公開日: 2017年10月31日 / 更新日: 2018年2月3日 徳川家康 の辞世の句 と言えば、 「人の一生は、重き荷を負うて・・」 という句が有名です。 ところがこの句は偽物では無いかという説があります。 それでは、本物の徳川家康の辞世の句はどんなものなのでしょうか? 調べてみました! 有名な辞世の句は偽物だった! Sponsored Link 冒頭にも書いた通り、徳川家康の辞世の句は以下のものとして有名です。 「人の一生は、重き荷を負うて、遠き道を行くが如し。 急ぐべからず。 不自由を常と思へば不足なし。」 (人生とは、重い荷物を背負って遠い道のりをお歩いていくようなものだ。 急いではいけない。 こんなものだ、と思えば何の問題もない。) 「東照公御遺訓」一部抜粋 これは 「東照公御遺訓」 として伝えられている人生訓の冒頭部分になります。 ところがこれは明治時代に 幕臣の一人によって偽造された文書 の可能性があるのです。 その根拠としては、文書の最後に書かれた花押(署名の代わりに書かれる記号)が本人の書いたものと微妙に異なるからだそう。 にも関わらず、この文書は日光東照宮に収められているほどなので、家康が書いたものとして信じられて来たのです。 (日光東照宮も信じるほど信頼の篤い人が作成したのでしょうか?) では、本当の辞世の句は? 天下は天下の天下なり…徳川家康の遺言 | WEB歴史街道. では、徳川家康の本当の辞世の句はいったいなんなのでしょうか? 上記の句が偽物と判った現在においては、次の句が本物の辞世の句として考えられています。 嬉しやと 二度さめて 一眠り 浮世の夢は 暁の空 (目が覚めて、もう一度眠る。嬉しいことだなぁ。 この世の出来事は、まるで明け方に見る夢のようだ。) とても穏やかな句のように感じますね!
今回のテーマは「徳川家康」です。 この記事では「徳川家康」の「辞世の句」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。 これを読めば「徳川家康の辞世の句の意味」と「家康の優しさ」が理解できます。 「徳川家康」は「あとに残された家来たちの命」を守るために、「辞世の句」を残したのです。 歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。 どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。 この記事を短く言うと 1,「 徳川家康 」が残した「辞世の句」とは? 徳川 家康 辞世 の観光. 「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」 「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」 2,「家康」が残した「辞世の句」の意味とは? 「もう目覚めることはないと思ったが、また目覚めることができて嬉しい限りだ」 「わたしは誰も殉死させたいとは思っていない。だれも後追い自殺なんかしてはいけないぞ」 3,「徳川家康」が大切にしたものと、「辞世の句」の関係とは? 「家康」は、命を大切にした武将であったため、「辞世の句」を利用することで、殉死(後追い自殺)をしかねない部下たちの命を守ろうとした。 徳川家康が残した2つの「辞世の句」をご紹介 天下人「徳川家康」は、【 1616年 】、73歳(数え75歳)で亡くなっています。 「家康」は、2つの辞世の句を残した 「続き」は、ココをクリック スポンサーリンク 「辞世の句」の意味を解説 徳川家康が残した「辞世の句」の意味をカンタンに解説いたします。 もう再び目覚めることはないと思っていたら、嬉しいかな、また目覚めることができた。この世でみる夢は、まるで夜明けの美しい空のようだ。さぁ、もう一眠りするとしようかな」 もう一つの「句」の意味は、以下の通りです。 家康が生涯において最も大切にしたものと、「辞世の句」の関係 徳川家康は、生涯において「人の命」をもっとも大切にしていました。 「厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)」という言葉をご存知でしょうか?
