先月8月15日に還暦を迎えたロック歌手・サンプラザ中野くんが、音楽番組『うたコン』(NHK総合)に出演。NHKホールから今年大改修を終えた日本武道館を歌った曲「大きな玉ねぎの下で(令和元年 Ver. )」を歌唱した。 [画像:] 1989年のNHK紅白歌合戦で歌唱された同曲が、約30年の時を経てパッパラー河合、「うたコン」の専属バンド music concerto(ミュージック・コンチェルト)の演奏で披露した。 番組では二人がこれまでNHKに登場した映像を紹介。二人が所属するロックバンド「爆風スランプ」の貴重映像も流れ、過去を懐かしんだ。 サンプラザ中野くん、パッパラー河合はともに今年還暦を迎え、それを記念したライブを、サンプラザ中野くんの芸名の由来にもなった「中野サンプラザ」で初めてのワンマンライブを今月9月26日に行う。 本ライブでは感染対策としてチケットは600枚限定販売。またチケット購入者には当日「オリジナルファッションマスク」が配布される。 チケットは現在各プレイガイドで販売中だ。 <ライブ情報> 祝・初公演だぜ!爆夢の中野サンプラザワンマンライブ! 「感謝還暦」サンプラザ中野くん&パッパラー河合 supported by オカモトラバーズ研究所 日付:2020年9月26日(土)
Copyright © SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. All Right Reserved. Sponichi Annexに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。すべての著作権はスポーツニッポン新聞社と情報提供者に帰属します。
風の音 空っぽの 部屋で ベル 低く 響いて 居留守は なしだぜ 空回り芝居 しないように かねがね おさえて きたけど これじゃ 涙 濃いのが ボロボロだぜ 夜がせめてる ふらり一人 街見ていた ひゅるり 風は 瑠璃色だった 空っぽの 胸で 眠れないで それでも おまえに 恋してる 足音に 胸が さわぐようじゃ 未練も 試練も 受けてやる 惚れりゃ 涙 濃いのが ボロボロだぜ 会いに行かなきゃ ふらり一人 街見ていた ひゅるり 風は 瑠璃色だった やっぱり 心 じりじり しみそうで たち切る 言葉 投げつけてくれよ フロントガラスに 風 空っぽの 胸で 眠れないで それでも おまえに 恋してる 惚れりゃ 涙 濃いのが ボロボロだぜ 会いに行かなきゃ ふらり一人 街見ていた ひゅるり 風は 瑠璃色だった
こんばんわ~。 今日は文化の日です。 何一つ、文化的なことをしてませんけど、最近もハードに親に会社にこき使われて、農奴としての宿命を感じています。 だって、俺、野原の村人Aこと野村だしな。 また上手い話をしてしまいましたが、キャバクラには行ってません。 ええ、行ってませんとも。 BRONX SIG氏と入って以来な。 そう、つくば以来。 というわけでして、今日は現代文化について音楽の観点からお話いたいと思います。 ヒマ人はお付き合いください。 *スポンサード リンク* 今夜はこんなセンティ・メンタルなお話です。 寒いからでしょうか。 寒い夜だからでしょうか。 そうかもしれません。 ただ、思うのは、ある日、昔の曲を聞いたとき、当時の歌詞が入って来て、勝手なイメージ動画を妄想し、そんな時代もいいじゃないと思うこと。 今夜もそんな中身の無いお話です。 エモいとは エモいって言葉を知ってますか? *参考*後で読んでね!
