僕は辛かったです。 それと同時に、ちょっとその感覚があまりにも当たり前過ぎて、 そんなものではないかと諦めている自分もいました。 この交流分析や、再決断療法の考え方を知った時。 こんな風に悩んでいたのは僕だけじゃなかったんだ! 解決できる方法が既に存在していたんだ!
みなさん、今日も生きづらい人、アダルトチルドレンのお話です。 アダルトチルドレンの人は、何があっても「自分なんていない方がいい~ 」となります。 自分は、ダメ人間で何もできないから、自分なんていない方がいい~ 。 自分は、嫌われているから、自分なんていない方がいい~ 。 職場では、自分がいない方がみんなもいいだろうから、自分なんていない方がいい~ 。 恋愛では、この人は、自分といない方が幸せだろうから、自分なんていない方がいい~ 。 でもね、これって誰も言ってないですよね。ですから自然と自分の中から出て来るのです。 問題は、どうして自分の中に、「自分なんていない方がいい~ 。」との思いが入っているのかです。 そのような思考が出て来ることを責めてなんていないですよ。 いいですか。入っているものは出て来るのですよ。でも出て来るのは心からの合図なのです。 そのような思いや思考になってしまう原因の何かが、自分の中にあるってことなのですよ。 ですから問題は、その原因です。表面ではなく原因を見るのです。そうなる根本の部分です。 この場合は、自分なんていない方がいい。=自己価値観が低い。ということです。 では、どうして自分の自己価値観が低くなってしまっているのか?ここが根本の原因ですよ。 そして、自己価値観が低いことの下にある感情を見るのですよ。その感情は何でしょう? その感情の正体は、「見捨てられ不安 」です。この見捨てられ不安が邪魔をするのです。 邪魔と言うか、見捨てられるのが怖い~ !だから見捨てられる前に自分が消える~ ! 「自分はいない方がいい」と勝手に一人になりがちなあなたへ【その要因と特徴編】 | 「自分らしい幸せが見つかる♪」心の四次元ポケット. それによって見捨てられる恐怖から回避しているのです。でもね、もっと深い部分。 どうして見捨てられると思っているの?どうして見捨てられるのがそんなに怖いの? ここが核心ですよ。この根本の原因の核心部分です。わかります?なぜ怖いのか? そうです。もう見捨てられたんでしょ。その経験が心の傷になっているんでしょ。だから怖い。 そんな怖い体験をするくらいなら、自分から身を引いた方がラクなんでしょ。 もうこれ以上は傷つけないほどのダメージを負っているんでしょ。だから避けるのでしょ。 この話って痛いですよね。それにそんなこと見たくないですよね。でもなんで見たくないの? 痛くて見れないからでしょ。なら、どうしてそんなに痛いのよ。それが心の傷、トラウマですよ。 その痛む傷をケアしてあげてください。傷があっては普通に生活なんて出来ませんよ。 心の傷だから目に見えないからってバカにしちゃいけませんよ。逃げる材料にしないでくださいよ。 自分のその痛みを信じてあげてください。痛いものは痛い。傷があれば痛くて普通にできないのですよ。 どうでしょう。何か伝わりましたでしょうか。読んでいて痛いと感じる人はケアしてあげて下さいね。 アダルトチルドレンbeアンビシャス ネガティブ思考の原因に向かい合おう!すどうゆうじ ACの回復に最適!
