中二国語 君は「最後の晩餐」を知っているかの感想を教えてください! どんなふうに書けばいいのかわかりません。 2人 が共感しています ベストアンサー このベストアンサーは投票で選ばれました レオナルド・ダ・ヴィンチが、研究を通して絵画を描いているとは思いもしなかった。「最後の最後」は思っていたよりも細かく、とても驚いた。最後の晩餐だけでなく、レオナルド・ダ・ヴィンチについて、人体の解剖をしていたことは知らなかった。修復工事をして、絵の細かいところが見えなくなってしまったことは残念だが、全体を見れるようになりまた新たな発見があるのかもしれないなと思った。 こんな感じはどうですか?? 8人 がナイス!しています その他の回答(1件) あなたの感想なので、あなたが一番印象に残ったところや全体を通して感じたことを書くことが大切です。 そうしないと国語の力はついてきません。 ・論説文なのに、「かっこいい」という筆者の主観を中心に論が展開されていること。 ・「科学が生み出した新しい芸術」と、「最後の晩餐」の良さを理論的に説明していること。 ・「解剖学」「遠近法」「明暗法」の具体的効果やそれについてあなたが感じたこと。 ・最後の、絵の「全体」が見えてくるという筆者の考えについての感想。 ・自分が今まで思っていた「最後の晩餐」と、この文章を読んで分かったことや変わったこと。 以上のヒントをもとに、あなたなりの感想を書いてほしいと思います。 1人 がナイス!しています
回答 ✨ ベストアンサー ✨ 今更ですが、私的にはEがおすすめです! 話が広げやすいですし、ちゃんと調べて書いていると思われるので、先生からの好感度も上がると思います! でも他の人がコメントしていたように、こういうものは感性というか、自分で書くからこそのものなので、あまりアテにはしないで下さいね ありがとうございます❦ 参考にします! この問題できませんか? ①➪面FEGHを垂直に上へ動かす ②➪写真の通り ①はあまり自信がないかも… ②は必要であれば長さも書いてね ありがとうございます! 埋まってないとこ埋めてくれませんか? この回答にコメントする まずは自分で考えるのが先では?? 人に任せっきりでは成績もあがりませんよ ここは人に解答を教えてもらう場ではありません 考えても分からないことを質問する場です 先に自分で考えてよくわからなくなったから助けを求めたのでは…? 別にみんながどういう考え方をするか、でもちゃんとした勉強になると思うし。 成績が上がる上がらないはみゆきさんの勝手だと思う。 よくわかんないので書いてください、という言葉には自分で考えた感じは全く感じられませんね 言葉の問題じゃないですか? みゆきさんの誤解を招くような形の文章になってしまったこと、ゲストさんの一方的な思い違いとか でも、この言葉は誤解を招いて当然ですよ 対論する前にいま1度考えてみてもいいんじゃないでしょうか? えっと…三日月さんは僕に考えてみた方がいい、と言ったのですか? 不快な気持ちになったのならすいません。 でも、三日月さんの言う通り、言葉の問題だと思います。 どういう風に書けばいいのかよくわかんないので、見本として書いてほしい…とかならまだわかると思います。 自分的には、考えた末、よくわからないという結論に至ったんだなと思いました。 だから、庇った、とは言いませんが、別に助けを求めてるならいいと思ったんです。 日本語って難しい… そうだったんですか… そのとおりですね 日本語難しい… でも誰かが一方的に悪いとかそういう事がなければいいんじゃないでしょうか? ゲストさんの発言も一理ありますし… もう考えれば考えるほどごちゃごちゃしちゃいますね… やっぱそうですよねw まぁ、日本語むずいよねって事で終わらせましょうw 平和が一番だぁ ですねw コメ欄荒らしてすいませんでした もう去ります 似た質問
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リアル合気道S. A. 師範 ブログ 「頑張れる!日本!」 2020年09月20日 12:04 世間では『気』というものについて、様々な意見があります。科学的な研究から、スピリチュアルなものまで、幅広く見受けられます。その中には、堂々と名称に『気』をつけている『合気道』と言う武道もあります。私も武術派、護身派の合気道である、合気道S. の師範として、過去の様々な武術や修練から『気』について個人的考えを持っています。合気道S.
