでは、「かゆい所に手が届く」などと誉めてくださっていて大変光栄です。その他にも良いことを書いてくださいました。「CountizePad」を使った人の感想が見たい方、第三者によるレビューが見てみたい方は一度見てみてはいかがでしょうか。 先日の Appliv さんに引き続き、「 CountizePad 」のレビューを アンドロック さんにもいただけました。ありがとうございます。 今回のレビューでも嬉しい記載があって、「 デフォルトのメモ帳アプリよりも便利に使えます 」という点、何気ない言葉だけど、自分ですんなり言い出せるか?
だから、ずっと君に座っていて欲しいと思うわけだ。 だからダメな人がダメなのは本人のせい!・・・とは言い切れない。 全部ただの 『社会のしくみ』 だったりもする。 そもそも、本当にダメな人なんて・・そうそういないんだよ。 開きなおって「ダメな人」をやろう 「お前はどこに行ってもどうせダメだよ!」 私も先輩社員に、そんな風に言われたことがある。 でも・・・・なぜそんなことが言い切れるのだろうか? ほとんどの人は、いろいろな会社で働いたことはない。 いろいろな人をジックリ見てきてもいない。 そう・・・・・わかるハズがないんだ。 実際、私も会社を変えたらびっくりするほど扱いが変わったことがある。 そんな経験をした人だって実は少ないだろう。 むしろ何をしてもダメな時は、自分に優しくしてあげるべきだ! 周りと一緒になって自分を責めて、 自信 を失って得をすることは絶対にない! 372 職場のダメダメちゃん「バレなきゃいいんだよ!」の続き - さるきちのしっぽ. 自分を責めるぐらいなら、 「今の会社とは相性が合わないだけ」 「仕事のめぐり合わせが悪かっただけ」 みたいに都合よく考えたって良い。 あなたを責めるのは他の人がやってくれるから、・・・・わざわざ自分でやらなくていいじゃないですか? 仕事がたとえうまくいかなかったとしても、君の価値がゼロになることは無い! 仕事や職場は君の人生のほんのごく一部でしかない。 自分の良い所をもっと見て、褒めてあげないと・・・ 君の心は泥沼にズブズブと沈んでいく。 そんなわけでこの話で言いたいのはこういうこと。 あなたが「ダメな人」の役目を負わされてしまったなら、あなたは会社で「ダメな人」という大事な仕事をしているのだから・・・ 「しょうがねえな~やってやるかぁ」と思いながら、 「ダメな人」をやればいい。 それで流れが変わるということもあるだろし、 同じ給料なら楽な方が良いに決まってる! 私も昔は会社で「ダメな人」をやっていたのだけど、上司に毎日叱責されるのがとても辛かった・・・・ 上司は私を執拗に叱るけれど・・・いくら努力しても結果は出なかった。 ある日、もうそれがすっかりイヤになってしまった。 ・・なので「ダメな人という仕事をやっているんだ!」 という前向き?開き直り?に切り替えた。 つまり・・・・・ 「ダメな人」をやることにした。 こう考えると気持ちが楽になった。 そもそも評価をされる気はないから仕事は適当でいいし、 『叱られるのもそういう仕事』 だと思えばストレスが少ない。 実を言うと、この話には後日談があって・・・ ある日上司が異動になったら、私は突然、何の努力もなく「ダメな人」ではなくなった。 代わりに、「デキる」と評価されていた同僚が「ダメな人」になった。 所詮はそんなもの。 だから気楽に構えればよかったなぁ~と今では思う。 「デキる人」が転落することもある さっきも書いたけれど、『デキる人』が突然『ダメな人』に転落することは実は結構ある。 つまり誰もが認める「才能、経験、実績がある人」ですら、環境によっては「ダメな人」にされてしまうことがある。 なぜかって?
だめだね(元ネタ) - Niconico Video
羽村先生が繭の父を刺すのは、系列1の新庄先生が暴力により直子を解放するのと同じ構図をしているものの、まさかそこまでするとは思わなかった。ネットのレビューを見ると、ひとりの女性を巡る父への嫉妬という意見が多いようだが、僕にはどうもそうは思えない。羽村先生は嫉妬というより、繭の中に自分自身の姿を見、父娘の関係を断ち切るには父の死が必要だという決意に至ったのではないだろうか? 普通のドラマや映画だったら、主人公が叫びヒロインは父親の制止を振り切って主人公の元に駆け寄りハッピーエンドになるはずだが、羽村先生は咄嗟の思い付きではなく、考えた上で実行に出ている。繭の父親を殺す必然性は本当にあったのだろうか?
ドラマ高校教師で、繭は何故父親と関係を持っていたのですか? 妊娠にはいたらなかったのですか? 1人 が共感しています 父親は芸術家だったので(美しいものに感じやすい)、まだ14歳だけれど大人っぽく美しい娘繭に変な気をおこしてしまったところから始まった、、ということじゃないでしょうか? 妊娠も含め、そのへんの描写は一切ないですね。 ただ、14歳の時に始まった・・ということしかわかりません。 2人 がナイス!しています ThanksImg 質問者からのお礼コメント 回答ありがとうございます〆(*^^*) やるせない‥ お礼日時: 2011/7/20 16:43
脚本の野島伸司は、見る人が感じた解釈でいいと思っている というようなことを言っています。こういうとこね、野島伸司のドラマの嫌なとこ(笑)ほかのドラマもそうだしね。 野島伸司がなんと言おうと、私的には自分の中ではっきりこうだ!と答えは出ています。 森田童子の曲をふんだんに使用 主題歌の「僕たちの失敗」の他に、劇中にも挿入歌が何曲も使用されています。 「男のくせに泣いてくれた」 「君と淋しい風になる」 「僕が君の思い出になってあげよう」 など。 高校教師のドラマのヒットで、「僕たちの失敗」もリバイバルヒットし、100万枚に迫る売り上げを叩き出したものの、本人は当時も一切メディアには出ませんでした。 独特の浮遊感のある声。一度聴いたら耳から離れない歌声です。 曲調は暗い曲が多め。ギターや、他の弦楽器が切なげに鳴り響く挿入歌は、ドラマを盛り上げてくれたと思います。 ちなみに、この「高校教師」は映画化もされました。(繭→遠山景織子、羽村→唐沢寿明) そして2003年には続編として「高校教師」が放送。(藤木直人、上戸彩) すべて、野島伸司脚本、主題歌は森田童子です。 私は映画版だけ見ていません。私は1993年の真田広之、桜井幸子版が1番好きですね。 Huluで全話見れます! そんな「高校教師」ですが、まだ見ていない人は、Huluで配信してます。一話目から心をわしづかみされること請け合い(多分) Huluでは、1993年版(桜井、真田版)と2003年版(上戸、藤木版)どちらも見れます。 映画版は、Amazon primeで配信されてます(●´ー`●) ちなみに、心がある程度どよーんとしますよ(笑)これ見てると、うちの旦那は見たくないな、とボソッとつぶやきます(笑)