パワハラ、セクハラの構図と酷似している そして、実は、「相手のため」とか「全体のため・世の中のため」などというのは、すべて自分に都合のよい言い訳にすぎず、本当は自分のためなのです。つまり、自分のストレス解消、自分の欲望の達成、自分の優位性の確保(マウンティング)のためなのです。人々はそのことに気づいたのです。 これはとても良いことだと思います。もちろん、こういった認識が常識として定着するまでには時間がかかるかもしれませんし、完全になくすというのは難しいかも知れません。でも、「あっても仕方のないこと」から「許されないこと」に変わったのは大きな進歩といえると思います。 親による子どもへのハラスメント しかしながら、私は大いに不思議に思うことがあります。それは、これらのハラスメント以上に、日々あちらこちらでたくさん行われているハラスメントがあるのに、それが未だに「あっても仕方のないこと」という認識にとどまっていることです。それは、ほかでもない、親による子どもへのハラスメントです。 親はよく次のような言葉を子どもにぶつけます。「また歯磨きしてない。ちゃんとやらなきゃダメでしょ! 何度言ったらできるの? 本当にだらしがないんだから。もっとしっかりしなさい」「なんでこんな問題もできないの? 子供に自分なんかいない方がいいと思わせる親。心理と対処法 | 毒親ナビ. さっきやったばかりでしょ。何度教えたらできるの?」「学校からのお便り、ちゃんと出さなきゃダメでしょ。なんで同じことを毎日言われるの?」「そういうだらしがないとこ、誰に似たの? 妹はちゃんとできてるよ。あんた、それでもお兄ちゃんなの?」 こういうひどい言葉が、毎日あちらこちらの家庭で子どもたちに浴びせられています。これらは、完全な人権侵害であり、嫌がらせであり、いじめです。こんな言葉は一切子どものためになりません。それどころか、子どもに深刻な悪影響を与えます。こんな言葉を浴びている子は「自分はダメな子だ」「どうせぼくなんて何をやってもダメだ」と感じて、自己肯定感が持てなくなります。 すると、チャレンジ精神や向上心も持てなくなり、頑張るエネルギーもなくなってしまいます。親に対する愛情不足感も出てきて、「自分は親に大切にされていない。私なんかいないほうがいいんだ」と自己否定感ばかりが強くなります。親が信じられなくなることで、ひいては他者一般が信じられないという人間不信の状態にまでいたる可能性も高まります。
回答 1 有り難し 19 なぜだかわかりません。 自分には生きる価値がない、消えた方が周りのためだ、欠陥人間だという思い込みがずっとあります。何をやってもうまく行かず生きていることに疲れました。どうしたらいいでしょうか。 いつも、いつ死んでしまおうか、けど死ぬ苦しみも怖い、情けない毎日です。 お坊さんからの回答 1件 回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。 いてください うまくいかない時はそんな気持ちになりますね。 私もそのような時がありました。 私の場合は、 死んだら親が悲しむから、妻が悲しむから、子供が悲しむから、だから今は死ねない。 と思ったり、 死んだ後、私の仕事のポジションに後輩が来て、後輩が私と同じように悩み苦しむなら、私が今この困難を克服する見本を後輩の為に見せなければならない。 と考えたりしてなんとか乗り越えました。 あなたには当てはまらないかも知れませんが、あなたなりに生きる理由を考えて乗り越えてください。 今は辛いでしょうが、明けない夜は無いと信じてください。 自分の価値というものは自分で身につければいいのです。 「ダメな自分・自分を卑下」問答一覧 関連する問答 温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ 関連コンテンツ
ホーム 家族問題(親子関係) 「自分なんかいない方がいい」。そう思っている人がいます。どんな人が、そう感じるのでしょうか。その原因は? 心理は?