AbemaTV「Abemaエンタメニュース」出演! 12 April, 2018 4月13日(金)に放送されるAbemaTV「Abemaエンタメニュース」内『噂の真相を解明!スリム記者クラブ』のコーナーに出演いたします! 放送日:4月13日(金) 放送時間:15:10、17:20、19:00、20:20、23:50、25:00、28:10、翌6:10、7:20 *全て前後の状況により1、2分ずれる可能性が有ります。 *ニュースチャンネルの特性により、速報等で時間帯がずれる可能性もあります。 *深い時間帯には流れない場合もあります。
トップ 今、あなたにオススメ 見出し、記事、写真、動画、図表などの無断転載を禁じます。 当サイトにおけるクッキーの扱いについては こちら 『日テレNEWS24 ライブ配信』の推奨環境は こちら
*スポンサード リンク*
目次 プロローグ─息子が校長室で発した言葉から教育の生物学的意味を考える 第1章 子ども時代の過ごし方の大きな変化 人生に必要な知恵はすべてルービー・ルーから学んだ 50年かかって教育環境から失われたものとは 外遊びをしないで育つ子どもたちの心理的障害 子どもたちの自由な遊びの減少と心理的障害の増加 第2章 狩猟採集民の子どもたちは遊びでいっぱいだった 狩猟採集民の断固たる平等主義 寛大さと信頼にあふれた子育てはどこから来るのか 狩猟採集民の子どもは集約的にスキルと知識を身につける必要がある 社会的なスキルと価値観を学ぶのは、子どもたちだけで無制限に遊ぶ時間 並外れた自制心は、どのように育まれるのか 第3章 学校教育の歴史誰の必要から、いまのような学校はできたのか? 農業が変えた子育ての目標 子育てに覆いかぶさる封建主義と産業のさらなる影響 学校の誕生──初期の神学校の洗脳と服従訓練 カトリック教会と学びのトップダウン[垂直]型の支配 プロテスタント主義の台頭と義務教育の起源 義務教育制度──どのようにして学校は国家に奉仕するようになったのか 高まり続ける学校のパワーと画一化 第4章 強制された教育制度の7つの罪 子どもは無能で、信頼に値せず、強制されることが必要な存在 学校と監獄 罪1 正当な理由も適正な手続きもなく、自由を否定している 罪2 責任能力と自主性を発達させる妨げになっている 罪3 学びの内発的動機づけを軽視している(「学び」を「勉強」ないし「苦役」に転換している) 罪4 恥ずかしさ、思いあがり、皮肉、不正行為を助長する形で生徒を評価する 罪5 協力といじめの衝突 罪6 クリティカル・シンキングの禁止 罪7 スキルと知識の多様性の減少 第5章 母なる大地は現代においても有効である 管理された学びと遊びから自由をとりもどした学校 本当に民主的な学校 教育機関としての学校 卒業生の成功はどうして説明できるのか?
農業が変えた子育ての目標 子育てに覆いかぶさる封建主義と産業のさらなる影響 学校の誕生──初期の神学校の洗脳と服従訓練 カトリック教会と学びのトップダウン[垂直]型の支配 プロテスタント主義の台頭と義務教育の起源 義務教育制度──どのようにして学校は国家に奉仕するようになったのか 高まり続ける学校のパワーと画一化 第4章 強制された教育制度の7つの罪 子どもは無能で、信頼に値せず、強制されることが必要な存在 学校と監獄 罪1 正当な理由も適正な手続きもなく、自由を否定している 罪2 責任能力と自主性を発達させる妨げになっている 罪3 学びの内発的動機づけを軽視している(「学び」を「勉強」ないし「苦役」に転換している) 罪4 恥ずかしさ、思いあがり、皮肉、不正行為を助長する形で生徒を評価する 罪5 協力といじめの衝突 罪6 クリティカル・シンキングの禁止 罪7 スキルと知識の多様性の減少 第5章 母なる大地は現代においても有効である 管理された学びと遊びから自由をとりもどした学校 本当に民主的な学校 教育機関としての学校 卒業生の成功はどうして説明できるのか?
