1 回 昼の点数: 3. 2 ~¥999 / 1人 2020/04訪問 lunch: 3. 2 [ 料理・味 3. 2 | サービス 3. 0 | 雰囲気 3. 0 | CP 3.
伊藤 はい。また、そば、うどん、生パスタ、餃子の皮なども作っていますので、これらも入れるともっと増えます。 また、我々はせっかく北の大地、北海道に生まれていますので、北海道産小麦を使ったもの、ベジタリアンの方に向けたもの、ムスリムの方に向けたものなど、ニーズに合わせた商品も近年は特に開発を進めています。 ――海外にも展開されているのですか?
伊藤 よく「麺料理はすすって食べる」と言われますが、弊社の麺はすするというよりは、口の中に入れて、ゆっくり噛んで楽しまれることをオススメしますね。そうすることで、弊社の麺の本来の味が堪能できるはずだと思います。 ――最後に、西山製麺がこれから目指すことを教えてください。 伊藤 ラーメンがただ空腹を満たすだけの食事ではなく、食事をしている間に、喜びや感動を与え続けていきたいと思います。 前述の海外での話もそうですが、ラーメンは世界では日本食の一つとして認識されています。その名に恥じぬような麺作りと、ラーメン文化の発展を今後も強く志していきたいと考えています。 ↑プロユース麺。「西山ラーメン」のグラフィックが親しみやすくも、誇り高い印象です 西山製麺・伊藤さんのお話を聞いているうちに、無性に味噌ラーメンが食べたくなりましたが(笑)、同時に同社製の麺がカリスマ視され、北海道はもちろん全国各地、はたまた世界で支持される理由も伝わってきました。西山製麺の麺、意識されたことのない方、食べられたことのない方は、ぜひお近くのラーメン店で噛み締め、そのおいしさを確かめてみてください! 撮影:我妻慶一 【関連記事】 「甘口」時代の到来! 日本人の味覚変化に合わせて出来た「生しょうゆMILD」とは? インド発のキラキラフードが「Glitter food」がポスト・インスタ映えに名乗り 大阪だったら怒られるレベル!? "禁断の二度付け"でチョコ感たっぷりの森永乳業「PARM」限定メニュー 【本日から7日まで限定】ローソン×ゴディバの最強コンビによる「七夕向けのチョコスイーツ」を一足先に堪能 濃厚カクテルと合わせると「魔性の味」がパワーアップ! 『西山製麺使用の札幌味噌ラーメン』by next1858 : 札幌らーめん すずらん - 伊勢崎/ラーメン [食べログ]. 成城石井「ホワイトチョコと苺のポルボローネ」 情報提供:
「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」 この歌はたしか学生時代(小学校か中学校で)に習いましたが、 教師に教わった解釈は 満月のようになにも欠けた所がない、栄華を極めたワタシであることよ』というような自慢っぽいものでした。 しかし、ふと思ったのですが 『月が欠けることが無ければ、この世は自分のものだと思えるのに・・・』 という意味、とれるように思うのです。 満月を見て詠んだのではなく、ほんの少し欠けはじめた月をみて詠んだのではないかと。 作者の藤原道長は源氏物語のモデルと言われている人物でしたよね。 たしか光源氏は晩年、さみいしいというか、落ちぶれていくという結末ではなかったでしょうか。 栄華のなかにあって、ふと自分で何かを予感するような、そんな歌のような気がしたんですが・・。 今の国語の解釈ではどうなっていますか?宜しく御願いします。 カテゴリ 学問・教育 人文・社会科学 文学・古典 共感・応援の気持ちを伝えよう! 回答数 7 閲覧数 17359 ありがとう数 44
平安貴族の頂点を極めた実力者、藤原道長。傲慢なイメージで語られることの多い人物だが、自筆日記からは意外な姿が見えてきた。平安のカリスマ型リーダーの実像に迫る! 三人の娘を三代の天皇にわたって后(きさき)として送りこみ絶大な権力を握った平安貴族、藤原道長。「この世をばわが世とぞ思う 望月の欠けたることもなしと思へば」と、自らの権勢を「満月」に重ね合わせて詠んだ歌で有名だ。しかし自筆日記からは意外な実像が…それは、権力欲に駆られた強引な男というイメージからはかけ離れた、繊細で心配り上手なリーダーとしての姿だった。藤原道長の知られざる実像と権力掌握の秘密に迫る 藤田美術館 陽明文庫
でした。 最後まで読んでいただきありがとうございます^^
藤原道長がよんだ、 「この世をば わが世とぞ思う もち月の かけたることも なしと思えば」 どういう意味ですか? 1人 が共感しています ベストアンサー このベストアンサーは投票で選ばれました 「この世の中はすべて私の思うがままだ。 私の心はあの満月のように満ち足りている。」 と言う意味です。 24人 がナイス!しています その他の回答(1件) 簡単に訳すと、 「この世の中は私のものようだ あの満月が欠けていないのと同じように私の心は満足だ」 という意味です。 5人 がナイス!しています
摂関政治の頂点を極めた 藤原道長 が残した自信と満足感と奢りにあふれた和歌があります。 どうもこの歌のせいで道長は彼自身の印象を悪くしているようです。 同時にこの歌で日本史上における彼のインパクトはさらに強いものになりました。 栄華の頂点のうた 藤原道長 出典:Wikipedia この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば どうして道長はこの歌を詠んだのか、そしてどうしてこの歌が残ったのかについて見てみます。 歌の意味 「この世は自分(道長)のためにあるようなものだ。望月(満月)のように足りないものはなにもない」 現代語訳するとそういう意味です。 自信満々で、満足しきっている様子がありありの歌ですね。 人が「この世の中は自分のためにある」と公言できる状態というのはそうそうあるものではありません。 栄耀栄華を極めた藤原氏のトップですから気持ちは分かりますが、それを口に出してしまうところに奢りが感じられるのです。 だれが伝えた? 藤原道長について伝える書物や記録は複数あります。 しかし、道長の栄華を描いたという『大鏡』や『栄花物語』などいずれの書物にも「この世をば」の歌は取り上げられていません。 道長本人が記した『御堂関白記』にさえも歌は書かれていません。 この歌は右大臣になった 藤原実資 ふじわらのさねすけ の日記 『 小右記 おうき 』 (しょうゆうき)にだけ登場し、注目された歌です。 歌われた場所と状況 この歌が詠まれたのは1018年。 場所は道長の邸宅です。 実はその年の3月に道長の三女の 威子 いし が、11歳になった後一条天皇の中宮(天皇の后)となったのです。 そのお祝いをするため多くの貴族たちが集まり、宴会が催されました。 宴もたけなわとなったところで道長は即興で藤原実資に向かって「この世をば」を詠んだのです。 まあ、いわば気分よく酔っぱらった勢いで、ついつい本音が歌に出てしまったという感じでしょうか。 通常、礼儀としては実資が歌を返さなければなりません。 しかし彼は丁重にそれを断り、代わりにその場の一同で一緒にこの「名歌」を声を揃えて詠ずることにしようと提案。 そしてその場の客人一同が声に出して繰り返したのです。 藤原道長の傲慢の理由と冷ややかなライバル なぜ道長は実資に向かってその歌を詠んだのでしょうか? 実資はなぜ道長のその歌に返歌せず、日記に書いたのでしょう?