「群盲象を撫でる」という慣用句は差別的であるため 使ってはならないのでしょうか? 使ってはならないのでしょうか? 「群盲象を撫ず」 「群盲象を評す」「群盲象を模す」ともいいます。 意味するところは、平凡な人が大事業や大人物を批評しても、 その一部だけにとどまって全体を見渡すことができないことです。 元来は、人々が仏の真理をなかなか正しく知りえないことを いったものです。 このような意味を思えば、差別的な部分はありませんので「盲」という 語はあっても、使用に差し支えありません。 4人 がナイス!しています ThanksImg 質問者からのお礼コメント 他の言い方もご教示してくださってありがとうございました。 特定の漢字を意識するのではなく、全体の意味をとらえれば差し支えないのですね。ありがとうございました。 お礼日時: 2006/9/13 11:11
現代日本に息づくカーゴ・カルトの精神 井蛙之見(せいあのけん) 2021年05月25日 17:37 「病は気から」昔の人はそう言いました。しかし、なぜ人は気を病むのでしょう?SNSの広がりで、いろんな人が自由に発言できるプラットホームができました。政治的な工作に利用され、「頭の悪そうなハッシュタグ」で数万件集まったからこれが民意だ、なぁどという輩もいますが、大抵の「普通の人」はちゃんとわかっているのでまぁいいでしょう。スマホが出来て、「承認欲求という病」、特に、日本人はこれを気にしますからね、だから「お墨付きのようなものを求めたがる」特に、差別に関するものはそうですね。 いいね コメント リブログ 【群盲象を評す】今の人間は明らかに退化して馬鹿になっている! スパミラ の『奇跡の瞬間!』 2021年04月29日 16:23 今の人間は「群盲象を評す」になっている。だから、すべての困難な問題が解決できなくなっている。人間が時代とともに無限に進化していくというのは錯覚です。明らかに今の人間は退化して馬鹿になっている! 「群盲象をなでる」ということわざと同じ意味のことわざを教えてくださ- その他(教育・科学・学問) | 教えて!goo. コメント 1 いいね コメント リブログ 水曜日は晴れている。(不気味) シジンの日記 2021年04月28日 08:06 晴れた水曜日。今は陽が射しているけれど、だんだんと曇るのだそうな。今朝は屋根の上で騒ぐ鳥に起こされました。たぶんハトかヒヨドリかムクドリ(カラスではない)だと思うけれど、妙なところに営巣されると困るなぁ。逆光でうまく撮影できなかったミニミニ藤昨日は所用があって駅前に出て、そのついでに馴染みの百貨店で書店を冷やかしたりしたのですが、なんだか百貨店の階段近くにある休憩所にたむろしている老人がとても多い。彼らはいったい何をやっているのでしょう? と言うか、ただ座っているだけなのです。ちょ いいね コメント リブログ 【昔の諺で】「群盲象を撫でる」「群盲象を評す」(撫す、撫づ)! って、ありますが 快刀乱麻のブログ 2021年04月12日 07:08 倉庫の中から、「そういうのを、めくらが、象を撫でるって言うだぞ。」と、大声がして、「さすが、所長経験者、学がある。(笑)」と、相手との会話。OBの年寄りが、訪ねて来て、話していたようだ。旧知の間柄の会話に、入るほど無粋ではないので、そのまま、通り過ぎた。「群盲象を撫す」の図の、目貫の拵えの脇差を、持っていたので、私には、その意味が解る。今では不適切な表現ですが、「群盲象を撫でる」「群盲象を評す」(撫す、撫づ)などある国の王様が、献上された象の前に、盲人を集めた。この盲人達を象の いいね コメント リブログ 吉良上野介は悪人?それとも善人?
302コラムより《盲目の男たちと象》真理とは・・・これは『群盲象を評す』という題目でも知られるインドの逸話で、アジア圏の様々な宗教で教訓として取り入れられています。6人(7人とか10人という場合もある)の盲目の男たちそれぞれが象の鼻や牙や足など別々の一部分だけを触り、その感触について話し合うお話。象とはかくかくしかじか・・・と語るわけですが、触った部分によって感想が異なり、それぞれが自分の感想が正しいと主張します。このお話で盲人同士が いいね コメント リブログ 物事の本質を見極める SES未経験者育成ひとすじ18年、竹中吉生でございます 2018年06月08日 12:25 「群盲象を撫(な)ず」という言葉を教わりました。何人かの目の不自由な人が象の体の一部を触り、象とはどんなものかと尋ねたところ、鼻を触った人は、「象とは長いものだ」耳を触った人は、「象とは平らなものだ」足を触った人は、「象とは丸太のようだ」尾を触った人は、「象とはヒモのようだ」と、みんなが違う印象を言った、という話。「物事の一部だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう。」「凡人には大人物や大事業などの全体を見渡すことはできないものだ。」のような意味があります。私たちは物 いいね コメント リブログ 群盲撫象 王様の耳は、ロバの耳! 2017年03月20日 06:00 群盲撫象、群盲象を評すと言われます。もとは、インドの寓話です。昔は、ナウマンゾウやマンモスいたんですけど。そんなに世界各地には、象いませんからね。数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合うということで、真実の多様性や誤謬に対する教訓となっています。この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場し、それぞれ象の鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合います。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まりますが、しかし何らかの理由 いいね コメント リブログ 悲しみは愛情のそばに まもなく上映です Way Back In to Love 2016年02月03日 18:29 『群盲(ぐんもう)象を評す』………王の命により、盲人(もうじん)達が動物の象の元に連れて行かれた。目の見えない彼らの中には、足を触(さわ)る者、尾を持つ者、或(ある)いはシッポの根元(ねもと)を持つ者がいたり、腹や脇腹、背や耳や頭、牙や鼻等々、人によって様々であった。家臣(かしん)は王のもとに彼らを連れて帰った。王は「象とはどういうものだ?」と聞いた。足を触った者は「大王様、象とは立派な柱のようなものです」と答えた。だが尾を持った者は箒(ほうき)のようだと答え、その他、どこを触ったか コメント 2 いいね コメント リブログ