三番目に、あなたは、仏様と聞くと、亡くなった先祖のことかと思っているのではないでしょうか? 葬儀の席などでは、よく 「私が仏の兄です」 とか 「この仏さん、きれいな死に顔していなさる」 などと聞こえてきます。 みんな死んだ人を仏と言っているようですが、果たしてそうなのでしょうか?
不安と仏教 大人の寺子屋講座 人生にイキる仏教
あなたの人生はたぶん、 地元の小・中学校に行って、 塾に通いつつ受験勉強をして それなりの高校や大学に入って、 4年間プラプラ遊んだあと どこかの会社に入社して、 男なら20代後半で結婚して 翌年に子どもをつくって、 何回か異動や昇進をして せいぜい部長クラスまで出世して、 60歳で定年退職して、 その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、 死ぬ。 どうせこの程度のものだ。 しかも、絶望的なことに、 これがもっとも安心できる 理想的な人生なんだ。 そうなんです。その人の 「生きる意味」といえば「人生観」 です。 その人の 人生は、その人の人生観が生み出しています から、 あのような人生観だった場合、たとえ今はまだ若かったとしても、 たいていの将来の パターンはみんな決まっている のです。 じゃあ歴史に名を残したような人は? 生きる意味 にあふれてたんじゃないの?
【第1話】生きる意味は仏教に学びなさい(長南瑞生初のビデオ「有無同然」) - YouTube
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〈今日のあたしは、三原家の代表なんですよ。三原桃子です。そして、三原だって、この案には、大賛成なんですから。わたしの立場も考えて頂戴〉 三原商事の現社長の弟がふたりとも三原商事に揃えば、兄弟の結束によって、会社の将来のためにプラスになるだろうし、桃子の実家である野々宮家も、三原一族とのパイプが太くなるというメリットがあるだろう。って、そんなんでいいのか? いっぽう、野々宮家三女・杏子も、三原家三男・三郎も、桃子をはじめとする周囲の人間の画策には乗りたくない。だからふたりとも相手に向かって、自分には恋人がいるのであなたとは結婚できない、と宣言してしまう。杏子と三郎は、そのように相手を欺きながら、しかし自分たちの結婚を阻止するために、いわば共闘することになる。そんなんでいいのか?