これ以上若くてもダメだし~ これ以上熟してしまったら 種を食べることに成っちゃいますね(笑) ☆~下処理方法~☆ 作業は・・簡単!! 紫蘇の実を洗って水気をよくとり、 指先でしごいて軸から 実をズルズル~~~~と、はずします。 この作業は、ちょっと手間ですが、やり始めると~ 部屋中がシソの香りに包まれて~爽やかな気分になりますよ☆ <しその実の収穫時期> (別名)扱穂(こきほ) 花穂が成熟して実を結んだもの。 指でしごいて香りを出し、 煮魚の香り付けにしたり、塩漬けや佃煮に加工します しその実de塩昆布漬け♪ 詳細を楽天レシピで見る 一般的には~ 「しその実の塩漬け」や「しその実の佃煮」などが多いですが・・ もっと簡単に食べたいので~ 我が家では、こんな食べ方で紫蘇の実を楽しんでいます♪ <長期保存方法> 長く楽しみたいのなら~塩漬けしちゃうが1番! 色々とアレンジしやすいので、 是非、自家製ならではの味を楽しんで下さいね☆ 「頑張って、野菜つくれよっ 」と応援していただける皆様、 ランキングに参加しています。 ポチっ とクリックをおねがいします。 いつも皆様の応援に感謝しております。 毎日のブログ更新の励みとなっています 人気ブログランキング にほんブログ村 レシピブログのランキングに参加中♪ よろしければクリックしてくださいね♪
しその花がテーマです。 初夏から夏にかけて、薬味などで大活躍してくれた「しそ」ですが、秋のはじまりには花が咲きはじめます。 花が咲いたあとはどうしたらよいのでしょうか。 花も食べられるのでしょうか。 しその花についてまとめていきます。 しその花はいつ咲くの? 夏の終わりになるとしそに花穂がつきはじめます。 植えた時期にもよりますが、 9月の初旬から中旬 にかけてです。これは、しそが短日性植物のためです。 短日性植物とは? 植物は短日性植物、長日性植物、中性植物と大きく3グループにわかれています。それぞれの特徴は以下のようになります。 短日性 …昼が短く夜が長くなると蕾を形成する (アサガオ・稲・大豆・コスモス) 長日性 …昼が長く夜が短くなると蕾を形成する(アブラナ・大根・小麦など) 中性 …昼と夜の長さに影響されずに蕾を形成する(トマト・胡瓜・いんげんなど) 植物は子孫を残すために花を咲かせて、種をつくります。 暑さや寒さに耐えて子孫を残さなければならないので、 夜の長さを計って、花を咲かす機能 が備わっています。 しそは短日性なので、 秋のはじまり に、花が咲き始めるんですね。 夜間によくビニールハウスが電気をつけてる風景があります。 あれは電照栽培といってこの性質を利用したもので、植物にまだ昼の時間が長いですよと、人工的認識させる栽培方法で、イチゴや菊などが作られています。 しその花が咲いたら収穫は終わり? 農家が教えるシソの栽培方法 家庭菜園におすすめ! シソを食べ尽くすための育て方とは|マイナビ農業. しその花が咲いてしまったら、どうすれば良いのでしょうか。 基本的に、 しその花が咲いてしまっても、収穫することはできます 。 ただ、 花が咲いた後に種 ができると、しそは子孫を残すことができたと思い 枯れてしまいます。 そうなるとしその葉を収穫することはできません。 なので、しその花が咲き始めたらその部分は摘むようにしましょう。 しその花は食べられる?
これ以上若くてもダメだし~ これ以上熟してしまったら種を食べることに成っちゃいますね(笑) ☆~下処理方法~☆ 作業は・・簡単!! 紫蘇の実を洗って水気をよくとり、 指先でしごいて軸から実をズルズル~~~~と、はずします。 この作業は、ちょっと手間ですが、やり始めると~ 部屋中がシソの香りに包まれて~爽やかな気分になりますよ☆ <しその実の収穫時期> (別名)扱穂(こきほ) 花穂が成熟して実を結んだもの。 指でしごいて香りを出し、煮魚の香り付けにしたり、塩漬けや佃煮に加工します しその実de塩昆布漬け♪ 詳細を楽天レシピで見る 一般的には~「しその実の塩漬け」や「しその実の佃煮」などが多いですが・・ もっと簡単に食べたいので~ 我が家では、こんな食べ方で紫蘇の実を楽しんでいます♪ 自家製~最高!! 「頑張って、野菜つくれよっ 」と応援していただける皆様、 ランキングに参加しています。 ポチっ とクリックをおねがいします。 いつも皆様の応援に感謝しております。 そして 毎日の励みとなっています プランター菜園 ブログランキングへ にほんブログ村 レシピブログのランキングに参加中♪ よろしければクリックしてくださいね♪
公開日:2020年02月28日 最終更新日:2020年09月11日 さわやかな香りが食欲をそそるシソ。和風ハーブの代表格とも言われ、日本での栽培の歴史は古く、平安時代からと言われています。シソには緑色と赤色があり、刺身の下に敷いてあるのは青ジソ、シソジュースや梅干しに使われるのは赤ジソです。家庭菜園で育てれば青ジソの「大葉」はもちろん、刺身のつまに使われる「芽ジソ」や、花を食べる「穂ジソ」、お茶漬けに入れる「実ジソ」も楽しむことができます。手軽にプランターでも栽培できるので、自分で育ててシソをとことん味わい尽くしましょう!
