38kgmアップの最高出力55ps/最大トルク7. 46kgmを発生しました。 パワーアップしたエンジンに対応するためにクロスレシオの4速MTと、フロント・ディスクブレーキを採用しました。 1963年3月に、更なる高性能化を図った「クーパーS(1071クーパーS)」を追加。排気量1, 071ccで、最高出力70ps/最大トルク8. 58kgmを発生。パワーアップに伴いディスクブレーキの大径化とサーボアシストで安定した制動力を確保しました。 翌年の1964年1月、クーパーのエンジンは、ボア・ストロークの異なる998cc(最高出力55ps/最大トルク7. 88kgm)に変更され、扱いやすさが向上しました。3月に、970ccエンジン(最高出力65ps/最大トルク7. 6kgm)を発生する「970クーパーS」と、1275ccエンジン(最高出力76ps/最大トルク10.
1L) ・1994年 ミニクーパーS(970s)/970㏄(1. 0L) ・1994年 ミニクーパーS(1275s)/1275㏄(1.
3オート」(AT仕様・164万円)、「メイフェア1. 3オート」(AT仕様・184万円)が導入されました。 1994年4月にグレードが「メイフェア1. 3i」「メイフェア1. 3iオート」の2タイプとなり、1996年2月の仕様変更でエアコンを標準装備。同時期に本革シート仕様の最上級グレード「ケンジントン1. 3iオート」(AT車のみ・199万円)を追加。12月にグレードが「メイフェア」および「ケンジントン」の2タイプに変更されるとともに、メイフェアMT車のエンジンが「クーパー」MT車と共通の1. 3L高出力版(最高出力62ps/最大トルク9.
BMWミニ/ジョンクーパーワークス 2006年:ミニクーパーS with ジョンクーパーワークスGPキット(R53) 2008年:ミニ ジョンクーパーワークス(R56) 2010年:ミニ ジョンクーパーワークス チャンピオンシップ50(R56) 2013年:ミニ ジョン・クーパー・ワークスGP(R56) 2015年:ミニ ジョンクーパーワークス(F56) 2019年:ミニ ジョン・クーパー・ワークスGP(F56) #ローバーミニ #ミニクーパー #ミニクーパーS #下平直樹 #キャブクーパー
28kgm)に変更されたほか、トランスミッションにも大幅な改良が施されました。 日本市場では、モーリス版が「マイナー1000」の車名で輸入販売を開始。 当時の新車販売価格は103万円で、国産高級車の「トヨペットクラウン・デラックス」が100万円、ポピュラーな輸入大衆車であった「フォルクスワーゲン1200(ビートル)」が78. 5万円だったことを考えると高価な車でした。 その後1968年8月に、ノンシンクロだったローギアがシンクロメッシュ付きとなり、同年BMCがレイランド・モータースと合併し、BLMC(ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション)に名称変更となりました。 Mk-3(マークスリー)シリーズ (1969年~1977年) 1969年10月にMk-3シリーズに移行。本国では車名からオースチン/モーリスの冠名が消え、「BLMCミニ850/1000」と呼ばれるようになり、外観面では、ドアヒンジがアウター式からインナー式に変更され、洗練された雰囲気になりました。また、ドアウィンドウがそれまでのスライド式から巻き上げ式に変更されたほか、ドアノブのデザインを変更。一方、メカニズム面では、サスペンションがハイドラスティック式からMk-1時代のラバーコーン式に戻されたことが大きな変更点でした。 日本市場ではオースチン/モーリスのブランドが継承され、オースチン版が88. 5万円、モーリス版が103. ミニとミニクーパーは違う?ミニクーパーとはどんなクルマ?レースから紐解くミニクーパーの歴史 | ミニ中古車専門店 iR(イール). 5万円で販売を開始。 1972年にドライブシャフトが変更されると同時に、発電機が直流式のダイナモから交流式のオルタネーターに変更され1976年にフェイスリフトが変更となりましたが、日本の排出ガス規制への対応が困難のため正規輸入が一旦中止になりました。 Mk-3シリーズ 以降(1977年~2000年) 1977年以降は、「Mk~」というシリーズ名が廃止。追って1978年に社名がBLMCからBLカーズに変更され、翌1979年には848ccエンジンを搭載するミニ850が廃止されました。 1980年、伝統のセンターメーターを捨て、運転席の正面に2連メーターが備わる「HL」と「HL-E」がリリース。1982年に、BLカーズの大衆車部門としてオースチン・ローバー・グループが組織されたほか、日英自動車の手により6年ぶりに正規輸入販売を再開しました。 導入されたグレードはHLで、パワートレインは三元触媒付の998ccエンジン(最高出力39ps/最大トルク7.
60年代に伝説的な活躍を見せたミニクーパーですが、80年代になると既にその栄光は過去の物となり始めました。 ミニクーパーは既にカタログから姿を消し、ミニ自体は生産が続けられていたものの人気に陰りが見え始め、当時はミニの生産中止の噂も聞こえるようになります。 しかし、ミニクーパーの復活を望む声は多く、80年代後半にジョンクーパーがチューニングしたコンプリートキットを開発、販売したことでミニの人気が再燃します。特に日本国内でのミニ人気は高く、本国イギリスよりも日本での登録台数が多いほどでした。ミニの生産が中止されずに済んだのは、この日本での人気があったからだとも言われています。 そして90年、当時のローバーが「ミニクーパー1. 3」の名前でミニクーパーを復活させます。 1300㏄のエンジンにキャブレター組み合わせたこのモデルは、後に登場するインジェクションモデルと差別化で「キャブクーパー」と呼ばれています。 このミニクーパー1. 3はサンルーフを装備するなどして限定1000台で生産されましたが、そのうち600台が日本での販売枠でした。この事からも、いかに日本市場がミニにとって大きかったかわかります。そして、ミニクーパー1. ローバーミニの歴史|株式会社デルタ. 3は発表されるやいなや予約が殺到し、発売日前に全てが売り切れに。 このあまりの人気に、ローバーは ミニクーパー1. 3(キャブクーパー)の量産モデルを直ぐに市場投入します。サンルーフは廃止されるなど量産向けに仕様変更が行われ、カタロググレードとしてミニクーパー1. 3の販売が開始されたのです。 このキャブレター仕様で復活したミニクーパーですが、92年にはミニが全モデルインジェクション化されたことで、ミニクーパーもインジェクションへと進化します。 名称も「ミニクーパー1.