この度は当ブログにお立ち寄り頂き、有難うございます。 おおぉ~。そのような体験をされた事があるのですか? 何とも不思議な話ですね~。 他人の強い思念を受け止めるアンテナの感度が敏感って言う考え方は、昔の剣豪が"殺気"を感じていた事と共通するものがあるのかもしれませんねぇ。 それにしても、科学がコレだけ進んだ今日でも解らない事って色々とあるモノなんですねェ~。(;^_^A 通りすがり [2013年5月12日 15:28] まめ八?
私も通勤途中にビックカメラとヨドバシカメラがあります。 会社側ビックカメラ、家側ヨドバシカメラになります。 学生時分 東京に住んでおり絶対ビックカメラに行って相変わらず値切っていました(笑) だからビックカメラ好きなんですけど、どうしても難波ビックカメラは居心地悪いんです(汗) ですからヨドバシカメラばっかり行ってま~~す(笑) やっぱり 私にも霊感が・・・ そういえば小さい時は正夢を良く見ました。 金縛りにもよくあいました。 不思議な出来事も・・・ 真冬の夜中に歩いていると、薄手のワンピースを着た白い女性がうつむいて立ってる所をみたり~~~ どう思いますか?? まめ八様にはかないませんけど(汗) ヴェル24 [2011年10月14日 17:54] こんにちは。 子供の頃、千日前デパートの前は刑務所で死刑執行された人数と、火災で亡くなられた人数が一致していると実しやかに聞かされたことが有ります。真偽の程は不明です。 プランタンなんばのときに建物に入ったことが有ります。当時千日前デパート跡地って知らなかったのですが、建物に入っても何故か早く出たいと思って、スグに出てました。(地下から入って1Fでスルーとか位しか居れません) 先程、ネットで見てみたらビッグカメラになっても某階のトイレは心霊スポットらしいと書いてました・・・。 私には見えないので解りませんが・・・。 宮ちゃんNO1 [2011年10月14日 20:00] こんばんは~ 宮ちゃんで~す! 自分は余り霊感?が有る方では有りませんが・・・ やっぱり科学では証明出来ないモノって有りますネ!
4パーセント)が焼損し、延床面積2万7, 514. 64平方メートルに対する割合では31. 8パーセントに及んだ。延焼階ごとの焼損割合は2階が床面積3, 714平方メートルのうち3, 192平方メートル(86パーセント)、3階が床面積3, 665平方メートルのうち3, 218平方メートル(88パーセント)、4階が床面積3, 520平方メートルのうち2, 353平方メートル(66.
千日デパートビル火災の死者118名は、大きく分けて2つの理由で亡くなっています。 22名が飛び降りによる全身挫傷・頭蓋骨骨折、残り96名が一酸化炭素中毒です。 店舗に残り一酸化炭素中毒で亡くなった96名の人々が、 ある特定の場所で折り重なるようにして亡くなっているのを のちにビル火災の現場検証に入った関係者が発見しました。 千日デパートビル火災の生還者の話や、防災科学・パニック心理の学者の分析により、 その現象が災害下のパニックによるものが原因であることが分かります。 ① なぜ24名もの人が7階から飛び降りたのか? 熱さ・息苦しさに耐えかねてという理由や、死を覚悟した飛び降りではない。 ビル火災のパニックによる高さの感覚の喪失で、7階の高さが大した高さではないように感じる。 目の前で赤く染まる地面の様子も見えるが、上手くやれば自分が助かる可能性はあると感じてしまう。 (千日デパートビル火災だけに限らず、同様の火災での生還した墜落者にも共通) ② なぜ障害物のない店内中央の空きスペースで30名以上がかたまって亡くなっていたのか? 店内の構造に疎い客は自分たちが入ってきた入り口のみが出口だと思い込んでおり (実際には外部に非常階段が存在)、煙により出口は絶たれたというパニックに… ただパニックに陥り、右往左往するうちに一酸化炭素の充満により身体の自由が利かなくなり、 つまずいたひとにまた誰かがつまずき、またそのかたまりに誰かがつまずき…とひとかたまりになった。 ③ なぜとある壁の前で30名以上がかたまって亡くなっていたのか?
