――SUPER BEAVERが、再び大手レーベルと契約を交わした。インディーズでもがんがん稼ぐミュージシャンが多い中で、なぜ彼らは、再びメジャーの舞台に舞い戻ったのか――? (写真/オノツトム) 今年4月、SUPER BEAVERは9年越しにリベンジの舞台へと戻ってきた。 「僕らは一度メジャーに負けている。でも次は勝ちに行けると思ったんです」 ボーカルの渋谷龍太はメジャー"再"契約について、そう話した。 高校時代に先輩後輩で結成されたロックバンド、SUPER BEAVER。結成2年足らずで当時開催されていた10代のアマチュア音楽家を対象とした全国大会「TEEN'S MUSIC FESTIVAL 2005」でオーディエンス大賞を受賞すると、09年にEPIC Records Japan(現 Sony Music子会社)から最初のメジャーデビュー。まさに順風満帆だった。 「振り返ると、当時の僕らは社会経験のないガキ。そんなやつらが努力らしい努力もなくいろんなものを手に入れたものだから、どこかで『世の中って簡単だな』と思っていたのかな」 ただでさえ自己万能感の強くなりがちな若者。こうも順調に事が運べば、そう思ってしまうのも無理はない。しかし、その鼻っ柱はメジャーの"大人たち"にへし折られることになる。 続きを読みたい方は...
【第1回】「100の語源で1万語を覚えられる」累計90万部の教材「語源図鑑」のすごさ 【第2回】英語学習のプロが「小学校からの英語教育」に反対するワケ 英語を身に付けるために効果的な勉強法は何か。ベストセラー『 英単語の語源図鑑 』著者の清水建二氏は、小学校で最下位クラスの劣等生だったが、英語を1年勉強して中学1年で学年トップになれたという。イーオンの三宅義和社長が聞いた――。(第3回/全3回) 撮影=原 貴彦 英語教材開発者の清水建二氏 「家族5人三畳一間」極貧生活で劣等生だった少年時代 【三宅義和(イーオン社長)】 清水先生の英語との出会いは、やはり中学校の授業だったのでしょうか? 【清水建二(KEN'S ENGLISH INSTITUTE代表、英語教材開発者)】 私の場合、みんなより1年だけ早かったのです。私は東京の浅草出身で、三人兄姉の末っ子。父親は儲からない漆職人で、浅草の観音様の裏に仕事場を兼ねた借家を借り、家族5人三畳一間で寝起きを共にするような極貧生活をしていました。 【三宅】 そうですか。 【清水】 当時の私はとにかく勉強が大嫌いでした。家が落ち着いて勉強をするような環境ではなかったということもあるのですが、それを理由にして勉強はまったくやらず、クラス40人中、成績は常に35番から39番くらいだったのです。 【三宅】 それでもビリにはならなかった。 【清水】 一人、断トツでできない子が同じクラスにいたからです。しかし、6年生になってその子が転校してしまい、「いよいよ俺もビリになるのか」と心配していたとき、担任の先生に呼び出されました。すると、これまで40番だった子は学力不振が原因で、いまでいう特別支援の学校に転校になったというのです。そして神妙な面持ちで「お前もこのままだと、そっちの学校に転校させることになるから頑張れ」と言われたのです。 この記事の読者に人気の記事