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Wed, 07 Aug 2024 17:06:27 +0000

今回はJR東日本磐越西線の会津若松〜郡山間に導入された指定席着席サービスの 快速「あいづ」 に早速乗車してきましたので紹介します。 ここは 会津若松駅 です。 今回、乗車する快速「あいづ」の指定席は2020年3月14日にサービスが始まった磐越西線指定席着席サービスで、磐越西線会津若松〜郡山駅間を走行する快速列車3往復のうち郡山方先頭車両の半室が対象となっています。 (他の号車は自由席として運行) 指定席料金は一律530円(閑散期は330円)で、指定席券は他の列車と同じように「えきねっと」や駅の窓口、指定席券売機などで購入することが出来ます。 そんな快速「あいづ」の会津若松発2本目の便である14時13分発の快速「あいづ4号」郡山行きに乗車します。 現在の時刻は 12時50分 です。 快速「あいづ4号」の発車時刻まであと1時間以上有りますが、午前中の1往復の運用を終えた車両が会津若松駅横にある留置線に止まっているとの事なので入場券を購入して駅構内に入ってみることにしました。 改札口と只見線が発着する4.

快速あいづ 指定席

郡山駅から快速あいづ1号に乗車し、終点の会津若松駅まで向かいます。 1番線ホームに停車中の快速あいづ1号。 車両は、南東北ではよく見かけるE721系0番台です。 快速あいづのヘッドマークデザインは、会津若松市立第一中学校の美術部が考案したものなのだそう。 赤べこに鶴ヶ城、そして起き上がり小法師。 すべて会津にまつわるものです。 なか いいね!かわいいね!! 【磐越西線 快速「あいづ」乗車記】E721系リクライニングシートの指定席でゆったり会津路の旅!(座席表あり) | ひさの乗り鉄ブログ. 指定席エリア部分の側面には、ピンクの帯にでかでかと「指定席」と書かれたラッピング。 会津若松の観光名所「鶴ヶ城」の桜をイメージしたデザインとなっている ようです。 桜咲く鶴ヶ城が控えめに言って美しすぎた。 — なか@東北旅びより (@naka_travel) April 8, 2021 ちなみに、こちらが実際の鶴ヶ城の桜。 なか すんんんんごい綺麗だよ!まじで!! 快速あいづの指定席は14席しかないので、予約が埋まりやすいです。 実際、筆者が乗車した時もほぼ満席でした。 より確実に座席を確保したい場合、なるべく早めに予約することをおすすめします。 【車内】快速あいづの座席まわり(指定席・自由席) 快速あいづの車内。 手前側が自由席で、奥側が指定席のリクライニングシートです。 このように、 1両のうちの半室が指定席 になってます。 指定席エリアと自由席エリアを区別しやすいように「指定席」と書かれた仕切りがあります。 側面から見るとこんな感じ。 リクライニングが可能な座席になってます。 茶色などを基調とした、落ち着きと温かみが感じられるデザインですね。 リゾートしらかみ青池編成の座席 海里の座席 ちなみに座席はリゾートしらかみの橅編成・青池編成や、海里に使われているものをベースにしているとのこと。 要するに、 観光列車とほぼ同じ座席が使われている ということですね。 なか 通りで快適なわけだ~! コンセントやWi-Fiなどの設備はありませんが、それでも十分すぎるほど快適です。 実際に席に座ってみました。 足元は特別広いわけではありませんが、クッション性があるので座り心地がいいです。 各座席にはテーブルが備え付けられています。 肘掛けからミニテーブルを出すことも可能。 普通席と指定席の間にデッキなどはなく、普通席の利用客もちょくちょく横を通ります。 ただ、トイレがすぐ正面にあるのはありがたいですね。 座席のポケットには会津若松の観光マップがありました。 会津のグルメや観光地などが分かりやすく紹介されています。 【郡山~会津若松の車窓】猪苗代駅付近の磐梯山が特に見どころ!

