世田谷パブリックシアターの2階席って良く見えますか?
)もあると 思います。劇場も含めて楽しんできてくださいね。 5人 がナイス!しています ThanksImg 質問者からのお礼コメント 詳しくお答えいただきありがとうございます。 そうですね、初めての劇場なので、それも含めて楽しんできます! お礼日時: 2011/5/27 11:33 その他の回答(1件) それほど大きな劇場ではないので、良く見えると思います。 ただ、客席の段差が急で、ちょっと怖い感じがしたかも。
自分にこびりついてしまった変なこだわりを「ああ、自分は思い込んでいただけなんだな」って発見する。こういうことも、共同作業ならではのひとつですよね。 上村 :全体の時間がない時でも、読み合わせをしっかりしておいた方が逆に速いんだよね。もし読み合わせの次の日から立ち稽古だったらどうなっていたか。 亀田 :たしかに! (笑) ■俳優と演出家の関係 ──2014年からムワワドさんの作品を上演してきて、演出に変化はありますか? 上村 :「音」をすごく気にするようになりました。俳優の台詞の音、身体から醸し出される音……。ある時は身体のノイズも含めて、どうやってお客さんに届けた方がいいのだろう、熱狂的な方がいいのか、静かにポツーンと感じさせた方がいいのか、など。俳優が抱える作品の背景のイメージを、どういう「音」で広げさせればいいのかを大事にするようになりました。やはり芝居って、物語の起承転結を楽しむだけじゃなく、俳優個人の存在が物語になると思うんですよ。それを表現できるのが「音」です。お客さんには俳優の立ち姿や、声といった「音」が印象に残りますから、『森 フォレ』も11人の「音」が記憶に残る作品にしたいですね。 ──俳優の側から見て、上村さんの演出はいかがですか? もものお役立ちBlog | 日々の困りごと、お役立ち情報をコツコツお知らせしています☆. 上村 :最近よく自分の演出を「民主的」ってしつこく言ってるよね。 亀田 :そう、自分で言ってますね(笑)。 上村 :理屈で強引に行きたい方に持っていってるなと自分で感じてるから、あえて自分で「民主的」って言ってプロパガンダしてるんでしょうね(笑)。 亀田 :俳優がちょっと変化することに気付くのはとても早いですよね。そして、非常に細かい。作品の裏側の部分をとにかく詰めていく。その作業は俳優にとって大事な楔(くさび)のようなものです。僕たちはできるだけぼんやりした部分がないように作っていくので、その楔がないとちょっとふわふわしてしまう。 成河 :芝居って、どれだけぼんやりしないでいられるかが勝負。上村さんはどんな質問をしても全部ちゃんと返してくれるんです。その"返し方"が衝撃的でした!こんなこと聞いてもいいのかなというような質問にも、とても論理的に理路整然と返してくれるのかと。さっき「民主的」とおっしゃっていたけれど、民主的なのと独裁的なのは両義性でどっちもなきゃ駄目。上村さんは、何度も試作を繰り返していくことを押し付けがましくなく信頼させてくれるので、「じゃあこっちからも投げてみよう!」と、頼りがい、恥のかきがいがものすごくあります。 ──演出家として上村さんは、俳優たちとどういう関係であろうとしていますか?
野村 :シェイクスピアの時代は、中世から近代に変わる時だと教わりました。神に仕えて、非科学的なくらい、神と一緒に共存していた国のもとに生きてきた人間が、科学などの進歩によって神を超越してきて、自我を持ち始める。まさにその象徴が『ハムレット』。神を超越し始める人間、驕る人間というものを描いたのが『マクベス』だと思います。「驕る平家は久しからず」と言われていますが、『マクベス』の死生観、無常観は、平家の無常観に非常に通じると思っています。 『マクベス』では、人がどんどん驕るわけです。でも、一寸の夢のごとく散る。その象徴が紅葉。源氏の白に対して、平家の旗は赤ですね。壇ノ浦に赤い旗が散っていく様は、まるで紅葉が波にもまれているがごとく。そういう詩的感情がまずあって、それが作品に描かれています。古典的な世界と共通点があるのではないかと。 ――今回の作品を拝見して思ったことは、すごくわかりやすい。登場人物の数を絞ることや、ストーリー構成を簡素化すること、言葉もわかりやすい現代語にしていますね。わかりやすくすることを意識して目指されたのでしょうか、それともシェイクスピアのエッセンスを抽出しようとされた結果なのでしょうか?
私のイメージでは「地球」を想定していました。明日という日が良くなろうとして向上心をもつのが人間の性ですけど、同時に、明日が良くなると必ずゴミが出る。地球というものを破壊しかねない。 『マクベス』では、「きれいは汚い」「汚いはきれい」という言葉が何度となくリフレインされます。その二面性にこだわったのは、暮らしが向上する、地位が上がるということは、同時に負の財産をも得るということ。魔女と人間、一体、どちらがきれいで、どちらが汚いのかと言ったとき、人間中心で考えれば当然人間がきれいであるけど、魔女から見れば逆に見えているという価値観の二極性が、言葉に象徴されているので、「魔女」対「人間」という構造を作りました。 司会者 :昨日、太陽劇団の「マクベス」を見に行きました。あちらは、42人の人が登場しますが、こちらは5人ですね。どのような印象を受けましたか? 野村 :42人の出演者がいらっしゃって、他にもミュージシャンや裏方の人まで入れると、総勢ものすごい人数で活動する太陽劇団のスケールに圧倒されました。壮大な歴史劇をやるには、あの人数が必要であり、迫力を目の当たりにしました。 人数の違いはあれど、多くの共通点を見出しました。それは、いろいろな意味で「象徴する」ということですね。布を広げて、その世界観というものを表すこと。太陽劇団は、豪華な絨毯でしたけどね。我々は風呂敷みたいな布2枚でしたからね(笑)。その中が一つの空間になるというのは、まさしく能の象徴性だと思います。血の象徴として、バラの花びらを撒かれていました。 太陽劇団をご覧いただいて、『マクベス』を熟知していただいた上で、象徴主義のお能を見るといいと思います。古典のお能を見るときも、「源氏物語」や「平家物語」をある程度知っていることが鉄則です。そうでないと、部分的に、象徴的にしか伝わらない。そこで歴史を勉強しようと思っても難しいです。 ■インタビュー ――現地の方とお話しする機会があったと思いますが、初日を終えられての手ごたえをお聞かせいただけますか? 野村 :昨年、ソウルとニューヨークでも公演していたので、ある程度の評価はいただけるかなという予感はありましたが、「マクベス」の初めてのヨーロッパ公演なので、どういうふうに受け取られるのかなと期待と不安が入り混じっておりました。ソウルは、日本と同じような感覚で公演できましたね。ニューヨークは、魔女たちがある種のコミックリリーフ(深刻な物語の中に、緊張を和らげるために現れる、滑稽な登場人物・場面・掛け合いのこと)として存在している点を評価して、観客が大笑いしてくれました。 ヨーロッパでは、真剣に集中力をもって見てくださっているなと感じました。緩むことなくずっと息を詰めて、展開を見ていただけたので、充実感がありました。 ニューヨークでは狂言的に見てくれたとすれば、パリは能的に見てくれたという言い方もできるかもしれません。 ――シビウ(ルーマニア)とパリのお客さんでは、反応の違いはありましたか?
劇場 2021. 05. 20 2020. 10.