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Wed, 26 Jun 2024 10:11:05 +0000

◎ 津軽三味線の第一人者 「高橋 竹山」 余談ですが「 藤 圭子」 の母 & 「 宇多田 ヒカル」 の祖母である 旧姓・「 竹山 澄子」 は、女性盲人芸能者・ 盲御前 (ごぜ)でした。 盲目の三味線奏者であり、唄(浪曲)も秀でていたと聞きます。 「竹山」と同じ 門付 で、東北~北海道を旅していた様です。 いわゆる 同業者で、姓・名に「ちくざん」と「たけやま」、何故か「竹山」が気になりました。 しかし、師弟関係は無い様です。 あるとすれば、一時期 門付のライバル関係だったかも知れません? 歴史好きにはたまらない!後世に残る偉人たちの力強い辞世の句とは | 徒然!Kia Ora Japan. どちらにしても、「高橋 竹山 」も「 竹山 澄子」(昭和の歌姫・平成の歌姫のルーツ)も 三味線だけではなく、 日本人の魂 を奏でています! 2020年、コロナの蔓延で一年延期になった「全日肖展」が、今月 2~8日 上野 東京都美術館 で開催されました。 私は観覧していませんが、情報 や 写真 を入手したので 報告いたします。 友人「鈴木 博詞」は、札幌在住のロシア人女性をモデルに、今回は 納得いく作品に仕上がったと満足していました。 私も 完成した作品を知っていたので、上位入賞を願っていました。 ところが、審査の結果は 散々でした。 「評価に 値せず」だった様です。 審査は 適正だったのか? 「鈴木」は「そんな事もあるのさ」と笑っていましたが、内心は穏やかでない筈です。 「全日肖展」の最高位である「内閣総理大臣賞」と「衆議院議長賞」の画像を添付して来たので、彼の悔しさが窺えます。 是非 比較してご覧ください。 ◎ 友人「鈴木 博詞」作 ◎ ロシア人モデル(スナップ) 「鈴木」と同業者(画家)で仲の良い「浅野 勉」は、私とも多少 交流があります。 普段穏やかな「浅野」も、今回の「全日肖展」に 不満がある様です。 ◎ 友人「浅野 勉」作 ◎ 過去の作品(油絵) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「全日肖展」上位入賞の作品です。 数千点の応募の中、観衆に好評を得る 傑作 か不思議です。 「筆遣いは劣るが、純朴だから良い」そんな評価は、国監修の イベント において 有り得ません。(独断と偏見です) ◎「内閣総理大臣賞」 ◎「衆議院議長賞」 芸術は、奥の深い世界です。 「専門家の目」「観衆の目」それぞれ違いはあると思いますが「良いものは 良い」その判断が、審査の基本ではないでしょうか?

歴史好きにはたまらない!後世に残る偉人たちの力強い辞世の句とは | 徒然!Kia Ora Japan

モカ そもそも辞世の句って死ぬときに詠むんでしょ? 普通そんな余裕なくない!? こんな疑問を持ったことがある人もいるのではないでしょうか。 時は戦国、とはいかないまでも、個々が力を競い合う戦乱の世。言ってみれば、戦死、病気、自害などいつどのような理由で死ぬかわからない時代です。 そんなこともあって、 あらかじめ辞世の句を用意してから出陣する武将が多かった ようですね。また、もし突然死んでしまった場合は最後に詠んだ詩が辞世の句とされることもあったそう。 もう戻ってはこられない覚悟で戦に出る。 当の本人たちからすればとんでもないことかもしれませんが、いまとなっては彼ら、彼女たちの力強さにある種のロマンを感じます。 人生観が変わる偉人たちの辞世の句 この世に残されている多くの辞世の句は、当然ながら偉業を成し遂げた大いなる人たちのものばかり。男性、女性に分けて紹介していきます。なかには人生観がガラリと変わってしまう衝撃作があるかもしれませんよ! 男性篇 まずは男性篇。 高杉晋作 面白きこともなき世を面白く、すみなすものは心なりけり これは現代の日本人にはあまりにも有名な辞世の句です。なかには座右の銘として「面白きこともなき世を面白く」という句を掲げている人もいるのでは? でも実は、これ、下の句に続いているんです。 ただこれにはさまざまな議論が飛び交っていて、上の句を高杉晋作が、下の句を高杉晋作の看病をしていた知人が付け足したという説や、高杉晋作が亡くなる数年前に詠んでいたとされる説などがあります。 もし上の句だけで終わる内容であれば 「よっしゃ! この世界、俺が面白く変えたるで!」 という強気な意味合いに取れますが、下の句に続くのだとしたら 「この世は心次第でどちらにもなる」 という哲学的な落ち着いた印象を与える句となります。 謎は残るところですが、そこがまたロマンというか、探求心をくすぐられる部分でもありますね。 なお、 「面白きこともなき世に面白く 」 ではないかという考えもあるそうです。 もうこの際本人に真相を確かめたい! 土方歳三 よしや身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらん 鉾とりて月見るごとにおもふ哉あすはかばねの上に照かと 辞世の句が3つも!? とはいえ、前者2つについてはほぼ同義。おそらく本来の辞世の句が後世に伝わっていくにつれ、伝言ゲームのように使われる語彙(「よしや」が「たとえ」になど)が変わってしまったのでしょう。 ここで「東の君」って誰やねん!?

幕末の名言だけをピックアップ! 「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ」 辞世の句・最後の言葉 土方歳三 または「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん」ともいわれる。 発言者 土方歳三について 土方歳三のプロフィールを紹介します。 ひじかたとしぞう 生年月日 1835年 5月31日 没年月日 1869年 6月20日 年齢 満34歳没 通称、新選組 鬼の副長。 同郷の近藤勇とともに浪士組に加わり、のちに新選組として京都の治安維持に努めた。 また、大政奉還後の戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いを皮切りに、盟友・近藤勇と別れた後も、旧幕府陸軍先鋒軍参謀として各地を転戦。とくに箱館戦争の局地戦においては、抜群の戦術の冴えをみせる。 新政府軍に対してまさに最後まで抵抗を続けたが、箱館の一本木関門にて腹部に銃弾を浴び戦死。 愛刀は和泉守兼定(いずみのかみかねさだ) 続きを読む ←やるだけのことはやって、後のことは... ↑一覧へ戻る よろしく身を困窮に投じて、実才を死... →