5m、幅が1. 6mほど。床から屋根のてっぺんまでの高さは1.
人口サンゴ礁プロジェクト そもそもこの海上住宅に「Floating Seahorse(浮かぶタツノオトシゴ)」の名がついているのには、こんな意図がありました。海岸開発による生息地減少のため、ペルシャ湾に生息していたタツノオトシゴが年々減少傾向にありました。Kleindienst社CEOのJosef Kleindienst氏は、2015年5月の除幕式でコテージの海中に人口のサンゴ礁の設置計画を公言。タツノオトシゴが繁殖可能な、安全で住みやすい海中環境を同時に実現するプランを発表しました。 Floating Seahoseにやってくる住人が、このコンセプトに共感して豊かな海の生態系を守る努力も必要な人口サンゴ礁プロジェクト。2016年内にまずは住宅の方が一足早く完成予定だそう。 Licensed material used with permission by Kleindienst
傾斜地に、家を建築する際にはその土地の状況によってさまざまな規制があります。その中でも代表的な規制が、各都道府県の定める「がけ条例」です。がけ条例を無視すると、後から改築を迫られる手間が出てくるので注意しましょう。 この記事では、がけ条例の内容や家を建てる際の注意点について説明します。 がけ条例とは?
今年のオアシスを 楽しみにしていてくれた皆さまへ。 海の家オアシス40周年のはずが存続危機になっています、コロナウィルスの影響で海の家の閉鎖が決まり、経営的に来年の開催が危ぶまれる状況です。 これまでアーティストの出演料などを投げ銭方式でドネーションいただいておりましたが、今年はコロナ禍で運営できないことから、オアシス自身の存続のため、ご支援をファンの皆様にお願いすることになりました。 クラウドファンディングで集まったお金は、今年抱えてしまった負債と来年また建築するオアシスの工事費と夏までの活動費&運営費に充てさせていただきます。 このプロジェクトを通じて、アーティストとファン、スタッフの距離が、もっと、ずっと近くに感じてもらえるように。今までオアシスで作ってきたつながりを今こそ一致団結して乗り越えていきたい。そんなオアシスが大切にしているカルチャーを皆様にお届けしたいと思っています。 とても苦しい状況ですが、今年のオアシスの活動がこういう形であったと将来思い出していただけれるようになればと願っております。皆さまのお力をお貸しいただけますと大変助かります。 ご支援、応援のほどよろしくお願いいたします。 ご支援いただいた皆様へ。 400万円のゴールにたどり着きました!
「なるほど!ジョブメドレー」は新しく、医療福祉業界で働く方の生い立ちから現在までを掘り下げるロングインタビュー企画をはじめました。第7回目の取材に協力してくれたのは、東京都の就労支援事業所で就労支援員として働くAさん(27歳)です。アパレル企業から医療福祉の世界へ飛び込んだAさんに、一般的に聞きなれない「就労支援員」の仕事内容やリアルなお給料の話、やりがいなどを語ってもらいました。 1. 今日の転職経験者はこんな人 ーいまおいくつですか? 27歳です。 ー血液型は? O型です。 ー出身はどこですか? 生まれも育ちも埼玉県です。畑ばっかりの田舎ですね。 ーお父さんとお母さんのお仕事は? お母さんは専業主婦。お父さんはロケットの部品をつくっている技術者です。 ーご自身はどんな性格ですか? 勉強は抜きにして、昔から負けず嫌いです。とくにスポーツとか。 ーちょっと緊張してますか? はい。でも宮田さんに会うことと比べたらぜんぜん大丈夫かも。 ー宮田さん? ジャニーズのKis-My-Ft2のメンバーです。 アイドルオタク なんですよ。 ー宮田さんみたいなお兄さんはいたりします? 残念ながら1人っ子です。 2. Aさん(就労支援員・27歳)の生い立ち 2-1. 幼少期〜小学校時代 ー幼児期の記憶ってありますか? お母さんが好きだったので、幼稚園に行くのがイヤでよく泣いてました。あとは、おゆうぎ会で「白雪姫」の主役をやったことを覚えています。たしか自分で立候補したはず(笑)。 ー子どもの頃の夢は「お姫さま」? 生活支援員の仕事はどんな人に向いているの?仕事内容や向き不向き、やりがいについて解説します【ジョブール】. 昔のアルバムには「果物屋さん」って書いてました。 ー小学生のときはどんな子どもでした? 小学校4年生からバスケ。5年生から女子サッカーをやってました。 ー恋愛の経験はありました? 小学校2年生のときに初めて告白されました。でも自分では「付き合う」という概念自体がなかったので、ただ「ありがとう」とだけ言いました。「これが告白ってやつか!」って衝撃でしたね。 自分から好きになった人もいたんですけど、よく友達にバラされちゃって…それからはあまり他人に言わなくなりましたね。 2-2. 中学校〜高校時代 ー中学校生活はどうでしたか? バレーボール部に入っていたんですけど、ちょっと身体が弱くなってしまって…。授業を中断してしまうほどの咳が出たりして、周りから心配されるのがイヤで学校を休みがちになってしまいましたね。 ー学校の勉強は好きでした?