旅行系ブロガーNo.

2020年8月4日(火)掲載 【8月3日】岡山電車区の115系L-16編成が、下関総合車両所本所へ回送。 みんなのツイート(新しい順) 全34件 みんなのブログ記事(新しい順) 全4件 どうも、こんそめです。 久々の過去ネタではない記事になります。最近新規の記事が投稿できておらず、申し訳なく思っています。 さて、8月5日・6日に立て続けに岡山の車両基地にほぼ放置状態だった元広セキL‐1... 呉人の鉄道部屋さんのブログ 115系L編成の廃車回送が全て完了することとなりました。227系0番台の増備車が営業運転に入った2018年秋からL編成の廃車が始まり、広島シティネットワーク各線から115系が撤退した2019年3月改正以降加速していった... SN総合車両所です。前回は先日廃車回送された広セキL-16編成の撮影についてご報告しました。そこで述べたとおりL-16編成はL-17編成とともに岡山地区で代走運用をつとめ、国鉄広島滅亡後もその生き残りとして細々... SN総合車両所さんのブログ みんなの動画(新しい順) 10分20秒 ありがとう!

下関総合車両所 - 所属車両 - Weblio辞書

列車「解体」動画 キハ181系気動車スクラップ JR西日本 下関総合車両所 幡生工場 - YouTube

大宮総合車両センター - 過去に保存・留置された車両 - Weblio辞書

さて現在、九州に来ています。 本日公開の山口県 幡生駅近くの下関総合車両所を訪問のため、昨日より下関に宿泊し、下関総合車両所に向かいました。 下関総合車両所のメインの被写体はクモハ42001です。 この車には小野田線雀田支線で活躍していた晩年に何度か撮影しましたので、思い入れのある車です。 久しぶりの再会と言うべきでしょうか。 懐かしい姿を見せてくれましたが、車体には錆びが出て来ていて、状態は良くありませんでした。 また、留置場所も建物の裏側な上、私が訪問した午前中は逆光になってしまいました。 今日の下関地区は風が強く、このカットは太陽が雲に遮られた瞬間に撮影。 架線の無い線路のため、パン上げは無しでした。 車番。 このクモハ42形も「0」からでなく、「1」から始まります。従ってこの車がクモハ42形のトップナンバーです。 旧形国電のこの0と1の違いは何か意味があるのでしょうか? 下関総合車両所 - 所属車両 - Weblio辞書. クモハ42形は京阪神の急行電車用として昭和8年から製造された車両で、当時から私鉄との競争が激しい区間であるため、モハ32系と同様のセミクロスシートを採用。電動車も初めて20メートル級を採用するなど当時の国電としては革新的な技術をつぎ込みました。この点で関西の国電は関東よりも進んでいました。 旧国標準のCS5形主制御器と主抵抗器。 台車もモハ40系から採用のDT12台車。 良く見たら、基礎ブレーキが壊れてますね。壊すなよ~😡 主電動機もモハ40系と同じMT15系ですが、歯数比は加速度度外視の1:2. 26と高速向けに設定されています。 戦後になると飯田線など各地方線区への転出が始まり、この42001も宇部・小野田線に転出。両運転台のため、増結や単行用に重宝され、何と21世紀にまでなった2003年に最後の旧形国電として、営業運転を終了しました。 歴史を物語る4枚の銘板。 車籍板は「日本国有鉄道」のまま。 歴史的価値を尊重して担当者が交換しなかったのでしょうか? 個人的にはゴツい幌枠のあるこちら側(2エンド)の方が好きです。 パンタ側の1エンドは幌枠も桟板も撤去されていて、いささか間抜けな面構えになってしまいました。 ゴツい幌枠がある方が旧国らしい面構えだと思うのは私だけでしょうか? せめて栓納メにジャンパ栓でもあればカッコいいのですが…😅 秋らしい高い空と古豪。 あのAK3コンプレッサーと、高めの吊り掛けサウンドが思い出されます。 昔の拙作をいくつか… 車内です。 木製の綺麗なクロスシートが並んでいます。 こんな車が21世紀まで現役で走っていたとは信じられますか?

