腰椎 固定 術 再 手術 ブログ

Sat, 04 May 2024 06:38:40 +0000

Abstract ナポレオン支配下のベルリンでフィヒテが1807年12月から1808年3月にかけて行った連続講演『ドイツ国民に告ぐ』は、高校の世界史の教科書などにもしばしば登場する。このため、ともすれば政治的な文章と思われがちだが、実際に読んでみるとそのほとんどが教育に関する内容であり、相前後して書かれた彼の大学論『学術アカデミーとの適切な連携をもったベルリンに創設予定の高等教育施設の演繹的計画』と表裏一体となって、フィヒテの教育論の重要な部分を形作っている。これはフィヒテがドイツの再生は「新しい教育」の導入なくしては不可能であると考えていたことによる。本稿では、時代背景はもとより、『全知識学の基礎』や『現代の根本特徴』といった彼の他の著作、さらにペスタロツチの教育論などとの関係に留意しつつ、主として国民教育論として『ドイツ国民に告ぐ』を読み解いた。 Journal Kanagawa University international management review 神奈川大学経営学部

フィヒテの哲学とはどんなもの?ドイツ観念論をまとめ上げたその思想に迫る | Loohcs

17 フィヒテ、ナポレオンに占領されたドイツ同胞に警告を発する FICHTE, Johann Gottlieb Reden an die deutsche Nation Berlin, 1808. フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』 プロイセンの哲学者ヨーハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762-1814)は、カントの思想に惹かれて哲学の道を歩み、倫理的観念論として絶対的自我の精神活動と道徳的克己を根底に置いた主観的観念論を説いた。 本書はナポレオンに占領されたプロイセンの首都ベルリンの学士院において、フィヒテが1807年12月から翌年の3月まで行った連続14回の講演を纏めたもの。内容はドイツ国民の文化が優秀であることを国民全体がよく認識すべきであること。これをさらに向上するためにはドイツ諸邦が教育制度を抜本的に改革することが大事で、これこそがドイツ国民の生存を図る唯一の方法であること。さらに、その具体的方策として青少年への祖国愛をもとにした道徳的革新が重要であるなどとして、国民意識を鼓舞させてプロイセンの改革やドイツ諸邦の意識改革に繋げようとした。 なお、フィヒテはこの改革によって新しく作られたベルリン大学の初代総長に就任した。 (18×21cm) 所蔵情報 (蔵書検索書誌詳細画面)

Cinii 図書 - ドイツ国民に告ぐ

^ ドイツ史 2, p. 174. ^ フィヒテ全集2、1997年、p. 198. ^ a b c #ケドゥーリー, #原百年 ^ a b ドイツ史 2p 213-9. CiNii 図書 - ドイツ国民に告ぐ. ^ a b #ダン, #竹田和子2016 ^ #モッセ1996, p. 73-93. ^ Online, Faksimile; 2. Auflage 1793: Versuch einer Kritik aller Offenbarung, bei Projekt Gutenberg, ; Faksimiles bei gallica, bei google books, bei ^ フィヒテ全集2、1997年. ドイツ史 2 では「フランス革命に対する公衆の判断を正すための寄与」と訳。 外部リンク [ 編集] 日本フィヒテ協会 Johann Gottlieb Fichte (英語) - スタンフォード哲学百科事典 「ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ」の項目。 Johann Gottlieb Fichte (英語) - インターネット哲学百科事典 「ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ」の項目。 ドイツ国民に告ぐ 日本語訳 ヨーハン・ゴツトリーブ・フイヒテ述、帝国教育会、1917年 ドイツ国民に告ぐ 松岡正剛の千冊千夜0390夜、2001年10月02日

ドイツ国民に告ぐ - Webcat Plus

0390 投稿日: 2001年10月2日 作成者: seigow 一人の哲人が国民のすべてに何かを訴えることは、歴史上においてもそうそうないことだ。フィヒテがそれをやってのけた。レーニンや孫文や浜口雄幸やヒトラーやカストロのような政治家や革命家ではない。フィヒテは哲人であり、一介の大 … 続きを読む → カテゴリー: 放埓篇, 歴象篇 | 0390 は コメントを受け付けていません

一人の哲人が国民のすべてに何かを訴えることは、歴史上においてもそうそうないことだ。フィヒテがそれをやってのけた。レーニンや孫文や浜口雄幸やヒトラーやカストロのような政治家や革命家ではない。フィヒテは哲人であり、一介の大学教授だ。 著述ではない。声を嗄らしての肉声の演説だった。マイクロフォンもなかった。それも一回や二回ではない。一〇回をこえた。なぜフィヒテはドイツの国民に向かって熱烈な演説を連打しつづけようとしたのか。その肉声で何を訴えたかったのか。 ぼくがこの本の標題を知ったときの名状しがたい戦慄感のようなものは、何といったらいいか、ニーチェが「ツァラトストラかく語りき」とか「この人を見よ」と言ったということを知ったときと、よく似ていた。ドイツ国民に告ぐ? そのころのドイツとはどういう国だったのか。大群衆を前にして語ったのだろうか。いやいや、大学の先生がそんなことをするはずがない。そもそもいったい、このフィヒテという男は何者だったのだ?