東京日本橋と大阪梅田を結ぶ国道1号から沖縄県糸満市と那覇市を結ぶ国道507号まで、国道には1から507まで番号が振られている。 しかし、現在日本の国道の路線数は459路線。 「最後の番号が507なら、507路線あるんじゃないの?」 そう思う人も多いだろう。実際筆者もその内の一人であった。 結論から言えば、国道の番号には59~100号、109~111号、214~216号の計48個の欠番があるのだ。 読売ジャイアンツの1番(王貞治)、3番(長嶋茂雄)、シカゴ・ブルズの23番(マイケル・ジョーダン)など、スポーツ界では背番号の永久欠番の話はよく聞くが、国道の欠番とはどういうことなのか? 「道路法」と「国道」 「国道」という言葉が生まれたのは明治時代。明治9年(1876)の法令にて道路を国道、県道、里道と分類したのが始まりである。 現在の国道は昭和27年(1952)に制定された「道路法」が礎になっている。 その道路法では道路を以下の4つに分類し、 1. 「高速自動車道」 2. 「一般国道」 3. 「都道府県道」 4. 「市町村道」 さらに 2. 「一般国道」を以下の2つに分類した。 2-1. 「一級国道」 2-2. 「二級国道」 一級国道と二級国道 「一級国道」とは、都道府県庁所在地や重要な都市を結ぶ幹線道路とし、1~2桁の国道番号が付けられた。 前述の国道1号はもちろん、北九州から鹿児島まで九州を縦断する国道3号、名古屋から富山まで本州を横断する国道41号など、57路線が一級国道に指定された。 対する「二級国道」とは、以下のような、一級国道の補助的な役割を果たす道路。 1. 中日ドラゴンズ永久欠番列伝 - yakyuukiroku’s blog. 都道府県庁所在地とその他の重要都市を結ぶ道路 2. 重要都市と一級国道を繋ぐ道路 3. 港、空港、観光地と一級国道を繋ぐ道路 4. 2つ以上の市を連絡して一級国道に連絡する道路 二級国道には、一級国道と区別するために101以降の3桁の国道番号が付けられた。 昭和40年(1965)の道路法改正により、一級国道と二級国道という区分は廃止され、「一般国道」の名称で一本化された。これ以降、国道が新設されるときは3桁の番号が付与されている。 この改正前道路法の名残で58~100号が欠番となった。しかし、次に紹介する国道58号は道路法改正後に2桁の番号が付いた唯一の路線である。 道路法改正後、唯一2桁台の番号が振られた国道58号 2桁番台の国道でもっとも遅い番号を持つのが、鹿児島県鹿児島市と沖縄県那覇市を結ぶ国道58号。総延長は884.
4km。459路線中で最長路線を誇る。が、そのほとんどは海上路線で地上部分の実延長は274. 9km。 前段で1~2桁の国道はもともと一級国道であった旨を述べたが、この路線だけは異なる。 鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市へ至る日本最長の国道。その約7割は海上区間 前述した通り、昭和40年(1965)の道路法改正により、一級国道と二級国道という区分は廃止されたが、この時、沖縄はまだアメリカの統治下だったのだ。 沖縄が日本に返還されたのが昭和47年(1972)5月15日。返還と同時に米軍が管理していた「軍道」、「軍営繕道(ぐんえいぜんどう)」や、琉球政府が管理していた「政府道」が日本国政府に引き継がれた。 アメリカ統治時代に沖縄の主幹線道だった 軍道1号線(那覇市~読谷村) 軍営繕道1号線(読谷村~名護市) 政府道1号線(名護市~国頭村)の総称) が国道に指定され、返還記念の特例として2桁の国道番号が付与されたという。 道路法の改正以来、2桁番号で登録された国道はいまのところ58号だけだ。 3桁台の欠番109~111号、214~216号 2桁台の欠番路線は(国道58号を除いて)改正前道路法の名残であった。 では3桁台の欠番路線はどうなのだろうか? ヤフオク! - katsu_sokaさんの出品リスト. 109~111号、214~216号の計6路線は過去に二級国道として存在していた路線だが、昭和38年(1963)に一級国道に昇格、またはほかの国道と統合されたため欠番になったのだ。 二級国道109号 → 国道108の一部が 一級国道47号に昇格した際、108号の残りの部分と統合 二級国道110号 → 一級国道48号に昇格 二級国道111号 → 一級国道45号に昇格 二級国道214号、215号、216号 → 統合され一級国道57号に昇格 元々二級国道110号だった国道48号 ここで1つ疑問が湧いてくる。上記の路線が昇格された後、200本以上の国道が新設されているが、なぜ穴埋めをしなかったのだろうか? 実は上記路線の他にも二級国道から一級国道に昇格した路線があるが、それらの国道番号はその後、別の路線で穴埋めされている。 例えば、昭和28年(1953)に二級国道155号として指定された路線は、昭和34年(1959)に一級国道41号に昇格された。以前紹介したブリ街道、ノーベル街道を含む名古屋と富山を繋ぐ路線だ。 その後昭和38年(1963)に愛知県常滑市から弥富市を繋ぐ道路が、国道155線として穴埋めされている。 なぜ上記の6路線は欠番になったのかは分かっていないが、もしかしたら混乱を避けようと考えたのかもしれない。 新しい国道は誕生するか?
背番号の意味 2021. 03. 15 2018. 05. 22 こんにちは、 みっつ です。 中日ドラゴンズ は1936年に名古屋軍として球団の歴史が始まりました。読売ジャイアンツ、阪神タイガースに続いて、3番目に古い球団となります。 その後、1954年に、現在の中日ドラゴンズと球団名が変更されました。その中日ドラゴンズの永久欠番について、今回は特集したいと思います。 全ての背番号と選手の経歴をど紹介しますので、楽しみにしていてくださいね!
