この調査で何がわかったのですか? 山口先生:太子が観音様の化身であることを表現しているからですね。太子が創建した大阪の四天王寺にあったとされる「救世観音(くせかんのん)」におおむね一致する姿で、二臂(にひ/腕が2本)の如意輪観音(にょいりんかんのん)と共通する点もあります。四天王寺のご本尊に対する信仰と平安時代以降の太子を如意輪観音の化身とする信仰が重ねあわされた姿だと考えられます R君:見えないから誰もわからないのに、ちゃんと造って入れるのがすごい・・・ 特に注目の聖徳太子像、聖霊院・秘仏本尊の国宝「聖徳太子および侍者像」 国宝 聖徳太子および侍者像のうち聖徳太子 平安時代 保安2年(1121)奈良・法隆寺蔵(奈良展、東京展ともに通期展示) 本展覧会のなかでも、特に注目されている聖徳太子像は、平安時代に太子の500回忌に制作された法隆寺聖霊院の秘仏本尊、聖徳太子および侍者像だ。27年ぶりの寺外公開になった。周囲にいる4名の侍者は、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)、異母弟の殖栗王(えぐりおう)・卒末呂王(そまろおう)、太子の仏教の師で高句麗の僧・恵慈法師(えじほうし)だ。太子は、袍(ほう/朝服の上衣のひとつ)を着て、笏を持ち、頭に冕冠(べんかん/天子・天皇や皇太子が大礼の時に着用した礼冠)を戴くのが特徴だ。 R君:この太子も眉毛がキリっとしている・・・太子はこんな顔だったの? 母:いやぁ、正直言うと実際の太子の顔はわからないのよ。絵も像も太子が亡くなられてから、時代が経って造られているしね・・・でも、造った当時の人は、徳の高い方のお顔はキリっとしていると思っていたのかもね R君:子ども(山背大兄王)がめちゃくちゃ真面目な顔している・・・なのに、弟(殖栗王)がなんか違う・・・ 母:お父さん(太子)に真面目にやりなさいって言われていたのかな? 前管長の死、そしてコロナ禍…太子の遠忌を前にした試練 [新生活応援]:朝日新聞デジタル. 弟達(殖栗王と卒末呂王)はお兄ちゃん(太子)から言われて参加したのかもしれないよね。実際はわからないけど、表情がおもしろいよね 侍者像のひとつ、太子の息子「山背大兄王」 侍者像のひとつ、太子の異母弟「殖栗王」 ユーモラスな表情が特徴 やっぱり太子の胎内に観音様が!観音様の顔が太子の口と同じ高さになるよう設計!? この太子像の像内には、法華(ほけ)経、維摩(ゆいま)経、勝鬘(しょうまん)経の三つの経を納めた三連筒形の容器の上に亀の背にそびえる蓬莱山(ほうらいさん)をあらわし、山頂に観音菩薩像が安置されているものが納入されている。なんと、観音像の顔がちょうど太子の口の高さになるよう設計されているというのだから驚きだ。 R君:どの時代の人も、みんな太子が大好きやね。こんなに凝った像を造っているし 母:たしかに 山口先生:平安時代後期における太子信仰の高まりを背景に造立された傑作といえますね 太子信仰はもっと広く、深淵を知るのはむずかしい 果たしてR君は、様々な太子像を通じて、太子信仰がわかったのだろうか?
その前に、奈良国立博物館内でR君より「お母さん、仏像がすごくいっぱいあるけど、なんで?」との質問が飛び出した。 母(筆者):聖徳太子は、仏教をすごく大事にして信仰したの。で、政治家として、仏教中心の国づくりに取り組んだのよ。ちなみに用明天皇の息子(第二皇子)ね。それで、仏教を広めるために法隆寺などのお寺を建てたわけ。だから(会場内には)、約1400年前の聖徳太子が生きた時代(飛鳥時代)の仏像がいっぱいあるの。そして、法隆寺(その他の太子ゆかりのお寺も)では、今でもお釈迦様と同じくらい聖徳太子を大事にしていているの。聖徳太子は観音様が姿を変えたとして信仰されているんだよ 聖徳太子が観音様の化身!どんだけすごい人だったの……!