三河 ( みかわ) の弱小戦国大名の家に生まれ、織田家、今川家の人質として幼年期と青年期を過ごしながら 桶狭間 ( おけはざま) の戦い後に独立。 織田信長 ( おだのぶなが) と同盟し秀吉と天下を競いガマンにガマンを重ねて天下を獲った苦労人、 徳川家康 ( とくがわいえやす) 。 そんな家康の辞世の句には家臣の自殺を禁止するメッセージが込められていたってご存知ですか? 徳川 家康 辞世 のブロ. 徳川家康の辞世の句とは? さて、そんな徳川家康の 辞世 ( じせい) の句は、以下のようなものです。 先に行く あとに残るも 同じ事 つれてゆけぬを わかれぞと思う 意味は、私は一足先に行くが、お前達は残されるとはいえ、いつかは来る道なのだ。あの世で再会するまでのお別れだから、急いでついてくるなよ。 現代の感覚で聞くと、俺は一足先にあの世で待ってるぞ、バイバイ!お前らはゆっくり来いよと呑気に言っている感じに聞こえます。でも、時は戦国時代であり、家康の辞世の句には強いメッセージ性がありました。家康の言う連れて行けぬとは、後追い自殺、すなわち 殉死 ( じゅんし) を禁止するものです。 流行する殉死に家康が喝! 武士の世界における殉死の習慣は長い間、敗戦により主君が腹を切った時に供をするという場面に限られ、主君が病死した場合に殉死する習慣は戦国時代にはありませんでした。しかし江戸時代になると、合戦の機会が減って戦死する機会が減少したので、忠義の示し方として主君が病死しても殉死する習慣が生まれたようです。 江戸時代の殉死の最初は、1607年、徳川家康の4男、 松平武蔵守忠吉 ( まつだいらむさしのかみただよし) が病死した際、近臣の 稲垣将監 ( いながきしょうげん) 、 石川主馬 ( いしかわしゅめ) 、 中川清九郎 ( なかがわせいくろう) が腹を切ったのが最初のようです。この事件は江戸幕府にも伝えられますが、老中たちは「あっぱれな忠義」とでも思ったのか、何も言いませんでした。ところが、この殉死に猛烈に機嫌を悪くした人がいました。 大御所 ( おおごしょ) として駿府にいた徳川家康です。 家康激怒、殉死を許す主君はバカだ!
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暑い季節といえば!? 北総花の丘公園バーベキューエリア|バーベキューレンタルのBBQ-PARK. 成田ゆめ牧場でのハロウィンキャンプ以来、約半年ぶりの出番となる「流しそうめんセット」が登場です。子供達がたくさんいるバーベキューやキャンプを待ちわびておりました(^^) 関連記事 久しぶりに流しそうめんやりました。3.6mの流しそうめんセットを延伸し7.2m化して15人同時に参加できるよう改造しました。 前回は15人、今回は最大21人ということで雨どいを4本に延伸した状態を想定して準備しました。全長7.2mもあれば21人同時に対応できるはず・・・でした。 実際に組み立ててみると、半年間使わなかった間に園芸用支柱を束ねていた100均のヘアゴムが伸びてしまっていたり、子供達がチャンバラごっこをして途中で折れ曲がっていたりと今回はイマイチ土台が安定せず。 何度完成しても支柱や雨どいにぶつかると全体が壊れてしまい、不安定な4本延伸状態は諦めて2本状態でわんぱくキッズ13人の相手をしました。 関連記事 暑い季節にピッタリ!コストパフォーマンスに優れた雨どいと園芸用支柱を使った「手作り流しそうめんセットの作り方」を紹介します。バーベキューやグループキャンプなど大人数で盛り上がること間違いなし! 大鍋いっぱいに茹でた素麺、キレイに子供達だけで食べきってしまいました!大人達が食べることなく流しそうめんセットの出番は終了。次回の流しそうめんに向けては、とにかく土台の強化と構造の見直しが課題です。 カキ氷大会! 持ち寄ったカキ氷製造マシーン3台を駆使してカキ氷をどんどん製造していきます。流しそうめんにカキ氷、もうすっかり真夏のようなメニューです(^^) 食事の合間にローラーすべり台で滑ったり、流れの緩やかな小川に足を入れて涼んだり、つり橋を渡ってアスレチックで遊んだり。最後は広い公園を活かして超久しぶりにドロケイなどしてみました。 まとめ 子供達を満腹にさせることには成功したものの大人達は撤収がギリギリだったこともあり解散する頃には疲労困憊(^^) 梅雨入り前に何とか間に合って一安心でしたが、やはり小さな子供が多いイベントには大人のほうが多いくらいで備えておかないと色々と厳しいということを再認識。平均年齢5歳くらいの集団に対抗するのは手強かった(苦笑) 坂田ヶ池総合公園キャンプ場でのデイキャンプは手軽で便利なので機会があればまたやるとして、せっかく宿泊もできる場所ということもありファミリーキャンプで訪れてみたいかも!