ちびまるこちゃんですが、時代背景は昭和何年頃に設定してるんですか?
ちびまる子ちゃんは、1974年から1975年にかけて、静岡県清水市(現:静岡県静岡市清水区)の入江地区で少女時代を過ごした、作者のさくらももこの投影である小学3年生の「ちびまる子ちゃん」が、家族や友達と共に繰り広げる日常生活を描いたコメディ漫画 ちびまる子ちゃん – 番組情報。まる子と家族や友だちとの、ほのぼのとした日常生活を楽しく、面白く、時に切なく描き、心温まるストーリーをお茶の間に届けています。 日本の家族を描く代表的なアニメーション「サザエさん」と「ちびまる子ちゃん」。毎週日曜日の夕方にテレビ放送される長寿番組だ。サザエ ちびまる子ちゃんはなんとなくわかっても、その家族って一体何歳なんだろうって気になりませんか? 話のタネに使えるミニ知識と一緒にちびまる子ちゃん一家の年齢をまとめました!
質問日時: 2019/11/13 22:33 回答数: 5 件 サザエさんの時代設定はいつ頃の設定になっているんでしょうか?サザエさんの世界ではパソコンもスマホもコンビニも出てこないんだと思うんですが、ちびまる子ちゃんの世界よりも新しい気もするんですが、回答をお願いします。 No. 4 ベストアンサー 回答者: phj 回答日時: 2019/11/13 23:27 サザエさんのアニメの設定は1970年代末か80年代頭です。 理由 ・波平さんやマスオさんが乗っている山手線が103系 ・茶の間のテレビが据え置き型の茶色いキャビネット型 ・冷蔵庫が色付き 103系は1964年に登場し1980年代まで山手線に使われた。 据え置き型のテレビは80年代初頭までのデザインで、82年ぐらいにはテレビの外側がプラステック製に変わっていく。 緑などの色付きの冷蔵庫は70年代末までの流行で、80年代になると白が主流になっていく などの事からこれぐらいの時期だと思います。 0 件 この回答へのお礼 教えて頂きありがとうございます。 お礼日時:2019/11/14 00:14 No. 5 ucok 回答日時: 2019/11/14 19:37 サザエさんの世界観ってフシギですよね。 服装、人物像、内外装や街並みは、原作漫画のままで、漫画の連載が終了したのが1974年なので、それ以前ということになりますが、1961年東京生まれの私から見れば、1965年以前の戦後としか思えません。ある程度は世相を反映してきたとはいえ、人物設定などは1946年に連載が開始した時の設定のままなのでしょう。ワカメやカツオも永遠に子供ですしね。 ただし、テレビアニメ版は、2002年まで東芝一社が提供していたので、家電製品だけはどれも最新型でした。パソコンや折り畳み式の携帯電話が仕事の現場で普及し始めたのが1990年代末ですので、家庭や子供が中心の「サザエさん」でそういうものは登場しないままですよね。 ちびまる子ちゃんは、1965年5月生まれの作者であるさくらももこさんの子供時代をもとにしていて、まるちゃんは永遠の小学3年生ですので、西城秀樹や山本リンダ全盛期の1974年ということになります。 お礼日時:2019/11/17 23:34 No. ちびまる子ちゃんの時代設定はいつ!? | サブロクマガジン. 3 wellow 回答日時: 2019/11/13 23:08 元々は「よりぬきサザエさん」という傑作回を集めたもの(といっても4コマですけどね)を元にしているように思えます。 なので、戦後の少し生活が安定し始めたかどうかという頃から、高度経済成長の入り口前ぐらいまでかな、と思います。「お魚くわえたドラ猫」というのも、戦後の食糧事情を反映したもので、ドラ猫もサザエさんも生きるのに必死、だから盗まれた魚を取り返すべくサザエさんは殺気立っています。何にせよ、穴のあいた畳を座布団で隠したり、都電(今の言葉ではトラムというべきか)乗り場が暗くて真っ暗とか、精神を病んだ人が徘徊していて「松沢病院!」とかついつい口走ったりと、そのままアニメ化するとピー音だらけでしょうね。 TVのサザエさんは、そういった貧しい時代は通り越して高度経済成長もひと段落ついた頃、多分80年代の一瞬をターゲットにしているように見えます。ファミコンも携帯もPCも出てくる前で、本当の御用聞きが残っていた時期です。 まる子は多分75年から80年直前ぐらいの時期ですから、TVのサザエさんの方が新しい時代の話に見えるのも納得です。 No.
