〒2420017 神奈川県大和市大和東2-2-17 支店コード 347 支店名 大和支店 カナ支店名 ヤマト 支店コード 347 ※支店番号や店舗番号とも呼ばれます。詳しくは 銀行コード・支店コードとは をご覧ください 住所 〒242-0017 神奈川県大和市大和東2-2-17 地図を見る 電話番号 046-263-2721 URL このページについて このページは三井住友銀行大和支店(神奈川県大和市)の支店情報ページです。 三井住友銀行大和支店の支店コードは347です。 また、 三井住友銀行の銀行コード は0009です。 三井住友銀行の基本情報 金融機関コード(銀行コード・全銀コード) 0009 金融機関名 三井住友銀行 金融機関名カナ ミツイスミトモ URL 類似している金融機関
奈良県 内には「三井住友銀行」が 12店舗 あります。
これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学 [著]マイケル・サンデル 好きになれない異性が「友だちになってくれないと飛び降りる」と自殺を仄(ほの)めかしてきたらどうする? 先月書評した小説『「悪」と戦う』には実際そういう場面が出てくるのだが、ハーバード大学での講義「Justice(正義論)」をまとめた本書は、そんな究極の選択を次々と突きつけてくる。自由選択による繁栄を旨とする現代社会で、正義はどう規定されるか? 大人気の講義はテレビ放映され、NHKの日本語版「ハーバード白熱教室」も話題だ。 現代における「正しさ」は「(共通)善」とは分離した概念として考えられてきた。正義が「美徳」から出発したのが古代の政治哲学なら、「自由」から出発するのが近現代のそれである。本書は過去の事件や災害を例にあげながら、幸福、自由、美徳の3観点から正義に迫る。18世紀のベンサムの功利主義を振り出しに、ミル、自由至上主義(リバタリアニズム)、カント、ロールズ、アリストテレスの順で論じておのおのの問題点を炙(あぶ)りだすという構成は、年代順の哲学史の体裁ではない。しかしこの並び、特にアリストテレスを最後にもってくることで、本書の骨子を入門者にも実にのみこみやすくしているのだ。 例えば、ブレーキの壊れたトロリーがこのままだと5人を轢(ひ)く。退避車線によけると1人を轢く。あなたならどうする? これからの「正義」の話をしよう 目次 - 最後の努力もそこそこに. 最大多数の最大幸福を唱える功利主義の検証に用いられるのは、こんな古典的問題だ。人間の快楽と苦痛は単一の尺度で、数字で測れるのか。リバタリアニズムには、当人同士の合意による食人や幇助(ほうじょ)自殺は許されるか?などの問いがぶつけられる。難解なカント哲学のおさらいは特に手厚く、一般にも実感のわく事例をとるので、ドキュメンタリーを読む面白さもある。 最後の2章では、人間の義務と責務は意志や選択に帰するという、カントからロールズに至る近現代の政治哲学に疑問を投げかけ、共同体の連帯(の復活)に重きをおくコミュニタリアンのサンデル自身の立場が明らかになる。現代の倫理は個人の道徳・信仰の尊重を理由に「回避」の姿勢をとってきたという主張には頷(うなず)くものの、共同体意識から生ずる「誇りと恥」を扱う行(くだり)で、合衆国憲法や戦没者の英霊などは「(米国の? )どこの誰でも称賛しうる」と慎重な検証なくあっさり書くとき、著者のもつ愛国心の前提に私はやや怖(お)じる気持ちをもった。 正義へ真摯(しんし)にアプローチする言葉は明晰(めいせき)な輝きをもつ。そこに割り切れない何かが残るとすれば、それが漸(ようや)く文学の扱いうる領域なのだろう。幸福と自由と美徳のどの観点からも解せない死角。集落存続の棄老習俗に基づく『楢山節考』や特殊な性行為の果ての死を描く『みいら採り猟奇譚(りょうきたん)』や選択のない人生を書いた『わたしを離さないで』などを再読してみたくなった。作品の解釈や評価は揺らぐだろうか。哲学の精査に洗われて深化するだろうか。これからの「正義」の話は、これからの文学の話への橋渡しもしてくれそうだ。 〈評〉鴻巣友季子(翻訳家) * 鬼澤忍訳、早川書房・2415円/Michael J.Sandel 53年生まれ。米ハーバード大教授。講義の名手として知られ、ハーバード大の学部科目「Justice(正義)」は、あまりの人気に一般公開された。
「これからの「正義」の話をしよう」の本は マイケル・サンデル教授のハーバード白熱教室の授業の内容をそのまま書籍化したもので、 ハーバード白熱教室の動画を見てから読むとより理解を深められる。 ハーバード白熱教室での、最初の議題として「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?
『 これからの「正義」の話をしよう 』 ご存知「NHK白熱教室」でおなじみのマイケル・サンデル教授の本。 かなり売れたけど、覚えていない人も多いんじゃないかな。 サンデルは本書前半で「功利主義」や「リバタリアニズム」を小気味良く否定していくのだけど、サンデルが考える正義論になると途端に歯切れが悪くなる。 というか、言っていることを理解しようと思わなければ何を言っているのかが分からない。 前半の滑舌の良さはどこに(笑) でも、よく読み込んでいくと、その滑舌の悪さは、「正義」ということの本質を示しているのだということに気づく。 つまり、「正義」なんてスパッと語れる話ではないのだ。 正義とは、結局は成熟したコミュニティの中でみんなで議論した結果として浮き出てくる「共通善」でしかない。 しっかりと考えるクセがついた人間同士が公に議論してやっと「マシなもの」にたどり着けるものなのだ。 サンデルは、正義論を敢えて抽象度高く語ることで、 「正義みたいな難易度の高いものを滑舌良く話す奴は要注意だ」 ということを身を持って示している。 それがサンデルの狙いなのだ。 ・・・知らんけどね(笑)