でした。 チンギス・ハンをかんたんに語るポイントは、 ・モンゴル帝国を作った偉大なスーパーヒーロー ・人生の前半は、トラブル続きだった ・世界征服を夢見ためっちゃハングリー精神の持ち主 ・もしかすると、源義経と同一人物かも? 最後まで読んでいただきありがとうございます^^
・生まれてすぐ言葉を話した ・子供でありながら知見は高僧の域だった ・14歳で武将として戦に参加して勝利に導いた ・10人の声を同時に聞き分けることができた ・平安京誕生や黒船来航や明治維新を予言していた これは普通の人間ではまずありえないことばかりです。そもそも伝承によるものが多く、本当に聖徳太子がそのような人間離れした技を持っていたのかというのは誰もわかりません。 キリスト伝説と酷似?
と疑問が浮かんできます 源義経はどうやってモンゴルに渡ったのか… その頃の蝦夷では海洋民族が築いた文明が栄えていました 船を使って大陸と交流していたのです これは仮説ではなく、ほぼ確定です もし源義経が北海道までたどり着けていたなら、そこから彼らの力を借りて大陸へいけます あとは陸路ですから、モンゴルに行けないとは言い切れないのです つまり、源義経=チンギスハン説はあながち間違いではないかもしれません チンギスハン 史上最大のモンゴル帝国の基礎を築いたチンギスハン それなのに彼に関しての資料が少なすぎるのです 生年月日さえわかっていないんです (これは当時のモンゴルなら普通だったのかもしれませんが…) 二人の共通点 義経は31歳で死亡17年後にチンギスハンが歴史に登場…この時41歳と言われています 大体同年代なんです さらに当時のモンゴルで大型の弓を使っていたのはチンギスハンただ一人 普通は小型の弓を使うのがモンゴル人なんですが、大型の弓を使っていたのは日本人です 義経は「九郎義経」の別名もあり、またチンギス・ハンも「クロー」の別名があった 背格好、お酒が苦手なことが共通点 家紋や弓矢、年代など2人には共通点が多い さてどうでしょう…義経=チンギスハン説…君達は信じますか? いかがでしたか? 信じる信じないはともかくとして、歴史を学んで行くうえで 時系列 を追って学んで行くことの重要さは解ってもらえたのではないでしょうか そして歴史にを学ぶにあたり 原因→過程→結果 の追及も大事なのです そのように学んで行けば自分なりの仮説も立てられその仮説の証明しながら歴史の勉強も楽しくできるでしょう 某証券会社に入社した後、フリーランスを経て家庭教師・塾講師を長年行っています。この度、『勉強が解かる喜び』をモットーにした家庭教師S-PROJECTをスタートさせました。 ビリヤードが好きな陽気なおっちゃんです。
シーボルト をご存知ですか?江戸時代に長崎・出島にやってきた医師ですね。 そして子孫は、銀河鉄道999に登場するミステリアスな女性メーテルのモデルでした。 今回、シーボルトの かんたんな経歴 、 楠本イネとの子孫がメーテルのモデルに? について紹介します。 シーボルト、プロフィール 名前:フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト 出身地:ドイツ バイエルン州 生誕:1796年2月17日 死没:1866年10月18日 享年:70歳(敗血症) 時代:江戸時代後期 かんたんな経歴、何した人?どんな人?