質問日時: 2002/11/10 10:49 回答数: 5 件 最近ドラえもん、ちびまる子ちゃん、サザエさんを見てちょっと疑問に感じました。 ドラえもん、ちびまる子ちゃん、サザエさんの時代風景についてちょっと分かりにくいんです。 私の推測によると。 サザエさん・・・昭和30年代の背景。 ちびまる子ちゃん・・・昭和40年代の風景。 ドラえもん・・・昭和50年代の後半の風景。 このように推測してしていますが・・・。 みなさんの意見聞かせてください。 No.
田中:私は当時7歳なんですけど、1年生なのでまだそんなに自由に一人でどこかに行けるという感じではなかったと思います。外で友達と缶蹴りや鬼ごっこをしたり、小川があったのでそこでザリガニを捕まえたりしていましました。昔は遊びと言えばそのくらいしかなかったと思いますね。3年生くらいの時に、まる子でもおなじみの「ローラースルーGOGO」が出てきた記憶がありますね。高学年になると、(山口)百恵ちゃんや(西城)ヒデキの人気がすごかったのをおぼえています。『まる子』の作中で出てくると、懐かしいなと思いますね。 髙木:私は小学校5、6年生でしたね。関東近辺の、都会というよりは郊外で暮らしていたので、『ちびまる子ちゃん』の環境と比較的近いのかもしれません。はまじみたいにカエルやザリガニを獲ったり、セミを捕まえたりというのは日常茶飯事で、駄菓子屋さんにもよく行ってました。なので『ちびまる子ちゃん』の世界観は、90年に参加した当時から、とても身近に感じられるものでしたね。実際にアニメーション作る時も、比較的違和感なくというか、スッと入っていけたと思います。 ――ひとりのアニメーション監督としての髙木さんが描きたいものに、近いような部分もあったのでしょうか? 「昭和49年という永遠のループの中でまる子は生きている!」――監督&プロデューサーが語る『映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス. 髙木:そうですね。この世界観の中で、子どもたちを描くというところであれば、そういう部分は絶対に入っていると思います。 ■ アンドレアのために……。なまけ者のまる子が、映画ではがんばった!? ――ここからは今回の映画についてうかがえればと思います。92年公開の『ちびまる子ちゃん 私の好きな歌』以来23年ぶりの映画化ですが、きっかけはどのようなことでしたか? 田中:やはり25周年、節目の年ということで、その中の企画のひとつとしてお話が出てきた形ですね。原作者のさくら先生とも相談しながら、企画が進んでいきました。 髙木:TVシリーズのカンフル剤としても、劇場版はやってみたい気持ちはあったんです。ですが、なかなかこういった企画を立ち上げるのは大変ですので……。今回やると決まった時はビックリしながらも、「よかったよかった!」という感じでしたね。 ――まる子役のTARAKOさんにインタビューさせていただいたのですが、最初「ドッキリ」だと思ったとおっしゃっていました。 一同:(笑) ――ドッキリじゃないとわかって、本当にうれしかったと。 田中:TVシリーズのキャストのみなさんにも、とても喜んでもらえましたね。私はまだ『ちびまる子ちゃん』をやりはじめて3年ですけど、その前からずっと、映画やればいいのになとは思ってました。今回、それが本当に実現できてよかったです。 ――映画を作るにあたってのテーマなどは、どのように決まっていきましたか?