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Tue, 25 Jun 2024 17:54:35 +0000

外国にルーツを持ち日本で育った人たちのライフストーリーを紹介。 今回は旅行会社で働く一方、glolabのコーディネータとして外国ルーツの若者を応援する事業に取り組み、また、テレビ出演しペルーの文化や社会について話をしたりと多様なキャリアを積み上げている上村カルロス。 中2で来日し、日本社会でキャリアを切り拓く姿をインタビュー記事でお届けいたします。 ▶上村カルロス プロフィール glolabのコーディネータとして外国ルーツの子どもたちの支援に取り組む上村カルロス。9歳の時に両親が離婚し、ペルーのリマで母親と暮らしていましたが、経済的な理由や将来への不安から中学2年生の時に来日、そのまま父親の元で暮らしながら、日本の高校を卒業したという経歴の持ち主です。 高校卒業後は工場勤務やホテルのウェイターなどの職を経て、中南米専門の旅行会社に入社。日本に住むペルー人としての個性を活かして働く傍らテレビ番組にも出演するなど、活躍の幅を広げています。カルロスがいかに自らの価値を見出し、キャリアへと繋げていったのか。そのベースとなった考え方や今後の活動について話を聞きました。 ▶周囲に頼れなかった中学、高校時代 ― カルロスさんが中学2年生で来日したときは観光ビザで3カ月滞在の予定だったそうですが、滞在を延長して日本の学校に通うことにした理由は何ですか? 世界中のGPSデータを使った訪日人流分析|新型コロナ前後で日本への訪日外国人はどう変わったか? - Orbital Insight - Japan. 経済的な理由が大きいです。両親が離婚して母親と一緒にペルーに住んでいたのですが、日本にいる父は普段から仕送りも養育費も送ってくれませんでした。だから、ペルーに帰ってまた生活するより、そのまま父親のところにいたほうが母親に負担を掛けずに済むと思ったんです。 ― それまで離れていたお父さんのところに住むことに関して抵抗はなかったですか? 目的がお金を出してもらって大学まで進学することで、それ以外は父親に何も求めていなかったので大丈夫でした。 ― お父さんは日本でどんな仕事をしていたのですか? 千葉県で自動車関係の工場に勤めていました。日本語も日本の制度や慣習にも詳しくない人だったので、お金以外の部分では全く頼りませんでした。 ― 13歳で日本の中学校に入って言葉の問題は当然大変だったと思いますが、その他に苦労したことはありますか? 自分が外国人であることに対する苛めはありましたね。特に外国人が少ない地域だったので、みんなが私のことを見に来たり、冷やかしに来たりして、こんなに目立ってしまうんだという思いはありました。思春期だったので、目立つことに対する不安は強かったです。 ― その学校では外国ルーツの子どもを受け入れるのはカルロスさんが初めてだったのですか?

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