国語は好きだったけど、それ以外は嫌いでした。数学とか理科とか。 ー高校はどんな学校に行きましたか? 近くの女子高に行きました。中学のときに 男の人が苦手だった ので、高校では男子を遠ざけておいて、大学で共学に戻ろうと思ってました。その頃には男子もちょっとは落ち着いているかなって。 ーそんなこと考えてたんですね。女子高はどうでしたか? みんなを笑わせる、ひょうきんものみたいなキャラでしたね。部活ではバトントワリングを3年間やっていました。あとはベタですけど、当時はAKB48が流行ってましたね。 ー遠ざけていた男性との関わりはなかった? 苦手だったのでまったくなかったです。ただ、複雑なんですけど…彼氏はほしかったんですよ。結局何もありませんでしたけど。 ーほかに何か思い出はありますか? 女子高は体育祭がすごいんです。学年対抗で騎馬戦をやるんですけど、先輩と後輩で髪の引っ張り合いとか。わたしは見ている側で「もっとやれ〜」みたいな感じで見てました(笑)。 2-3. 大学時代 ー高校卒業後の進路はどんな感じですか? 都内の4年制大学に行きました。 ーその頃は何かなりたい仕事はありましたか? 編集者 です。ファッション誌が好きで、文章を書く仕事をしたかったんです。それも含めて、4年間は自分がやりたいことを見極める期間にしようと思ってました。 ー再び共学になりましたけど、大学は楽しかった? 楽しかったです。友達に誘われて、入学してすぐ写真サークルに入りました。月に1〜2回みんなで集まって景色を撮りに行ったり、ギャラリーを借りて出展したりしていました。 あとはサークルの合宿で新潟の花火大会に行ったんですけど、すごく綺麗で感動して、それが大学生活のいちばんの思い出ですね。 ー大学生になって恋人はできましたか? 大学1年のときに、同じ学部の人に告白されて、3年間付き合ってました。大学1年生が 人生でいちばんのモテ期 だったんですけど、ほぼ同時に3人から告白されたんです。高校で男性を遠ざけてた効果があったのかもしれない(笑)。 ー何を基準に1人を選んだんですか? 野球をやっている姿をちょいちょい見ていて「何かを頑張っている人がいいな〜」と思ったのかな? その人とは5〜6回遊んだのちに付き合いました。 ーなぜ別れてしまったんですか? 相手のお父さんが入院してしまって、彼が働きに出ることになったんです。大学に通いながら土木系の仕事をすることになって、「もうひんぱんに会えなくなるから別れよう」と言われました。 それで立ち直ったあと、4年生のときに同じサークルの人に告白されて付き合ったんですけど、そっちは1年くらいしか続きませんでした。 3.
生活支援員をしていく中で、いろいろな職種の方と出会うことがあります。 今まで知らなかった職種の方と出会うことで、刺激になることや学ぶこともとても多いです。 また、生活支援員の経験を積むことにより、それが実務経験として認められ、資格試験の要件となることもあります。 まずは就労継続支援事業所やグループホームに必置とされている「サービス管理責任者」になることもステップアップのひとつです。 それ以外にも次のような、いわゆる福祉分野における国家資格を取得し、スキルの向上と同時にステップアップが可能となります。 社会福祉士 精神保健福祉士 介護福祉士 これらの国家資格の中でも、社会福祉士や精神保健福祉士は、四年制大学を卒業、国家資格を受験するために必要な福祉分野の指定科目を修了していること、などの細かな要件がありますが、この生活支援員の実務経験を生かし、大学で必須とされている演習が免除されることもあります。 資格取得を目指し、その後ステップアップすることも十分可能なため、生活支援員は将来の選択肢は比較的多く、やる気次第ではこの福祉の3つの資格を全て取得して、施設経営に携わる方もいます。 他にもこの経験を活かせる?