第... 続きを読む いいね 0件 国際人ではなく国際派の日本人を目指そう。 日本の文化や歴史を根っことして独自の発言や行動の出来る人。 大いなる和の国 もったいないという文化 グループを組むと能力を発揮する。 世界一の美食都市東京... 続きを読む いいね 0件 他のレビューをもっと見る 扶桑社BOOKSの作品
Top positive review 5. 0 out of 5 stars 国際派日本人に向けて Reviewed in Japan on March 19, 2017 私が愛読していますメルマガ「国際派日本人養成講座」の書籍化第一弾です。著者は、元上司であり、その頃から会社の業務だけではないご見識に感服しておりました。 本書は、おそらく今までにない日本人論と思います。日本の良さを、具体的な事例をあげながら述べられています。学校の教科書では学べない、素晴らしい私たちの歴史、文化を再発見させてくれる本書は、貴重な書です。 日本人の「根っこ」の部分を再認識して、これからのグローバル社会の中で、しっかりと業務に取り組んでいきたいと思います。 14 people found this helpful Top critical review 1. 世界が称賛する日本人が知らない日本 / 伊勢 雅臣【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア. 0 out of 5 stars バランスに欠ける視点が気になる Reviewed in Japan on December 8, 2018 日本人でありことに誇りを持ち、日本の良いところを再認識するための本であり、日本人が国際的に活躍するためのアドバイスも書いてあります。 ですが残念なのは日本と比べて諸外国、特に近隣諸国を異様に貶めて書いてあるように読めることです。国際的であるには、自国の良いところを知り認めると同時に、上辺だけの知識や情報でよく調べもせずに他国を批判しない姿勢が必要不可欠です。 例えば日本と比べて某国の森林率が圧倒的に低いことが書いてありますが、それは某国の国土が広く、日本よりも砂漠や高山、岩盤質の地域が国土を占める割合も高いことも理由のひとつですが、自然を大切にする姿勢がないから、と斬り捨てるように書いてあるのはどうかと思います。 日本人としての誇りを持ち、日本の美点を知りながら、諸外国の美点もよく知り、むやみに貶めない。それを踏まえた上で、知らなかった日本の美点を知るために本書を読むのであれば、参考になる本だと思います。 45 people found this helpful 131 global ratings | 113 global reviews There was a problem filtering reviews right now. Please try again later.
ここには、日本を真に復活させる方法が示されています。 伊勢先生は1980年代初め、4年間カリフォルニア大学バークレー校に留学されていました。 そこで先生は、同じアメリカ人でも老人層と青年層で全然違うことに気づきます。 <米国の老人は陽気で気さくだった。 初対面でも満面に笑みを浮べて話しかけてくる。 単に陽気なだけでなく、 親切で思いやりがあり、 しかも守るべき礼儀はきちんと守っている。 いかにも大国民という風格があった。 米国の壮大な公共建築とか高い生活水準など物質面でも多 少気おされたが、 それ以上に、 こういう立派な人柄を持った人と次々に出会って、 やはり世界の大国と言われるだけのことはあるな、 と思ったものである。>(11p) 老人は、すばらしい人たちだったのですね。 では、アメリカの若者はどうだったのでしょうか? <しかしその後、大学で同級生たち青年層を知るにおよん で、これが同じ国民かと驚いた。 彼らは親の世代に比べてユーモアや余裕に欠け、 礼儀正しさや思いやりの深さもだいぶ劣る。 大学でもひたすら勉強してよい成績をとり、 給料のよい職につきたいという姿勢が目立つ。 ほんの一世代で人間のスケールが非常に小さくなったとい う印象を抱いた。> なぜ、一つ世代が違うと、こうも人が変わるのでしょうか? 伊勢先生は、アメリカ自体が大きく変わったからだろうと推測されました。 <一九八〇年代の老人が青年、あるいは現役世代だった頃、 すなわち第二次大戦後から六〇年代にかけて 米国は文句なく世界一の国力を誇っていた。 その軍事力によって世界の平和を維持し、 その経済援助で多くの国々を助けていた。 米国流の民主主義は理想的制度と持て囃され、 アメリカン・ウェイ・オブ・ライフは世界中の人々のあこ がれであった。 こういう時代に青年期、壮年期を過ごした米国の老人たち は、非常な誇りと使命感とを持ってそれぞれの人生を送ってき たに違いない。 自分は米国のために尽くし、 米国は世界人類のために尽くしているのだということを素 朴に信ずることができた時代であった。>(12p) では、若者世代に何が起きたのでしょうか? 70年代になると、もはやアメリカは、「世界ナンバー1」といえない状況になっていきます。 <しかし七〇年代以降、米国の国力は急速に衰えていく。 軍事力ではソ連に追い抜かれ、 経済面では日本の輸出攻勢で受身にまわってしまった。 ある教授が私にこう言ったことがある。 「日本人が我々より良い車をつくれるという事実を認める ことは非常につらいことだった」と。 自分たちの国に対して自信を失っただけではない。 ベトナム戦争で国家に対する不信感を持つようになったの である。 国が悪いことをしているのなら、 いくら我々が国のために尽くしても意味がないではないか、と。 青年たちの心から国家への信頼が消えるとともに、 誇りも使命感も消え、 人生は金を儲けて個人的幸福を追求する場になってしまった。>(12p) ところが、アメリカは、その後元気になっていきます。 80年代から復活しはじめ、 90年代になると、冷戦が終わり、世界唯一の超大国に返り咲いた。 経済面でも、IT革命を主導。 私たちの生活を一変させたのは、「GAFA」やマイクロソフトなど 、アメリカ企業です。 いったい、自信喪失のアメリカに何が起こったのでしょうか?