木下 まず病院のベッドで「自衛隊員としては終わった」と思いました。しかし、あちこち骨は折れているものの、神経は生きているということが分かり、「良かった」と思いました。神経が断裂したら動けなくなりますが、骨折は元に戻りますから。 それで寝たまますぐに筋トレを開始しました。力が入る筋肉を動かし、腕にはウエイトを持って、手術の日以外は毎日筋トレです。リハビリが始まるとリハビリ室はもちろん、それ以外の時間も屋上で筋トレ。3カ月で退院し、すぐに走り始めました。 山口 すごくポジティブですね。それは性格でしょうか、それとも過酷な経験から身についたものでしょうか? 木下 元々ポジティブですね。ネガティブに考えるのはいやじゃないですか。どんなに悪いことがあっても、そこから学んで生かせば必ずプラスになる。 山口 ポジティブだからいろんなことを乗り越えてきたんでしょうね。 木下 残念だったのは、演習の3カ月前に合格していた特殊戦課程入校の資格を取り消されたことでした。考えてみれば当たり前なんですが、自分としては納得がいかず、1年後にもう一度セレクションを受けに行きました。試験官たちは唖然としていましたね(笑)。それに合格しました。入校資格を取り消されたその1年間は怨念のみで生きており(笑)、そうしないと納得できなかった。 山口 そこからしばらくリーコンで任務についていた? 第 一 空挺 団 入隊 条件 2020. 木下 はい。平成16年(2004年)にはリーコンのスキルを生かして中東某国で任務に就きました。事故のことは海外にも知られていて、外国の軍人たちと飲みに行くとおごってもらえました(笑)。その後、情報収集部門に異動して、人や組織を運用管理する仕事に就き、平成23年(2011年)に習志野から松本に異動しました。業務はデスクワークが増えましたね。 2017年ベスト戦士に選出される 目から鱗の学びや気づきがたくさんある KONAチャレンジの楽しさ 山口 KONAと恋に落ちたのはその頃ですか? 木下 そうです。強さの追求が一段落し、次の目標がなかったところでKONAと出会った。 山口 元々泳げたんですか? 2016年野尻湖トライアスロン 木下 苦手ではなかったですね。ランニングは業務の一環としてやってきましたし、ロードバイクは習志野時代から乗っていました。それでアイアンマンに出ようとしたら、まず実績が必要だと分かり、野尻湖トライアスロンやセントレアのアイアンマン70.