吉田新一郎(訳者)より 教育にかかわり始めた1985年ぐらいから 「自立した学び手をどう育てるか」をテーマに一貫して模索してきました。 国際理解教育センターを通して出した本も、2000年以降、書いたり訳したりした本も すべてそのテーマで書いてきたつもりです。 そして、今回の本は私のテーマに見事にフィットしているだけでなく、 視野を大きく広げてくれるものでした。 「自立した学び手」は教育(ましてや、教科)の専門家だけに任せておいて、よくなるものではないことを この本は示してくれています。 一人ひとりの子どもをトータルに見てアプローチしないと! と同時に、 もっと子どもたちに学びの責任を委ねないと。 ******************************* 私が本書を日本に紹介した4つの理由: 学校での知識の詰め込みよりも、「自立した学び手になること」が、 子どもたちが将来、急速に変化し続ける社会で 生き延びるために最も大切なことです。 1日本の学校、教育、学び、そして遊びについて見直すのにとてもいい本だから。 2教育関係者とは異なる切り口のお役立ち情報をたくさん提供してくれているから。 (狩猟採集という人類の歴史の99%がしていたことの詳しい情報! ) 3学者にありがちな、単なる知識の書ではなく、アクションの書にもなっているから。 (息子の校長室での発言にショックを受けての、極めて個人的な物語でもある) 4楽観主義/信頼/ユーモアをベースに据えているから。 ********************************** 学びは苦役ではない。自由な遊びこそ、子どもの学びの大きな翼になることを、人類史に遡って解き明かす。
年上や年下の子どもたちと一緒に遊ぶ中で、社会性を身に着け、新しいことを学んでいく。そんな体験は学校ではできない、と思っていますよね。 それは大人の都合で学校が作られているからであって、子どもたちにとっては害でしかないのではないでしょうか?
子どもたちは「ケーキ富士山」と呼んでいました。 大人の役割は、子どもたちとの適当な距離を守り、温かく心の中で応援してあげることです。楽しそうに見守っている大人がそばにいるだけで、子どもたちの心に何か落ち着きが出てきます。子どもだけだとちょっとトゲトゲしくなるときも、大人が一人いることで収まっていく。求められたときに手伝ってあげるのはよいのですが、子どもたちが求めていないときによかれと思って手伝ってあげたり遊びを誘導してしまうと、子どもが主人公の遊びではなくなってしまいます。 (汐見さん) 子どもの遊びは目的が決まっていない。プロセスを楽しむことが大事です。 大人の行動のほとんどは目的があって、それに向かっていきます。でも、子どもの遊びは目的は決まっていません。大人はつい、「先にこうしたらいいのに」などと口を出したくなりますが、子どもが自分で考えてトライしている様子を見守って、「そうきたか!」と思うような意外なプロセスを一緒に楽しむことが一番大事だと思います。 「こうしたらいいのに」ではなく、「そうやったのね」「なるほど!」と、子どもの思いや行動を共感的に見ることです。そうしているうちに、こちらも、口を出したいのを我慢することもなく、子どもの遊びをとても楽しく見守ることができるようになると思います。 周りの子は習い事をしているようです。遊びばかりでいいのでしょうか?
ピーター・グレイ「遊びが学びに欠かせないわけ」を読んだ。吉田新一郎さん翻訳のシリーズ?である(吉田さんが翻訳する本は一貫して彼の信念に沿った本が選ばれるので、良くも悪くともシリーズの名前がふさわしい)。 昨年から今年にかけて、吉田新一郎さんは翻訳をたくさん出されていたので(『イン・ザ・ミドル』もその一冊ですが)、読者としてはどれを手にとっていいかわからない。「どれがおすすめですか?」と小学校の先生のトミーさんに尋ねたところ、推薦してくださったのがこの1冊だった、というわけ。著者は、ボストンカレッジの心理学部教授。自分の子育てをきっかけに、「遊び」が持つ学習の価値について先行研究などを調べて書いた本である。 我が子から自由を奪っていませんか? 『遊びが学びに欠かせないわけ―自立した学び手を育てる』(Tommy's Idea room) 遊びの特徴とは何か?