圧倒され、見入ってしまいます。 工場での機械の音、線路を走る列車の音など、様々な音から妄想のミュージカルを繰り広げます。 特に 迫力があったのは、セルマが初めて妄想の世界に入り込む工場 でのシーン。 工場内を駆け回りながら、職員全員を巻き込んで高らかに歌い踊る姿は本当に楽しそう! 一気に映画の世界に引き込まれました。 しかし、 ストーリーを追うごと に、妄想のミュージカルや歌唱シーンも不穏な空気感になっていきます。 ラストに歌った『最後から2番目の歌』は重かったなぁ…。 続いては衝撃のラストシーンを考察していきます。 最後の字幕の本当の意味とは? (ネタバレあり) 映画のラストに流れる字幕が意味深…。 あれはどんな意味を持っているんだろう? ダンサー・イン・ザ・ダークのラストはセルマの歌唱が絞首刑によって終わってしまいます。 そのあと、無音のまま映し出されるフレーズが。 They say it's the last song. They don't know us, you see. マツコが共感【ダンサー・イン・ザ・ダーク】ネタバレ感想。憂鬱と絶望感で、もう二度と観たくない。あまりにも辛すぎる。ミギー的報われない超超超バッドエンド作品第1位。 | ミギーの映画ブログ|映画好きのための映画感想コレクション. It's only the last song if we let it be. これは最後の歌じゃない。わかるでしょう?私たちがそうさせない限り、最後の歌にはならないの。—字幕より これはセルマが絞首刑の直前に歌う『最後から2番目の歌』の歌詞です。 自分が絞首刑になったとしても、愛する息子ジーンの未来は続いていく。 希望がある限り終わりじゃない。 そんなメッセージを伝えたかったのではないでしょうか。 当初のエンディングは【 息子の手術が失敗し、絞首刑を受ける 】救いようのないストーリーでした。 しかし主演のビョークが監督に「 あまりにも救いがない 」と結末を変えるよう説得したというエピソードがあります。 描写は残酷ですが、この歌と字幕のおかげで少しだけ穏やかな気持ちになれます。 悲しい結末でも、彼女にとってはハッピーエンドだったかもしれませんね。 つらくて悲しい映画だと思っていましたが、 親の立場になってからこの映画を観ると見方が変わりました。 ダンサー・イン・ザ・ダークは実話? ダンサー・イン・ザ・ダークは実話なのでしょうか?
……。 そんな風に、キャリアの絶頂期にいたビョークですが、最初はダンサー・イン・ザ・ダークに出演するつもりはなかったことを、DVDに収録されているインタビューでは語っています。 「最初は、音楽の制作だけして、主演の話は断ろうと思っていたの」 とは彼女の弁。 幼少期から絶えず音楽を作り続けてきた彼女は、音楽を作る生活から離れることへの不安もあったのでしょう。 別の場では「時間はどんどん過ぎていくの……。映画の撮影中にもう二度と曲が書けなくなったらどうしようって本当に怖くなったわ。息が止まるかと思った……」 と発言していました。 しかし、彼女はセルマを演じることを決意した理由についてこう話します。 「でも、脚本を読んで、私がセルマのことを守らなきゃって思ったの」 これ、すごい言葉じゃないですか?
『 松本人志のシネマ坊主 』(まつもとひとしのしねまぼうず)は雑誌『 日経エンタテインメント! 』にて1999年6月号から2008年6月号まで連載されていた、 松本人志 の映画評論。 10点満点で新旧様々な映画を採点していった。連載終了時に「この連載をまる9年続けて、僕が認めるような面白い作品は、めったにないという結論もでましたからね。」というほど採点は厳しいものであった。しかし10点満点をつける作品も何度か出ている。 『 ライフ・イズ・ビューティフル 』『 ダンサー・イン・ザ・ダーク 』『 鬼が来た! 』『 ディープ・ブルー 』『 モンスターズ・インク 』『 ペーパー・ムーン 』などがそうである。連載終了理由は「昨年、『 大日本人 』を撮って、映画監督としてデビューしたのですが、 今後も映画をちゃんと撮っていきたいと思っています。 それにあたって、そろそろ人の映画を「ああだ、こうだ」と言ってるんじゃなくて、 純粋に評価される側に立ちたいという気持ちになりました。 それで映画批評の連載も一区切りつけようと思ったわけです。 」というものである。因みに、 松紳 でこの本を紹介する際に松本は「僕、映画嫌いなんですよ!」と前置きしている。 書籍 [ 編集] 松本シネマ坊主( 2002年 、 日経BP社 ) ISBN 4822217337 シネマ坊主2( 2005年 、日経BP社) ISBN 4822217442 シネマ坊主3(2008年、日経BP出版センター) ISBN 4822263215
週末前の会社の同僚6人で誕生日会と称してイタリアンランチしました。 そのうちの一人と最近よく映画を見にいくのだけど、その友達からプレゼントにもらった本。 【STORY】 ハリウッド大作からミニシアター感動作まで、全70本をぶった斬り! 独自のシニカルな視点と毒舌による松本人志初の激辛映画批評集。『日経エンタテインメント!