「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 福沢諭吉「学問のすすめ」の最初の一文ですが、これは日本人なら誰でも聞いたことがある一節でしょう。 でも、この意味って? この一文をそのままわかりやすく言うと「人は生まれながら貴賎貧富の差別はない」という意味になります。 はて?「学問のすすめ」なのに全然、学問勧めてない?! (^^;) 1.読んだキッカケ 「なぜ勉強するの?」 こんな問いを学生さんから投げかけられました。 とっさにこんな問いを投げかけられてハッとしたのも事実(^^;) この問いにきちんと答えるために少し自らこの問いに正面から向かってみようと思ったわけ。 最初に思いついたのが「学問のすすめ」(^^;) 「なんてベタなんだ?!」というツッコミは置いといて、有名な一文は当然皆さんも知っているであろうが、この文には続きがあることは意外と知られていないのではなかろうか? 【学問のすすめ・福沢諭吉】わかりやすく。全17章を2~3行で要約してみた. 僕も恥ずかしながら、この歳になるまで「学問のすすめ」を全部しっかり読んだことはなかった。 さて・・・なんと、そこには衝撃の物語が広がっていました。 2.概要 「学問のすすめ」は1872年の初編から1876年の十七編を1880年に合本したものだそう。 販売数は推定300万部。当時の人口が3000万人と考えると大ベストセラーと言える。 価格は現代の価値にしてざっと千円程度。今と同じくらいですね。 日本人なら誰でも知っている有名な一文 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 ですが、この意味は 「人は生まれながらにして貴賤貧富の差別なし。ひとは生まれた時は平等である。」 というもの。 「人類みな平等!」 でも、これって・・・「学問と関係なくない? !」 実は、これには続きがあったんだ。 エンジニアパパ 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと いえり 」 さらに、こんなふうに続いている。 人は生まれながらにして貴賤貧富(きせんひんぷ)の別なし。 ただ学問を勤めて物事をよく知る者は 貴人(きじん)となり富人(ふじん)となり、 無学なる者は貧人(ひんじん)となり下人(げにん)となるなり。 これを今の言葉にすると、こうなる。 ひとは生まれた時は平等である、 と言われている。しかし・・・ よく学問をして、物事を知る人は社会的地位が高く、豊かになる。学ばない者は、貧しく社会的地位が低い人になる。 生まれた時は平等かもしれないが、その先は人生がわかれる。 その差は、 学問 にあり!
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という有名な文言で始まる、福沢諭吉の『学問のすすめ』は、明治時代のベストセラーの一つです。 今回は、 『学問のすすめ』 について、簡単にわかりやすく解説していきます。 学問のすすめとは?
『学問のすすめ』の内容を要約して紹介!いつの時代に書かれたの?
福沢諭吉は、現在の大分県中津市で、身分の低い武士の子どもとして生まれました。2歳のときに父親を亡くしており、母親は内職、そして彼はその手伝いをするというような生活を送り、生活は非常に苦しいものだったようです。 彼は貧乏生活が嫌で嫌でたまらなくなり、19歳のときに長崎に行きます。当時の長崎は唯一の開国された土地の出島があり、西洋の文化を学ぶにはもってこいの場所でした。 オランダ語を学んだ後は、大阪で緒方洪庵の弟子となります。そして、より一層勉学に力を入れていくのです。それからは、江戸、アメリカ、ヨーロッパに行き、新知識を得て帰国。『学問のすすめ』を執筆していきます。 また彼は、現在の慶応義塾大学の創立者としても有名な人物です。慶應義塾大学は今でこそ大学ですが、彼が創立した当初は、蘭学塾がベースとなった私塾でした。その後は彼が「これからは英語だ」と考えを切り替えたため、慶應義塾も英語に切り替わっています。 『学問のすすめ』の意味を時代背景も踏まえて解説! 本作で伝えたいことは、冒頭でも紹介したように「自分を確立しろ、そして、政治と向き合え」です。これが本作に込められたテーマだと言えるでしょう。 江戸時代までずっと鎖国をしていた日本は、開国した当時、西洋にかなりの遅れをとっていました。その時代の有力者たちは、「このままでは日本は侵略され、崩壊する」という強い危機感を持っていました。それが、明治維新の精神性です。そのような考えの人たちが結集して江戸幕府を倒し、明治時代を切り開いたのでした。 身分の差はあれど、日本に守られていたのが江戸までの時代。戦争があっても、日本人対日本人の内戦です。そのため誰が勝ったとしても、日本を統治するのは日本人でした。 このままでは外国人に統治されると恐れていた日本は、急激に西洋の文化を取り入れ始め、追いつこうとしました。しかし有力者たちだけがそのようなことを実行しても、国民がついてこなければ何の意味もありません。 そのような時代の流れを背景にして、福沢諭吉は『学問のすすめ』を書き上げ、世の中に公表したのだと考察できます。結果として本作は、当時から現在に至るまで、本当に幅広い人たちに受け入れられてきました。日本人の「学ぶ」という意識の元になったのではないでしょうか。 有名な冒頭「天は~」原文と現代語訳を比較!どっちが読みやすい?
福沢の答えは簡潔です。「学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」。つまり、 学問を学んだかどうかで決まる と言うのです。 さらに、その学ぶべき学問とは何かということで、先ほども触れたように 「実学」 が重要視されます。 要するに、学問のすすめは、 人々が実学を修めることによって、現実における人間の不平等を是正して、本来あるはずの平等な社会に近づけていくこと を求めているのです。 まとめ ✔ 学問のすすめとは、明治の啓蒙思想家・福沢諭吉が書いた論文集のこと。 ✔ 学問のすすめは、全17編の論文から構成されている。 ✔ 各論文の内容は雑多だが、全体を通して、従来の封建的な道徳を厳しく批判し、西洋的な合理主義と自由主義を称揚している。 ✔ 具体的には、人々が実学を修めることによって、本来あるはずの平等な社会を実現していくことを説いている。 ✔ 刊行直後からベストセラーとなり、後の時代には教科書にも採り入れられ、明治時代から現在に至るまで、多くの人々に読み継がれてきた。
カツシログループでは会社活動として様々な取り組みを行い社員の意識向上、製品の品質向上をめざします。 安全への取り組み 『安全は全てに優先する』ことを基本方針とし、「安全で安心な職場づくり」を目指して従業員が一丸となり、リスクの洗い出し及び低減を推進すると共に安全意識の高揚に取り組んでいます。 技能・技術向上への取り組み OJTによる現場教育はもちろん、技能競技大会の開催や様々な講習を行うことで、技術の向上に努めています。また技能委員会を設置し、技能継承も積極的に進めております。
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