下関総合車両所一般公開2019に行ってみた - Youtube

→ 1928. 10. 1 改番30123 (東鉄) →... →1953. 6. 1 改番 11035 (長キマ) →1955. 2. 25 丸屋根改造 長野工場 (長キマ) 11117改番→ 1958. 7 広ウヘ※ →1958. 8 →広ヨコ → (1962. 10 広ヨコ→広ヒロ移管? ) →1977. 1. 25廃車 (広ヒロ) ※1958. 7広ウヘ転属は誤記の可能性あり。直接1958. 8 長キマ→広ヨコの可能性も 当初の配置は京浜線(→のちの 京浜東北線)用だったようですが、いつ 大糸線 に転属になったかは不明です。また鉄道雑誌のバックナンバーを調べていたところ 1958. 7 長キマ→広ウヘという情報と 1958.

東海道新幹線の上に、太い鉄骨で組まれた構造物が出現し始めた、浜松町駅。 昭和の建造物を想わせる、現在の低い天井に囲まれた改札口や旧高架橋時代の赤レンガ壁も、思い出になる日がくる。 浜松町駅北口ではいま、「(仮称)浜松町駅北口東西自由通路・北口橋上駅舎整備」なる工事がすすんでいる。 上の画像は2021年4月13日。浜松町駅と旧芝離宮の間のスペースに巨大な鉄骨構造物が出現している。地上3階建ての新駅舎にむけた基礎工事だ。 このスペースはもともと東海道線支線の線路があった場所。この線路上に貨物駅があった。 また、寝台客車と自動車積載用貨車をつないでクルマと旅客をいっしょに運んだ「カートレイン」(東京~九州)なる名物列車はここを発着していた。 浜松町駅新駅舎の工事完了予定は「2028年10月31日」と現場に記されている。建築主・設計者はJR東日本、施工者は鉄建建設。新駅舎が完成すると、東西自由通路で竹芝まで2階部分を行く歩行者デッキで結ばれる。 ◆新幹線が接する田町駅、羽田空港アクセス線の電車が顔を出す地 ◆京王線 高架化工事、下高井戸駅前市場前の踏切から想う ◆山手線の上を行く東横線トラス橋、引き出し工法で解体した跡地 ◆新宿貨物駅 跡地のいま、小田急地下ホームや西武新宿駅ビルが建設中のころ_新宿1974 ◆JR京葉線 幕張新駅 建設工事、コンクリート基礎やエレベータ骨格がみえてきた

【お赤飯】です! 広島エリアに次から次にデビューしている 227系新型電車 。 快適な乗り心地で新型電車に飢えていた利用者にとっては 歓迎する状況です。 その一方、昭和の古い電車 の引退は急速にすすんでいます。 下関総合車両所では115系の黄色の残骸が高く積まれています。 ( 幡生駅 ホームから見える車両所ヤード) (そこに見えるのは災害後のような瓦礫の山) (黄色塗装が目立つ 115系 の残骸です) (ここまで高く積み上げなくても・・・) (頂上に置かれた残骸に見覚えがある) (連結器周辺の部分が上下逆になっています) (その奥にはガラス類が撤去済みの車両がある) (近日中には鉄くずになる運命) (解体場の奥側に新車 227系 が置かれる対照的な光景) (製造直後、試運転表示が 初々しい) (車輪置き場。 クハ115-2620 と記入の車輪が生々しい) ( クハ115-2620 は R-01編成 の先頭車だった) ここはデビューする車両と消えていく車両が並ぶ不思議な場所。 幼稚園と葬儀場の役割を持つ下関総合車両所です。