プロ野球において「1試合最多奪三振記録」は1995年に野田浩司選手(オリックス)が達成した19奪三振だ。野田選手は1987年ドラフト1位で阪神へ入団。1992年オフにオリックスへトレードで移籍し、才能が開花した。阪神時代は投球回数以上の三振を奪ったことはなかった野田選手。決して三振を多く奪う投手ではなく1991年の143奪三振(212. 2回)がキャリアハイだった。 しかし、オリックスに移籍した1年目は225回を投げ209奪三振。17勝(5敗)をマークし自身初のタイトルとなる最多勝を獲得している。1994年(213奪三振)、1995年(208奪三振)と3年連続で200奪三振を記録するなど球界を代表する投手へと成長。その野田選手は1995年4月21日のロッテ戦において1試合19奪三振のプロ野球記録を達成する。この記録は20年以上が経過した2016年終了時点でも更新されていない。 野田選手の武器は大きく落ちるフォークボールだ。当時、ヤクルトのを率いていた野村克也監督は「お化けフォーク」と称していた。晩年はヒジの故障もあり活躍できなかった野田選手だが、1試合19奪三振の記録は光り輝いている。 甲子園では1試合22奪三振という快挙! 甲子園において「1試合最多奪三振記録」(延長戦を除く)は桐光学園高校(神奈川県)の松井裕樹選手(楽天)が記録した22個だ。 2012年夏の選手権1回戦で松井選手率いる桐光学園は、今治西高校(愛媛県)と対戦。2年生ながらエースナンバー「1」を背負った松井選手は、2回まで1つの四球を与えたのみで奪ったアウトは全て三振だった。5回を終わった時点で無安打無得点投球を続け11奪三振の快投。奪三振記録、ノーヒットノーランへの期待が高まっていた。しかし、6回に初安打を許し夢は潰えてしまう。 ここで松井選手は緊張の糸が切れることなく、三振を量産。6回1死から9回2死まで10者連続三振を奪う。直後に安打を打たれるも最後の打者を三振に打ち取り、1試合22奪三振の快挙を成し遂げた。 また、延長戦を含む1試合最多奪三振記録は徳島商業高校(徳島県)の板東英二選手(元中日)が魚津高校戦(富山県)で記録した25奪三振となっている。この試合は延長18回引き分けとなっており、翌日に再試合が行われた。この大会で坂東選手は83奪三振を記録し、こちらも甲子園記録となっている。 プロ野球、メジャーリーグ、高校野球と奪三振記録が作られているが、更新がむずかしいものも多く、過去の偉大な投手達の記録には驚かされるばかりである。今後、これらの記録を塗り替える選手が現れるのか、注目したい。 おすすめの記事
こちらでは、ついに導入された高校野球の投球制限についてまとめました。甲子園ではすでにタイブレークが導入されていますが2020年の春の選抜大会からは球数制限も導入が決まりました。はたしてこれで投球過多による故障は防げるのでしょうか?
野球のピッチャーの醍醐味といえば、やはり打者から三振を奪うことで、次から次へとバッターが三振に倒れていく光景はまさに圧巻です。 となると気になるのは 奪三振記録 の 1試合最多 はどれぐらいなのかということです。 日本の プロ野球 (NPB)の1試合最多奪三振記録はもちろんのこと、甲子園やメジャーリーグ(MLB)と比較してどこが一番多いのでしょうか?