車のナンバーと名前を書く。 思い切って「お風呂お願いしまーす!」と声をかけてみると、店員さんが奥から来てくれて、風呂の方向を指さし、「ごゆっくりどうぞー」と案内してくれた。 よかった、実在していたのだ。 指定の表に名前とナンバーを書き、風呂に向かう。 風呂は出口の真向かいにあった。よく見ると「浴室」って書いてある 厨房出入口かと思っていたところが風呂だったらしい。しかしまだ不安だ。 海の家のシャワーみたいな風呂だったらどうしよう。 よそ者が入ったら視線で殺されるような場所だったらどうしよう。 不安を押し殺して風呂の扉を開いてみた。すると…… 素晴らしいお風呂と自販機が! 風呂だ!! すごい、めっちゃ立派な風呂がある! にんたまラーメン 千代田店(茨城県かすみがうら市上稲吉/ラーメン) - Yahoo!ロコ. シャワー・蛇口、シャンプーから浴槽までそろった、ちょっとした民宿並みの風呂がある! ここラーメン屋なのに! 脱衣場はこんな感じ。素朴! 誰もいなかったので、思い切って写真を撮らせてもらったが、このあと続々と他のお客さんが来たのでカメラはしまい、風呂に集中することにした。 真夏のラーメンで噴き出た汗が一気に流れ去っていく。そして風呂あがりにはこんな自販機まである。 ア……、アイス、森永のアイス自販機じゃないか……! おいおい極楽かよ、このラーメン屋さん! (ソファでアイスもぐもぐ) すごいラーメン屋だ。ラーメン&餃子→風呂→アイスと、B級快楽のコンボが一瞬で決まる。ちなみにマッサージチェアもある。 いったいこの店はどういうことになっているのか。そもそもなぜ風呂があるのか。 最後にちょっとだけお店の説明をしたいと思う。 TSは「トラックステーション」の略 「ゆにろーず」が約20店舗を24時間営業するラーメンチェーンであるのは確かなことで、僕もこれまで何度か行ったことがある。 ただ、ここの「ゆにろーず・茨城TS店」はちょっと特殊で、トラックステーションという施設と合わせて運営されているようなのだ。 駐車場には大型トラックがどかどか停まる テーブルには、ノンアルコールビールとトラックナビの広告 つまり基本的には、国道6号を長距離運行するトラックドライバーの休憩所なのである。 ここ以外の「ゆにろーず」も多くは国道沿いにあり大型駐車場&24時間営業で、トラックドライバーをターゲットに入れたお店なのだが、風呂まであるのは「トラックステーション店」だけである。 ちなみにトラックステーションではない、どこの「ゆにろーず」にも大量のマンガと…… 妙にレトロなゲームコーナーが設置されています!
にんたまラーメンとぴゅっ飛び餃子を食す #144 【飯動画】 - YouTube
時間つぶしの殿堂! 「ゆにろーず」のけだる~い雰囲気が好きで、独身の頃は夜中によく行っていたのだが、今日は新たな魅力を発見することができて嬉しい気分である。 しかし、茨城以外のトラックステーション店では宿泊営業もやっていると聞くので、さらなるゆにろーずの奥深さを知るために、いつかひと晩どっぷり漬かってみたいものだなと思っている。 メガ盛もあるよ! これもいつかは挑戦!
にんたまラーメン 取手店 Yahoo! プレイス情報 電話番号 0297-74-2444 営業時間 月曜日 0:00-24:00 火曜日 0:00-24:00 水曜日 0:00-24:00 木曜日 0:00-24:00 金曜日 0:00-24:00 土曜日 0:00-24:00 日曜日 0:00-24:00 祝日 0:00-24:00 祝前日 0:00-24:00 カテゴリ ラーメン 外部メディア提供情報 特徴 ランチ 24時間営業 24時間営業 喫煙に関する情報について 2020年4月1日から、受動喫煙対策に関する法律が施行されます。最新情報は店舗へお問い合わせください。
3倍メガ盛りニンニクたまごラーメンをすする ゆにろーず大洗店【茨城 飯テロ】SUSURU TV. 第974回 - YouTube
茨城T・S店 【店長の一言】当店は、お風呂も完備しています。 お風呂に入ってさっぱり。ゲームでリラックス。お食事でおなかもいっぱい。 是非お立ち寄りください。 〒319-0102 茨城県小美玉市西郷地1390 TEL0299-48-2244 24時間営業 年中無休 国道6号線沿い。小幡南交差点から南へ約1km
『龍馬伝』キャスト 福山雅治
高知市はりまや橋より電車軌道に沿って国道号線を西に行き、高知県庁前より2つ目の信号が升形だ。その左手前方に上町病院の建物があり、西隣に坂本龍馬先生誕生地の碑がある。「土佐維新歴史文化道・坂本龍馬誕生地」の大きな標識があるのですぐわかる。 誕生地の碑は昭和27年5月、当時の首相吉田茂の揮毫のものを、昭和43年「明治百年記念行事」の一環として高い台座を含め整備したものだ。平成14年、その前に説明板とモニュメントが作られた。 誕生地の標識は明治の末年、田中光顕書の木柱が最初で、昭和3年と昭和20年に建碑されて現在のものに至っているという。 坂本家は明和7(1770)年新規郷士に取り立てられ、ここに独立分家したものだ。龍馬誕生の頃は、この付近から南側水道町までの広い家地であったと伝えられている。 郷士名簿録によると領知高は161石8斗4升であった。龍馬の留学を可能にしたのもこの財力だった。現在、生家に関する資料は何もないが、近年生家に因んだ町づくりの活動も進んでいる。 龍馬誕生の11月15日には、ここを中心に町内会の人々が中心となって盛大な誕生祭が行われている。