聖徳太子立像(十六歳像・孝養太子)鎌倉時代 13世紀 奈良・成福寺 重要文化財 父・用明天皇が疱瘡で死の床にあったとき、太子が父を見舞い、仏に柄香炉を奉じて父の快癒を祈った姿 推古天皇の朝廷の決定事項で、当時の最有力豪族・蘇我馬子の政策だったものが「日本書紀」では太子の業績となっているようなことなら、だいたい乙巳の変*で中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我氏を滅ぼしたと言っても、仏教や儒教を重んじ大陸に倣って近代化を進める政策が基本的に変わっていなかった以上、馬子の業績を太子に付け替えたりするのは大いにあり得たとは思う。 *以前の学校教育では中大兄王と中臣(藤原)鎌足の蘇我入鹿暗殺のクーデターそのものを「大化の改新」と習ったが、政権奪取とその後の長年に渡った改革政策の「改新」は本来なら分けて考えるべきで、近年の学校教科書では入鹿が暗殺され父・蝦夷が自害した事件そのものは「乙巳の変」と呼ぶ。 しかし仮に「厩戸豊聡耳」と呼ばれた皇子が生前にまったく業績もなく、推古朝の政策にも無関係で、生前に広く敬意を集めたことがなかったのなら、その無名の皇子を知的・道徳的なスーパーマンの聖人君子に仕立て上げたところで誰が信じただろう?
あの話の流れからするとあさではなさそうですしね! 明日の新次郎さんの反応が楽しみです。 今日の名言はもちろん 雁助さんの「 わてと一緒に、この家出えへんか? 」です。 とうとう雁助さんとうめさんの想いが交差しました!このふたりの行く末に大注目です!! 加野屋の銀行設立が決定し、雁助は加野屋を去ろうと考え、そしてうめへ一緒に加野屋を出ようと誘います。うめの返事は?雁助とうめの恋の行く末はいかに!? 次回、『あさが来た』第93話「道を照らす人」お楽しみに!!! 『あさが来た』もくじ あらすじと解説・感想
・ 【あさが来た】加野屋の大番頭・雁助 演じる山内圭哉の代表作は ・ 【あさが来た】加野屋の中番頭・亀助 演じる三宅弘城 過去に宮﨑あおいと共演も ・ 【あさが来た】うめを演じるのは友近 過去には「芋たこなんきん」にも出演 ・ 【あさが来た】お付き・ふゆは「小藤」(側室)がモデルの可能性あり?
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雁助と結婚するの?
?うめ」と瞳を輝かせ、 腹帯を叩いてシコを踏むとうめと向き合う。 「今日は負けへんえ!」と 張り切るあさに対してうめも 「えぇ、うちかてこれが おあさ様との最後の勝負どす! 手は抜かしまへんえ」と 意気込みをみせる。 組み合ったあさは なぜ、お家の都合で嫁入りしなければならないのか? なぜ、姉のはつが山王寺屋の姑・菊(萬田久子)に いじわるを言われないといけないのか? なぜ、山王寺屋の惣兵衛(柄本佑)は笑ってくれないのか? そしてなぜ、新次郎は手紙の返事をくれないのか?と 納得ができないあさは「なんでどす」とくりかえし うめの肩の上で泣きながらうめと組み合う。 ごぶごぶの勝負をしていた2人だったが ふとした瞬間にあさはうめに投げ飛ばされてしまう。 あさは大きく尻もちをつき倒れこむと うめが慌ててあさのもとへ駆け寄る。 するとあさはうめに抱きつき 「お姉ちゃんをよろしゅうな!