と驚いてしまいます。なんと、味噌汁の作り方がわからず、水を入れ火をかけた鍋の中に塩わかめをそのまま適当に切って、そこに味噌を溶かしたというのです。きっと味噌汁は絶望的な味だったでしょう。それからというもの、すがる思いで大阪の母親に電話をかけ続け、手帳にはレシピが次々と走り書きされるようになったといいます。 その後、プロの料理研究家になってからも、八宝菜、焼肉、天ぷら、ビーフシチュー。これだけは母には絶対にかなわない、と話していたそうです。 カツ代レシピは永遠に 小林カツ代さんは、人気絶頂の最中にくも膜下出血で倒れ、その後、9年の闘病生活の末、2014年にこの世を去りました。 ━━━━生前、カツ代は折に触れ、周囲の人に「私が死んじゃっても、美味しい私のレシピは永遠にそこの家の家庭料理として残るのが嬉しいわね」と話していた。その意味では、まさにカツ代の願いは現実となり、その味は次世代にも継承されている。━━━━ (『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』から引用) 令和になった今も、数々のレシピは多くの家庭で愛され続けているのです。 「モノ・コト・暮らし」の深掘りレビュー&ニュース「GetNavi web」
『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮社/阿古真理著) 【今回取り上げる書籍】 『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮社/阿古真理著) 「なんだか妙に、盛りつけがモリッと立体的になったな……」 大学時代、久しぶりに顔を出した実家で母親の 料理 を見たとき、真っ先に感じたのがそれでした。さらに「なんだか妙に、余白感があるデカい皿に盛りつけるようになったな……」とも。そして、食べ終わった食器を下げにキッチンに行ったとき、同じ著者名を冠した料理本が数冊、視界に入ってきたのです。 「へぇ~、 栗原はるみ 。さては、この本の影響か!?
2005年に小林カツ代さんが倒れた2年後の2007年に本田明子さんは、ようやく独立します。 きっと師匠である小林カツ代さんの事をずっと想い続け、なかなか独立に踏み出せなかったのかも知れなく立派な師弟関係であったに違いありません。 師匠の小林カツ代について さて、そんな本田明子さんの師匠である小林カツ代さんについてご紹介したいと思います。 小林カツ代さんは、2014年でこの世を去ります。享年76才でした。 小林カツ代さんは大阪の商家に1937年10月24日に生まれ21歳の時に結婚します。 新婚当時は味噌汁も満足に作れなかったそうです。 と言いますのは、料理好きの母親の元で育ったのですが、 絵画や漫画などに興味があり、料理は興味なかったのか教えてもらわなかったそうです。 今でこそ小林カツ代さんのレシピ本は非常に人気があるのに当時としては信じられない位です。 小林カツ代さんに関する記事もありますので、もしよろしければご覧いただければと思います。 小林カツ代の夫と息子をチェック!離婚と再婚もリサーチ! 小林カツ代さんをご存知でしょうか?
マドモアゼル・愛 チャンネル登録者数 10.
■イベント名 『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン――究極の自由を得る未来』刊行記念イベント テクノロジー×倫理×アートの白熱対談! 未来の人類「ネオ・ヒューマン」の姿とは?
全ての生物は何らかの形で、ゆっくりとした進化の途上にあるというが、人間は100万年後、いったいどのような姿になっているのだろうか――。 ■進化した未来の人間の姿は?