久しぶりの更新です… この前たまたま動画サイトを見ていたら… なんと… 僕が子供の頃から大ファンだった横浜銀蠅リードギターJohnnyさんの生素顔を見ることが出来ました… 生素顔もとてもハンサムなJohnnyさん 以前も何かの番組で素顔を見たような気がしました… 当時は素顔なんて想像もつきませんでした… 銀蠅一のモテ男で当時はバレンタインデーに4トントラック1台分チョコレートが届いたほどの大人気ぶり… 続いては… 当時、同じ銀蠅メンバーでベースを担当していたTAKUさんの生素顔です… こちらも想像がつかないほどの男前のTAKUさん この表情から想像出来ないくらいハンサムなTAKUさん… 現在、Johnnyさんはキングレコード第二クリエイティブ部宣伝部 部長として音楽プロデューサーなど様々な分野で活躍中です… 本名の浅沼正人として若いビジュアル系バンドを担当しています… TAKUさんは今現在も横浜銀蠅のメンバーとして活躍中です… お二人は、それぞれ別々な道を進みましたが… いつか4人が揃ったオリジナルの横浜銀蠅が完全復活するのを祈ってます… お二人さん… これからも頑張って下さい 応援してます
ココがキニナル! 「ツッパリ」といえば横浜銀蝿。30周年を迎えた横浜銀蝿の翔さんってどんな人? 1980年。アイドルブーム到来とときを同じくして、社会現象を巻き起こした異色のグループがいる。それが「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」(以下、横浜銀蝿)だ。リーゼントに黒いサングラス、革ジャンに白いドカンという定番のスタイルで多くの音楽番組に登場し、若者たちの視線をくぎづけにした。 そこで今回はツッパリ男子の兄貴分、翔さんへのインタビュー! ガンガン質問させてもらうんで、夜露死苦! 37回目の売り込みでデビューへ ―横浜銀蝿を結成したのはいつですか? 1979(昭和54)年に結成して、1980(昭和55)年9月にデビューしました。 ―横浜銀蝿のメンバーって? 嵐、TAKU、Johnny、翔の4人。俺とJohnnyが高校のときの同級生。嵐さんは俺のアニキ。TAKUはアニキが連れてきた。 ―アマチュアの頃はどのあたりでライブをやっていたんですか? 「戸塚公会堂」とか「CLUB24」とか・・・。地元だから横浜ではよくやってたね。 ―どんな経緯で音楽業界に入ったのですか? 翔 (ミュージシャン) - Wikipedia. カセットテープに曲を入れて、レコード会社や事務所に売り込みに行ったんだよ。数えたら36回断られてたね。37回目の売り込みで、ユタカプロダクション(以下、ユタカプロ)の大坂さん(社長)が拾ってくれたんだ。 契約したあとに「僕が言うことにはすべてYESと答えてください。そのかわり翔くんの言うことにはすべてYESと答えます」って言われた。それって、究極の信頼関係を築くってことだよね。 デビュー当時を思い出しながらユタカプロとの思い出を語る翔さん ―ほかの事務所の反応は? デモテープを聴いてくれてたのかどうか・・・。でもダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童さんが当時やってた「ブギウギオフィス」からは手紙が届いた。「今はそのレベルじゃないけどがんばれ」みたいな。嬉しかったね。 ―そしてめでたくレコードデビュー! キングレコードの水橋さんっていう人が、「レコード出したってそう簡単に売れない。そこで勝負する気はあるのか?」って、あえて言ってくれた。それに「つっぱって生きてきたお前らにしか歌えない歌はないのか?」って言われたときは考えたね。恋の歌や応援歌みたいなのは世の中にあふれてたし・・・。そんなときに「ぶっちぎりRock'n Roll」ができた。聴いてもらったら「これでしょう!」って喜んでくれて。 リーゼント、サングラス、革ジャン、白いドカンが横浜銀蝿の定番スタイル ―デビューのときから解散するときを決めていたって本当?
特定商取引に基づく表記 ©️2019-2020 横浜銀蠅40th
出典: 横浜銀蠅全曲集 2016 不良の格好をして世の中に出てくる方法論を世の中に提示した横浜銀蠅。しかし、彼は本当の不良でありたまたま当時の芸能界のムードと時代背景が合致したためブレイク状態となったと考えられています。 今回はそんな横浜銀蠅がどの様なグループなのかを掘り下げていきます。 プロフィール 翔(本名 田宮将吉) 生年月日 1958年6月8日 血液型 B型 出身地 神奈川県 担当パート ボーカル ギター Jonny(本名 浅沼正人) 血液型 ?