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Wed, 26 Jun 2024 10:57:06 +0000

質問日時: 2020/10/10 06:05 回答数: 3 件 『自由な時間を、過去の偉人に学び英知を手にすることに使う人だけが、生きた人間と言える。』 らしいです。厳しい内容です。 結論として、「どうしなさい」ということなのでしょうか? No. 『生の短さについて 他二篇』|感想・レビュー - 読書メーター. 2 ベストアンサー >結論として、「どうしなさい」 温故知新 0 件 この回答へのお礼 『自由な時間を、過去の偉人に学び英知を手にすることに使う人だけが、生きた人間と言える。』=温故知新 ですね。 お礼日時:2020/10/10 06:34 夜中もこうこうと親のお金で昼行灯して お日さまがどれかもわからない私のは太陽がいっぱいな中年になって老年期を迎えますね 先達のようにお役立ち出来ない様で申し訳ありません 結局性欲に殉じて生きてるのが人なのでしょう この回答へのお礼 毎日、忙しくして、余計なことを考えずに、生きた方が良いのかもしれませんね。 お礼日時:2020/10/10 06:38 あなた方は偉人じゃないってことでしょうか? この回答へのお礼 すると、この内容は、一部の偉人だけに伝えようとしたものであり、一般人には関係ないことなのでしょうか? 何も考えずに、1日1日、"お日さん西西"で、過ぎていけば、それで、いいんでしょうか? お礼日時:2020/10/10 06:20 お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて! gooで質問しましょう!

【セネカ】『人生の短さについて』わかりやすく要約(Kindle Unlimitedで読める) | インテグラルライフ・ログ

メンタル 2020. 10. 25 2020. 24 こんにちは、とりかなです。 あまりに突然ですが、 あなたは余命宣告されて明日が人生最後の日になってしまいました! さて、どのように過ごしますか? 好きなものを食べまくる、趣味を楽しむ、家族と一緒に過ごす… できる限り自分が死ぬ前に後悔の残らないような時間を過ごすのではないでしょうか。 さて、この質問をされてあなたはどう考えたでしょうか。 現実とはかけ離れた問題だと考えませんでしたか? しかし、人生最後の日というのは100%やってきます。 そう、 100% です。しかも、実際にはその日がいつ来るかわかりません。 でも、ほとんどの人は自分の死が近づくまでそれを意識しません。 もしくは、そのタイムリミットから目をそらし続けます。 人生最後の日に「今日と同じ」生活をして満足できますか?

セネカ(前4頃~後65)著。 50年頃に執筆された。 著者はローマの政治家でストア派の哲学者。 本書は、「人生は短いが良く使えば長い」という視点で人生の質について論じたもの。 本書は、「充実した人生」について考えさせてくれる好著である。 われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。 われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。 生きることの最大の障害は期待をもつということであるが、それは明日に依存して今日を失うことである。 こちらの作品もオススメ! 自省録 関連リンク ルキウス・アンナエウス・セネカ (ウィキペディア)

『生の短さについて 他二篇』|感想・レビュー - 読書メーター

136 このような「再帰的な理性」という存在の在り方が、動物など他の存在にはありえない人間独自の在り方であり、人間と神との相同性を主張する理論的根拠ともなる。 セネカの文章では、この「再帰的」な在り方の記述は徹底せず、論理がすべって一目散に「調和」のほうに流れている。このあたり、いったん自分の外部に出て、再び自分に返るという理性の運動については、ヘーゲル『精神現象学』が執拗に記述することになるかもしれない。そのときは、セネカが言うような「調和」ではなく、矛盾と闘争の果ての総合が問題となるだろうけれども。 ところで、我が日本にもセネカと同じようなことを言っている先哲がいたことは記憶されて良いかもしれない。江戸時代初期の福岡の朱子学者・貝原益軒は次のように言っている。 「かくみじかき此世なれば、無用の事をなして時日をうしなひ。或いたづらになす事なくて、此世くれなん事をしむべし。つねに時日をしみ益ある事をなし、善をする事を楽しみてすぐさんこそ、世にいけらんかひあるべけれ。」貝原益軒『楽訓』巻上 あるいは両者を比較して、セネカが「死」を思ってとかく悲観的なのに対し、益軒が「楽」を思ってとても楽観的なことについては、考えてみると面白いかもしれない。 ■ セネカ『人生の短さについて』茂手木元蔵訳、岩波文庫、1980年

現代社会において自然に従うということは、ある意味では、固定化された階層から脱却できず、ずっとそこに止まり続けることを意味するのではないでしょうか?本当の幸福は、むしろ自然を、システムに抵抗することで実現していくのではないか、そんな風にも考えています。

セネカ『生の短さについて』(岩波書店)(3/3) - 哲学対話

セネカ著『生の短さについて』 この書籍について感想・レビューをお願いします。 ID非公開 さん 2021/5/28 15:21 人生は短い、とよく言われる。だから一日一日を大切に生きなさい、と。しかしまた、こうも言われる。人生は長い。だから一度や二度の失敗でくよくよせず、いろんなことをやってみなさい。いったい人生は短いのか、それとも長いのか。古代ローマの哲学者 セネカ(前4年頃~後65年)の答えはこうだ。 生は、使い方を知れば、長い。(セネカ著 大西英文訳『生の短さについて 他二篇』岩波文庫 P12) だが、ほとんどの者はそれを知らず、いたずらに生を費消している。たとえば、自らの欲の虜(とりこ)となっている者、無意味な作業に呪縛されている者、酒に浸る者、貴人のご機嫌取りに身をすり減らすもの。そして、彼らの多くが他人の富や地位をやっかみ、自らの不幸を嘆いているうちにその一生を終えてしまうのだという。どうだろう?

2 一部改変) 『彼ら(人生を浪費してる人たち)は、理髪店で薄くなった髪を前のほうに寄せ集めたりしている』(人生の短さについて 12. 3 一部改変) 『 ボードゲーム とか、球技とか、日光浴などで人生を浪費している人たちの例を、ひとつひとつ挙げていくときりがない。ようするに、そんなことに一生懸命にならなければ楽しめないような人は、閑暇な人とはいえないのだ』(人生の短さについて 13. 1) どうだろうか?飲み会で 若い女 の子とお喋りすることを目当てに会社に来てるおっさんや、いい年して髪の毛を必死で寄せ集めてハゲを隠すことに腐心してるおっさん。下らないレジャーやスポーツ観戦などに夢中になって SNS 映えを目論むことに必死な現代人たちを、まるで実際にその目で見たかのように予言している。つまりそれほどまでに セネカ の慧眼は鋭く、彼が物事の本質を見抜く優れて思想家だったということである。では、どのように過ごせば、人生を浪費せずに、十分に長いものとして活用することができるのだろうか?そのことについても、 セネカ はしっかりと教えてくれている。 ・真の閑暇は、過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある 『すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きているといえる。というのも、そのような人は、自分の人生を上手に管理できるだけでなく、自分の時代に、全ての時代を付け加えることができるからだ』(人生に短さについて 14.