調査研究本部 丸山淳一 新型コロナの緊急事態宣言は解除されたが、感染は収まるどころか「第4波」への懸念が高まっている。この春に予定されていた全国各地のお祭りやイベントの多くが延期を余儀なくされ、2年続けて中止される催しもあるという。戦国武将、武田信玄(1521~73)の命日(4月12日)にあわせて開催される山梨の春の風物詩、甲府市の「信玄公祭り」も10月下旬に延期されることになった。 祭りの見ものは、信玄が越後(新潟県)の上杉謙信(1530~78)と激突した川中島の戦いに出陣する甲州軍団の武者行列だ。1600人の武者が目抜き通りを練り歩く武者行列は国内最大級とされ、なかなか見応えがある。今年は信玄の生誕500年にあたり、山梨県ではさまざまな関連イベントも予定されている。延期は残念だが、生誕500年の祭りは命日より、誕生日(11月3日)にあわせて行う方がふさわしいかもしれない。 一方の謙信の地元、越後・春日山(新潟県上越市)でも、毎年8月下旬に「 謙信公祭 ( けんしんこうさい) 」が開かれ、川中島に出陣する越後軍団の武者行列が披露される。ふたつの祭りが名前に「公」をつけて指揮官に敬意を表し、合戦に向かう武者行列をハイライトに据えるのは、ともに「勝者はこちら」と信じているからだろう。 勝者はどちら?
この合戦は、戦局でみると、前半は上杉軍、後半は武田軍に軍配が上がります。 領土の獲得という面で考えると、北信濃を手に入れることができたので、信玄の勝利でしょう。 しかし、合戦の勝者はといわれると、謙信に軍配が上がるという見方も根強いです。 その理由は、上杉軍の死者は、ほとんどが雑兵だったのに対し、武田軍は、指揮官である重臣をかなり失っているからです。 信玄の弟の武田信繁や山本勘助、諸角虎定、初鹿野源五郎ら名の知れた武将の多くが討ち死にしています。 武田家にとって、特に大きな損失は、やはり信玄の弟の 武田信繁 でしょう。 父・信虎が、信玄ではなく次男の彼に家督を譲ろうとしていたほどの人物で、信虎追放後、兄の信玄にも重用されてる、非常にバランス感覚のあった人格者でした。 武田の家臣、真田昌幸が息子に「信繁」の名をもらっていることからも、家臣にも相当敬われていたとわかります。 ちなみに、この 真田信繁 、大河ドラマにもなったあの 真田幸村 のことですよ。 一騎打ちは、本当にあったのか? 武田の本陣に先陣を切ってなだれ込んできた上杉謙信が、信玄に3大刀あびせ、受けた信玄の軍配には8つの傷がついていたという逸話の出所は、武田側の 「甲陽軍鑑」 です。 一方、上杉側の資料 「上杉家御年譜」 によると、信玄に切りつけたのは、謙信ではなく信玄を猛追した武将の 荒川伊豆守 だと書かれています。 どちらかというと、後者のほうが信憑性が高いかなと思えます。 上杉側の記録には、きちんと武将の名がありますね。「甲陽軍鑑」は、信玄の一騎打ちの相手が敵の大将であったほうが、威厳が保てると考えて謙信と記載したのかもしれません。 でも、真偽のほどはともかく、この一騎打ちはすごく華のある合戦の見せ場なので、ドラマとしては、是非とも大将同志の一騎打ちとして取り入れてほしいです。(*'▽') 【関連記事】 ↓
川中島の戦いは、「戦国史上もっとも謎に満ちた戦い」と言われています。非常に知名度の高い戦いにもかかわらず、その実態がほとんど分かっていないからです。現在の定説のベースとなったのは、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍鑑」(こうようぐんかん)ですが、明治時代には資料的価値を疑われています。現在は再評価されてはいますが、なお事実誤認の部分も多いのは明らかです。 他にこの戦いに関する信頼の置ける1次資料がほとんど存在せず、通説では5回の合戦があったとされているものの、2回だったと主張する学者もいる程。この時期に、信玄と謙信の間に大きな戦いがあったことは間違いありませんが、勝敗がはっきりとついていないために、どちらも積極的に記録を残さなかったのではないか、とも考えられています。 一騎打ちはあったのか? 川中島の戦いをここまで有名にし、ドラマティックな合戦として、数々の軍記物語に取り上げられてきたのは「戦国随一の武将・信玄と謙信が一騎打ちをした」とされているためですが、その信憑性は疑問視されています。 戦国最強の武田軍団を率い、敵なしと思われた信玄ですが、謙信のことは「日本無双の武将」(日本に2人といない武将)と非常に高い評価をしていました。そのため、この自分でもそう簡単には勝てないと考え、のらりくらりと直接対決は避けてきたのです。川中島の5回の戦いも、激しい戦いとなった第4次を除いては、両者にらみ合ったまま撤退するということを繰り返しています。 策を弄して直接の戦いを避けようとする信玄に腹を立て、戦いから逃げられないようにと謙信が挑んだのが、第4次川中島の戦いだったと言われています。とはいえ、総大将が自ら敵陣に乗り込むようなことは、通常はありえないと言うのが定説です。 どちらが勝ったのか?